![]() 大阪府泉佐野市大木8番地 .its-mo ![]() ![]() 交通 南海泉佐野駅、JR日根野駅、JR熊取駅からバス犬鳴山行き
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斉明天皇七年(661)役行者二十八歳の開基と伝わる。大和大峰山より六年前に開かれた故、元山上と呼ばれている。また葛城二十八宿修験の根本道場。 犬鳴山の名称は『和泉名所図絵』では次の説話によるようだ。 ![]() 修験道はこの国の古来からの山岳信仰に仏教、道教(陰陽道)があわさった信仰で、古代から中世にかけての庶民の心の支えとなっていた宗教。厳しい山岳での修行で人間の験力を極めるもの。比叡山の千日回峰もその要素がある。修験道は、役小角以前からあったが、小角によって集大成されたとの伝承が形成されて来た。 葛城二十八宿とは、役小角が設けていったとされる行場であり、葛城の峰を仏法の世界と見立てて、法華経二十八品をそれぞれ経筒に入れて埋納した。葛城の峰とは、加太の海から和泉山脈(和泉葛城山と南葛城山がある)から、大和の金剛葛城山から二上山を経て大和川に至る壮大な山系であり、海、山、川と一つの連鎖をなしている場である。第一品はオノゴロ島と見なされている友ガ島であり、ここに日本の神々のルーツが海なのだと言うことが如実に語られているようだ。まさに如来が河内に至る、ニライカナイの再現を見る。 犬鳴山へ踏み込むのは樫井川の支流の犬鳴川沿いに和泉砂岩の渓谷をゆるやかに登っていく。ほどなく行者尊が出迎えてくれる。
山高く谷川深き犬鳴の 山を開くは後の世のため 橋を渡ると岩と鳥居だけが見える。稲荷神を祀るようだ。 ![]() 岩だらけの参詣道は流れる水音も絶えることがないと言う。荒々しい雰囲気のなかに瑞龍門が現れる。山門と言うこと。一歩足を踏み入れると苔生す庭が目に入る。まったく雰囲気が変わる静かな道になる。 ![]() 役小角の開基と伝承さる 古刹七寶滝寺を中心とせる一連の地区は 和泉砂岩層が水蝕によりて大木川の渓谷 をなき岩質の硬軟層位の状態より両界滝 等の七飛瀑となり奇巌碧渾は春花秋樹と 犬鳴山の名は寛平年間の義犬の伝説によ るといふ。 次々と現れる神々を紹介していこう。 ![]() またいつの頃からか頭部を医する神、中風除けの守護としても霊験あらたかなりと崇信せられるようになった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 釣鐘堂があり、広場に出る。身代わり不動尊の巨像が鎮座している。それに向かって右側に熊野大権現社が鎮座している。その横を通り、急な山道を登り切ると経筒のある燈明ケ岳に出る。一歩登れば二分は滑り落ちると言う歩きにくい道。今回は見送った。 ![]() また塞建陀又は建陀とも音写している。 足の速い者を韋駄天走りと呼んでいるのは 釈尊涅槃の際に足の速い捷疾鬼と云う鬼が 釈尊の仏舎利を盗みさろうとしたとき追いかけて行き 奪い返したと伝説により走ることの一番速い 天部の神として崇拝されている。 形像は甲冑を着て正立し両手を合掌して宝剣を横たえて 捧げていられる勇猛なお姿であり 将軍と云われるゆえんである。以下略 オンスカンダソワカ 二十一枝 ![]() 鎮宅不動の名を持つ。 ![]() ![]() ![]() 行場の滝に行者尊の像があり、修験者と男女二十人位が般若心経を唱えていた。 手前が本堂であり、倶利伽羅大竜不動明王が鎮座している筈だが、扉は閉まったままで秘佛のようだ。 ![]() ![]() |