大避神社
赤穂郡上郡町竹万its-mo
鳥居
交通
JR山陽線上郡駅下車 東500m
祭神
不明。たぶん大避大神(秦河勝)
由緒
不明。
秦氏は秦の始皇帝の子孫弓月君の渡来に始めると言う伝承を持つ。 調庸の民を率いて王権に尽くした氏族とされる。彼らの持つ技術・資産から見れば、王権そのものを乗っ取ることも容易だったと思われるが、どうもおとなしすぎるきらいがある。王権とは新たな渡来人が乗っ取るものではないと言う雰囲気ができていたのであろうか。現在でもタイ、インドネシア、マレーシアでもチャイナ人が丁度古代日本の秦氏に相当するのか、経済はほとんど握っているのだが、政治には表舞台には立たない。タイの王様の地位を乗っ取ることは考えにくい。
赤穂の秦氏は千種川流域に勢力を扶植していったようで、上流の上郡にも入ってきたのだろう。
秦河勝は聖徳太子に仕えたが、皇極二年(643年)蘇我入鹿の乱を避けて、難波から赤穂の坂越の生島に逃れ、没後は生島に葬ったと伝わり、また上として祀ったと言う。
本殿
お姿
上郡の町は個々の家屋が大きく広い敷地に建っている。勤勉で無駄遣いのしない土地柄と思われる。まさに秦氏の血が脈々と流れているようだ。
上郡の町は南西に天王山の高嶺神社、北東に大避神社の神体山であったであろう神奈備山に守られている神郷のように感じる神社配置となっている。
拝殿上部の竜の彫り物
お祭り
兵庫県神社誌(昭和十三年)
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