海神社
神戸市垂水区宮本町5-1 its-mo
鳥居

交通
JR垂水駅 山陽電鉄垂水駅 南
祭神
中津綿津見神、底津綿津見神、上津綿津見神 配祀 大日ルメ貴尊
拝殿
由緒
式内大社三座。
社伝によると、神功皇后が凱旋の時、この垂水沖でにわかに暴風が起こり、怒濤のため船が漂って進めなくなった。 皇后は身を祓い清めて海神三座を今の場所に勧請されたので、波風は静まり、船は無事に進み、皇后は都に帰還されたと云う。
社名としては、アマ、タルミ、現在はワタツミ、カイと称している。
『住吉大社神代記』には住吉大神の部類神として、「明石郡垂水明神」とあるのが、多分当社のこと。『新称格勅符抄』によれば、大同元年(806)神封十戸が寄せられている。
『日本の神々2』で、黒田義隆氏は、江戸時代初期の頃には日向大明神と呼ばれたのは、大日霊命が配祀されており、ともに日向で化生していることからと推測されている。しかし加古川の日岡大明神と混同、または対抗上の名であったかも知れない。
畿内と畿外との境に鎮座しており、大阪湾へ「禍つ日」の侵入を防ぐ役目を負っていたと同氏は書く。
本殿
お姿
駅の直ぐ傍で、本殿よりのJRのプラットホームより低いようだ。乗客から見下ろされている状態。境内にはケヤキなど大木が多く、保護樹林となっている。
近くの古代遺跡としては、復興されている五色塚古墳や舞子ビラ土器散布地、歌敷山土器散布地が有名。 また水を通過させない岩盤があり、清水が各地で滝のように落ちていたと云う。垂水である。
七福神がお並びです。
お祭り
10月 11日 例祭
平成祭礼データ
今から千数百年の昔、神功皇后が三韓征伐を終えてお還りの時、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなりました。皇后が御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちまち風波がおさまり御無事に都へお還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社殿を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来であります。
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