![]() 南河内郡河南町白木 ゼンリン白木 ゼンリン多々良 ![]()
交通案内
白木神社跡 中央の男性の足下に井戸 ![]()
近くに多々良地名や多々良宮があり、多々良千軒と云われたほど繁栄していたようだ。楠木家に仕えたが、北朝の畠山氏が楠木氏を滅ぼしたので多々良村もすっかり荒廃してしまった。
『後太平記』に云う、多々良氏野上修理亮は楠木家に仕えて誉あり。然れども次第に衰え、終には正勝十津川の方へ漂白し、和田等も悉く何処ともなく蓄電せし故、多々良の某も我館をたちのかんとせしが、まず琳聖太子の宮に詣で、お暇を乞せしと書けり。。。。この多々良の某は長坂白木の間に住しと見えたり。多々良の谷と云う所にあり。琳聖太子は多々良氏の祖神也。仍て我館の辺に琳聖太子 を請して宮を建、氏神とせしと聞こえたり。(可正旧記)
白木神社跡 向こうが代官所跡の邸宅 一万石の代官 ![]() ![]() ![]()
白木神社跡は単なる草むらである。奧に井戸が残っているのが神社跡を物語っていると云う。神社の向かいには旧代官所があり、現在も旧庄屋さんの住む家のように見える。一万石の代官であり、白木藩とも呼ばれた。 千軒の西の台地の上に鎮座していた多々良宮跡も草むらとして残されている。白木神社と同じく手入れがなされている。両社とも木々が鬱蒼とした神社であったと云う。 建水分神社には、楠木氏が敬った多々羅神社が合祀されている。
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