八咫烏神社(やたがらす)
宇陀市榛原町高塚42 mapfan
二の鳥居
交通案内
近鉄大阪線榛原駅から奈良バス 高塚下車 西すぐ
祭神
建角身神
拝殿
由緒
神武天皇が大和に入ろうとして熊野山中で迷った時、鴨建津見命がさながら烏に化して先導した功によって八咫烏の称号を賜ったとされている。
また、神武天皇が伊那佐山に登ろうとされた時、この土地の豪族、偉丈夫の武角身命が黒い衣装を身にまとい木から木へ飛び移りながら天皇を宮城に先導されたので、その称号を賜ったとある。八咫烏伝承は元々宇陀の在地豪族に伝承されていたのを、8世紀以降、山城の賀茂県主が有力氏族となってから、山城賀茂氏の祖である武角身命が八咫烏とされたと境内掲示に書かれている。
『続日本紀』に慶雲二年(705)八咫烏の社を大和国宇太郡に置いて祭らせたと出ている。
現社地は伊那佐山の山頂に祀られていた八咫烏神社、即ち都賀那木神社(貴船社に改称)の遥拝所であったとも伝えられている。
この神社の絵様は三本の足の烏である。三本の足の鳥は広く東南アジアにも分布し、初期の大和朝廷の出目が南の方面からの文化を身につけていた事を物語っている。八咫烏は太陽に住んでいる烏ではないので、三本足とするのは混乱である。どこにも書いていない。
伊那佐山のイナサは東南風の事で、熔胴と関連のある地名とのことである。(青銅の神の足跡「谷川健一」)神武東征の道筋と金属採取とはつながっている。
本殿
お姿
社殿は新しい。山の中腹に本殿が鎮座し、木木の中に埋もれているようである。鳥の声も聞こえ、上空にも鳥が飛んでいた。この辺りでは鳥は大切にされているのだろう。
葵川の赤い祓い橋を渡ると神社である。この付近には古墳が数基あり、また弥生後期の高塚遺跡がある。
鳥居から東を見ると伊那佐山

烏とボール
お祭り
例祭 10月21日
参考:『平成祭礼データCD』、『神社寺院大事典』
大和の神々
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