由緒 平成祭礼データから
社の創立については明らかでないが、往古より肝川村鎮守として祀られている。
本殿は国の重要文化財に指定されている建造物で覆屋に囲まれている。昭和六三年七月より前面解体修理工事が国の補助事業として施行され平成元年十一月に完了した。現在の本殿は棟札や建物部材に記されていた墨書により室町時代後期の大永四年(一五二四年)二月に上棟された事がわかる。また造営された大工についても「ミノ三郎二郎衛門」「つくなみ源三郎」「ををい孫七」他数名の名前が発見されている。
これらの地名は現在の川西市見野、猪名川町槻並、北田原字大井に当たり地域の大工が造営に当たったものと考えられる。その後安永七年(一七七八年)に社殿の移転があり、南方役三百米の山腹より現在の地に移されたことが記録により判明している。また、明治以降に屋根が杉皮葺に変更されていたが、今回の修理で板葺屋根に復元した。
この本殿は古い時代よりの保存状態が良く、しかも風化が少ない。従って造営後早い時期に覆屋は本殿工事に伴って新築されたものである。
尚、国附指定を受けている造営時の「蟇股」の一部が保存されている。
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