![]() 兵庫県尼崎市武庫之荘西2-46-23mapfan 鳥居 ![]() 交通 阪急武庫之荘駅 西 400m
拝殿 ![]() 由緒 『古事記』ここに大山津見神、石長比売を返したまひしによりて、大く恥ぢ、白し送りて言はく、「我が女二並べて立奉りし由は、石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石の如く、常盤に堅盤に動かず坐さむ。また、木花之佐久夜比売を使はさば、木の花の栄ゆるが如栄えまさむと、誓ひて貢進りき。かく石長比売を返さしめて、独り木花之佐久夜毘売を留めたまひし故に、天つ神の御子の御寿は、木の花のあまひのみ坐さむ」といひき。故、ここをもちて今に至るまで、天皇命等の御命長からざるなり。 神話の時代と近年とは天皇は長生きのようだが、記紀編纂の頃は短かったようだ。 この磐長姫神社の創建は良くわからない。元禄五年(1622)の石鳥居があり、この時代には鎮座していた。 おそらく、尼崎市西本町に貴布禰神社が鎮座、山城の貴船神社の伝承に「反正帝の頃尊い神様が瀬戸内から尼崎に上陸され貴布禰川の川上に鎮まられた」とあるように、歴史のある貴布禰神社が鎮座しており、山城貴船神社の中宮(結社:ゆいのやしろ)の御祭神は磐長姫命であり、貴布禰神社との関連で鎮座されているのではなかろうか。 磐長姫はその名の通り、常しえに不変の神であり、まさに常世の女神である。常世の神々の依り代は橘であり、海辺の尼崎はまさに常世との接点である。 本殿 ![]() お姿
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