淡路神社
大阪府岸和田市摩湯町576番地 its-mo
鳥居

交通
泉北高速和泉中央駅 西1。5km JR府中駅 南2km
祭神
伊佐奈岐神、菅原道眞
拝殿

由緒
和泉国和泉郡の式内小社。
祭神についての古伝はなさそうだ。『神名帳考証』には、大国御魂神、『神社覈録』では、楠本神社を「古事記」仁徳天皇の段に見る巨樹の霊とし、当社を水の霊と推定、また摩湯の墓に由縁のあるもの、『大阪府神社明細帳』には、伊佐奈岐命・菅原道真としている。
境内は壱千壱百六拾四坪を有し、本殿拝殿を存す。(『大阪府全志』から抜粋
摩湯山古墳は不破内親王の墓との伝説がある。塩焼王(天武天皇の孫)との間の氷上川継が謀反を起こし、連座した母の内親王は淡路にナガされ、さらに和泉に徒せられた折り、淡路国の伊佐奈岐神社より勧請されたのが当社との伝聞がある。そうであれば、創建は連暦十四年(795)頃となる。
本殿
摩湯山古墳 古墳時代前期のもの
たたずまい
拝殿と本殿は北向きであった。『平成祭りデータ』の祭神は菅原道真一柱となっているのはそれゆえであろう。京都には、北向見返天満宮がある。
また、伊佐奈岐神が北向きの神社に祀られるはずがない。
お祭り
10月 8日 秋季例大祭
境内掲示板
由来
当社は延喜式神明帳に記載されている古社ではあるが創建についての直接の史料は現存せず、言い伝えとして、聖武天皇の皇女「不破内親王」が延暦十四年(七九五年)に淡路より当地に移り住まわれた際に伊弉諾(いざなぎ)神宮より分祀されたものとされている。
永正十四年(一五一七年)に社殿が改築され、菅原道真が合祀された、なお、当社は明治五年に村社となり以降、摩湯の産土神として氏子たちに守られてきた。
淡路神社は明治の廃仏毀釈により神社のみとなったが、それ以前は神仏習合であリ長泉寺が同一の境内に存在した。その名残が長泉寺井戸であリ、当時の仏像は町にて保管され現在は大師堂に安置されている。
当社は北緯三四度二七分四六秒、東経一三五度二六分一〇秒に位置し、伊弉諾神宮と伊勢神宮を結ぶ線上に祭祀されているとの説も在り、参道鳥居前には伊勢神宮遙拝の大神宮灯篭が建立されている。
尚、新参道の大鳥居は昭和五六年に建立され、新拝殿は平成一〇年に本殿の修復に併せ建て替えられた。
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