因佐神社
出雲市大社町杵築北3008(稲佐) its-mo
鳥居

交通
出雲大社西2km
祭神
建御雷神
社殿
由緒
出雲郡の式内社。『出雲国風土記』には、伊奈佐乃社とあり、イナサと訓する。
『古事記』の国譲りの話。
天照大神は建御雷神に副へて天鳥船神を大国主の下に遣はしたまひき。この二柱の神、出雲国の伊耶佐)の小浜に降りて、十掬剣を抜き、逆に浪の穂に刺し立て、その剣の前に跌み坐して、その大国主神に問ひて言りたまはく、「天照大御神・高木神の命を以て、問ひに使はせり。汝のうしはける葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さしたまひき。故、汝の心奈何に」とのりたまひき。
と云うことで、国譲りの交渉が行われ、大国主神の御子神の事代主神は承諾し、建御名方神は抵抗したが建御雷神に諏訪湖のほとりまで追いつめられて降参、大国主神は日継の御子の宮殿と同様の宮殿を建てれば、そこに隠れるとことになった。
神社の南100mの場所に屏風のような磐が立っている。国譲りの談判の場所だと云われている。
屏風岩
説明の絵
稲佐の海岸
稲佐の海岸の弁天島と夕陽。
お姿
集落の中に東を向いて鎮座している。 拝殿はなく、本殿だけの神社。出雲大社の摂社となっている。
『式内社調査報告』に、「稲佐明神」と呼ばれていたこともあるが、一般に「速玉社」と呼称されていたとある。謡曲「大社」(天文年間観世彌次郎作)に「揺々出雲の国大社は三十八社を勧請の地なり。然れば五人の王子おはします。(中略)第三は伊奈佐の速玉の神、常陸鹿島の明神とかや。云々」とある。
お祭り
1月 13日 5月13日 9月13日 10月25日 例祭
参考 『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』
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