![]() 神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 its-mo ![]() 交通 JR住吉 西200m
摂社 ![]()
由緒 当社で500円で頂いた『本住吉神社紀』によると「箕面市の勝尾寺文書(1247年)をひき、この時代に当社に奉仕していた津守氏が「大阪へ遷すもとの住吉」と意をもって、『本住吉』と謂ったと解説している。住吉大社の元社であれば、凄い格式と言える。尤もこの津守氏の意は当神社の推定と思われる。 さて『日本書紀』神功皇后紀に出てくる住吉三神和魂の鎮座した「大津渟中倉之長峡」とはどこであるのかがこの神社の由緒に大きく関わる。ほぼ大阪の住吉大社鎮座地に比定する説が有力である。
神社が式内社、かっては墨の江と呼ばれた住吉の地であるが、本住吉付近には墨の江と呼ばれた形跡はない云々、と大合唱である。 『日本書紀』には和魂を祀れば、便(すなわち)ち因りて、往来の船を看(みそなは)む」とのたまう。と出ている。この「往来」と言う言葉であるが、大阪の住吉の場合には港として出船入船の雰囲気であるが、本住吉の地はその前を往来する言葉にぴったり当てはまる感じでを受ける。勿論往来することは出船入船が不可欠で、安全祈願は港で行うのが普通であり、大阪の住吉大社に分がありそうだ。 駅から近い所に鎮座、境内地は広い。太閤検地以前はもっと広かったようである。 徳川時代に寺社領を寄贈されている。その御も洪水、戦争、震災と災害に遭ってきているが、現在も拝殿屋根を葺き替え工事中であり、氏子の人々の支えは大きいようだ。
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