四天王寺・庚申堂
大阪市天王寺区堀越町2 mapfan
庚申堂

交通
天王寺駅北 400m
祭神
青面金剛童子
三猿堂、九頭竜神社
由緒
飛鳥時代の末、疫病がはやった。天王寺の毫範僧都が、人々を助けようと「天」に祈っていると、正月七日の庚申の刻に、年のころ十六歳位の童子(青面金剛童子)が現れた。天の命によって、除災無病の方便をあたえると告げた。それで庚申の日に青面金剛童子に祈れば必ず願いがかなえられる。
青面金剛童子は帝釈天の使者で、仏教系の信仰でもあるが、「天」に祈る、「天の命」と云う事で、道教系の信仰も入っている。
青面金剛童子
各地で庚申さんが祭られており、夜の遅くまで起きていると云う共通点がある。祭神は青面金剛童子や薩田彦神、三猿図などを祭るが、日本ではここが本家本元であった。
夜遅くまで起きていると云う事は、三尸説の影響が強いと言う。
人間の身中には、三尸と云う虫がいる。三尸とは形がなく霊魂・鬼神のたぐい。この虫はその宿主を早く死なせたいと思っている。人が死ぬとその虫は思いのままに浮かれ歩き、死者に供えたものを食べることができるからだ。庚申の夜になると、いつも天に昇って、人の命を司る司命神に、その人が犯した過失を報告する。罪の大きな者に対しては、紀を奪う。紀とはとは三百日である。罪の小さな者に対しては、算を奪う。算とは三日である。
三尸が宿主を抜け出すのは、人が眠った時であると考えられた。だから庚申の夜は、寝ないで居て、三尸が抜け出すのを防ぐことにしたのである。
待ち庚申、庚申待ちである。
三猿堂

九頭竜神社
お姿
四天王寺の南門から300m程南にある。 昔は境内であったと云う。寺院も広かった。神社も広かった。民衆はそのような巨大な寺院神社屋敷からはみ出した所にゴチャゴチャと住んでいた。
参考 『日本の道教遺跡』福永光司ほか
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