肥後國:4座 大1小3
◎皇室、国家の尊崇
◎社殿
◎阿蘇大神神幸分布
阿蘇郡[アソ]:3座大1小2
健磐龍命神社[タケイハタツノ・](名神大)
阿蘇神社[あそ]「健磐龍命、阿蘇都比命、國龍神、比
御子神、彦御子神、若比
神、新彦神、新比
神、若彦神、彌比
神、速瓶玉命、金凝神、喜式内社三一三二神」
由緒略記
御主神健磐龍命は一代神武天皇の勅命に依って九州鎮護の大任に当られた。
後に命は、紀元七十六年春二月阿蘇に下られ草部吉見神の娘阿蘇都比命を娶り、矢
を放ち居を定められ、四方統治の大計を樹て阿蘇の国土開発の大業を始められた。
当時大湖水であった阿蘇火口湖を立野火口瀬より疎通し阿蘇谷の内に美田を開拓せら
れ、住民に農耕の道を教えられた(七月二十八日の御田祭神事の起り)。また歳ノ神
を祭り(三月の田作神事の起り)、更に霜神を祭り(霜宮火たき神事の起り)、風神
を鎮め給う(風宮社の風祭の起り)等国利民福の為に尽くされた。
業成っては阿蘇山麓に大巻狩を行い鳥獣の害を除き(九月二十五日田実神事に執行の
流鏑馬の起り)※これは下野の狩りとも云い中昔源頼朝が富士の牧狩を行なうに先ち
使者を遣わし、この狩りの古実を学ばせたと云う。この巻狩りは天正以後廃絶した※
祀典の範を定め庶民のために其の憂苦を除き給いて吾が大阿蘇開発の先駆者として不
滅の功績を遺された。
是に土地開け住民この地に安住して今に至るまでその恩沢を享け皆夫々生業を営める
は命の偉大なる御事蹟に外ならず、洵に命の大業は吾が日本建国史に不滅の光彩を放
つものと云うべきであり現今国土開拓の神、農耕道の祖神として汎く世人の崇敬をう
け十一世紀以降肥後一の宮と仰がれ肥後の国熊本の総鎮守神として尊崇をうけており
ます。
国土の開拓とはただ産業の振興のみならず吾々人間生活に関わりある交通・文化・学
芸・結婚・医薬・厄除等の生活守護の神として限りない御神徳をいただいています。
第七代孝霊天皇の九年六月御子速瓶玉命に勅して大神を祭られたのが当社創建の始め
で平成三年より二、二七三年前であり、第十二代景行天皇の十八年惟人命に勅して特
に崇敬を尽くされ永く祭祀を廃せざる様命ぜられた。これが阿蘇大宮司職の始であっ
て現在に至まで連綿九十一代世々祀職を継承されており皇室に次ぐ日本最古の家柄で
ある。
第五十三代淳和天皇(弘仁十四年)、従四位下勲五等に叙し健磐龍命に封二千戸を充
て奉り順年昇位し貞観元年正二位、次いで延喜の制明神大社に列し名神祭に預かり、
寛仁元年一代一度の大奉幣に預かる等朝廷の御尊崇極めて篤く肥後の国の一の宮とせ
られた。
爾来禁裏将軍家を始め武家武将の崇敬を享け、阿蘇氏の武門としての勢力は肥後一円
に及び厖大な社領を有していたが、秀吉九州征伐の時阿蘇神領を没収し改めて天正十
五年三百町の地を寄せられ、ここに往時の勢力を失墜するに至った。
後に加藤清正、細川氏藩主たるに及んで畧代社領の寄進、社殿の造営等を為し崇敬の
誠を表された。
明治四年五月国幣中社、明治二十三年四月官幣中社に、大正三年一月官幣大社に列せ
られた。
社殿の配置結構は皇居の制に準い、旦つ三十三年毎に肥後の棟別に賦課して改築せら
るゝを例としていた。
神殿は最も古くは十二殿、下っては六殿、更に三殿と時代と倶に変遷しているが、現
今の神殿は天保六年斧初め、同十一年一の本殿、同十二年二の本殿、同十三年別殿、
嘉永二年神幸・還御両門及び樓門と竣工したが何れも藩主細川氏の建立によるもので
ある。
拝殿、祝詞殿、翼廊、神饌所、神輿庫等は昭和十六年以降の政府事業及び造営奉賛会
の造営計画により昭和二十三年に竣工した。
尚、三神殿、拝殿、翼廊、神饌所、神輿庫及び樓門、神幸・還御両門の御屋根銅版葺
替工事、並びに廻廊、透塀の復元工事を昭和四十九年に完工した。
本殿、樓門等の構造は特例の阿蘇式であって、一・二の本殿は千鳥破風の曲線美妻は
入母屋、千木外そぎ八本の鰹木を据え何れも欅材の白木造り樓門は二層樓の山門式、
同時代最優秀の彫刻美を誇っている。
阿蘇神社及び阿蘇大宮司家は往古より肥後国の精神的中心であったが、同時に肥後国
及び豊後国の一部の事実上の支配者であった。
阿蘇大神信仰の発展を知るうえには各地各所の同神神社を知ることが適切と思われる
が多数に及ぶので列記しがたいが肥後熊本県内だけでも四百社に達する。
阿蘇比神社[アソヒメ]
阿蘇神社 前掲
國造神社[クニツクリ]
国造神社[こくぞう]「速瓶玉命、雨宮媛命、高橋神、火宮神」熊本県阿蘇郡一の宮町手野2110 玄松子の記憶
玉名郡[タマイナ]:1座小
疋野神社[ヒキノ]
疋野神社[ひきの]「波比岐神 配 大年神」
疋野神社は2000の歴史を持つ由緒深い神社です。
県内最古の国史現在社である。
六国史「続日本後記」に官社(官弊社)列格の年月日が銘記されている由緒格式高い
神社である。(承和7年7月27日官社列格)
貴重な式内社である
平安時代の「延喜式」神明帳記載の神社を式内社という。日本で当時、特に著名であ
った神社を記載する。熊本県では現存三社のみ。玉名郡市では当社のみ。
(現在熊本県神社総数約3200社、玉名郡市約430社)
玉名地方最高の旧県社である。
明治初年、玉名郡市唯一最高の県社となる。
疋野長者伝説ゆかりの神社である。
境内地に長者の御神陵があり、古くより、特に縁結び、商売繁盛、開運招福を願う参
拝者が多い。
すばらしい御社殿と県下にほこる大鳥居
現在の御社殿は、肥後藩主細川綱利公の御造営で、すでに300年を経る。参道正面
には天をつくような堂々たる純白の大鳥居がそびえたつ。春の桜、秋の紅葉も見事で
ある。
日置野である。この社の近くには江田船山古墳がある。日置氏とゆかりがあろう。 熊本県玉名市立願寺457 神社 玄松子の記憶
H24.1.27