佐渡國:9座 並小
羽茂郡[ハモチ]:2座並小
度津神社[ワタツ]
度津神社[わたつ]「五十猛命 配 大屋都姫命、抓津姫命」社名の[わたつ]から推測して古くは越後佐渡間の航海を司る[渡りの神]であったと伝えられる。
すなわち海童神を祀るとも伝えられる。しかし航海神として五十猛命は神功皇后の航海の守り神となっており、荒海を渡る人々が五十猛命を祀ったとしても不思議ではない。
佐渡一ノ宮度津神社参拝の栞
度津神社略記 当社は佐渡国、延喜式内九社の第一にして、古来一ノ宮と称せられる。 文明二年(一四七〇年)六月の羽茂川大洪水に社地流失し、由緒、縁起、古文書はも とより別当坊に至まで悉く烏有に帰したるため、創立年月其の他詳かではない。 その後、今の地を卜占し新築御遷座申し上げたるものにして、明治四年、国幣小社に 列格仰出されました。現在の御本殿は宝永六年(一七〇九年)に、幣殿、拝殿は昭和 十二年、御造営申し上げたるものですが、幣殿拝殿は全部台湾アリ山産の桧で造られ 、其の形態、技法、共に日本建築の粋をあつめた御社殿であります。 |