![]() 岡山市北区吉備津795 福田海本部内8 mapfan ![]() 交通案内 日本文教出版社 藤井駿氏『吉備津神社』から。 吉備の中山は備前と備中に折半されているが、その両国の境に古くから有木山があり、そこに有木神社があった。昔は備中吉備津宮の末社で「針間海自加直之神父子三神」を祀ると旧記に見えるが、明治になって本社に合併され、今は小祠があるに過ぎない。しかし、後三条天皇の治暦四年(1068)、主基方備中国御屏風に、「有木山に神祠あり」という山祠の風景が描かれた。また、土御門天皇の建久九年(1198)の大嘗祭主基方屏風に、「細谷川菊花多開。谷下有人家汲菊水」や「有木山白雪積」の風景が描かれたというから、この社名は既に都に聞こえていたことになる。
不動岩から上に登った所に有木神社の祠がある。不動岩は有木神社の磐座であったものと思われる。 牛は田畑の耕作の労役につとめ、やがて飼い主の手を離れ、解体されて肉となり皮となって人の役に立って来た。牛の鼻に穴を穿ち、鼻輪(鼻ぐり)をしていた。牛の恩に報いるたねに鼻ぐりを唯一の形見として集めて浄祭しているのがここの鼻ぐり塚で、700万個を越え、毎年数万個が寄せられていると言う。 ![]()
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