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社伝によると、遣唐使派遣の祈祷所だったところに、平城天皇の時代、大同元年(806)に新薬師寺の鎮守として奉祀したのが始まりで、それは、藤原広嗣は叛乱を起こし、肥後国で斬殺された広嗣の怨霊を鎮めるたま肥前国の鏡神社(唐津市:松浦明神を弘法大師が鏡神社と改名と言う。)から勧請したと言う。こちらは一の宮は神功皇后、二ノ宮が藤原広嗣。 広嗣の人となりは次の万葉歌で偲ばれる。 万葉集 巻八 一四五六
摂社の比賣神社が鳥居の前に神像石と並んで鎮座。 比賣神社 祭神 十市皇女 神像石 弘文天皇の曽孫の淡海三船公は「懐風藻」を編纂。その四代を祀る。
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