近江 甲賀 滋賀県甲賀市甲南町森尻310 ゼンリン 交通
祭神
由緒
古事記・大国主の系譜の條の中に「この神(大国主の神)、葦那陀迦[アシナダカ]の神またの名は八河江比売[ヤガハエヒメ]に娶ひて生みませる子、連甕の多気佐波夜遅奴美[タケサハヂヌミ]の神。」 と出ている。 また同・応神天皇后妃と皇子女と條に「品陀和気の命、(中略)また丸邇[ワニ]の比布礼[ヒフレ]の意富美[オホミ]が女、名は宮主矢河枝[ヤカハエ]比売に娶ひて生みませる御子、宇遅[ウヂ]の和紀郎子[ワキイラツコ]、次に八田の若郎女[ワキイラツメ]、次に女鳥[メトリ]の王。三柱。」 と載っている。 上記記述の時代は神代と人皇時代とかけ離れている。矢川枝姫命とはこの地域の女王の世襲名であったとか、昔の一つの伝承を神代と人皇時代に適宜配分して記述したとか、応神天皇は大国主也との説の根拠の一つになったりするのである。 葦那陀迦の神は近江では、近江浅井(東浅井郡虎姫町中野)の矢合神社にも祀られている。矢合神社の由緒書にも「水辺を司る」と出ている。
「矢」は、多い、湿地帯を表す野、急流、丹塗矢に見える男神の象徴とか、が考えられる。 古代の共通語から見ると、矢川神社は、他に、「 ya = 神」「kawa = 川」とおいて、「川・神」または「kawwa = 鳥」で「鳥・神」と読める。 祭神の矢川枝姫命「ヤガハえひめ」の「ヤガワ」は神族、エヒメは偉い(エ)、(ヒ)、目=役職者(メ)であろう。御神体の川への掛詞となっている。(焼尻説) 矢川神社の創建は、聖武天皇の紫香楽宮造営時と伝わる。延喜式内社甲賀八座の筆頭に置かれている。 お姿
お祭り
矢川神社由緒書
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