素盞嗚尊神社(鷹合神社)
大阪市東住吉区鷹合4-5-22
交通
近鉄南大阪線矢田駅北700mやや西 mapfan
鳥居
祭神
素盞嗚尊
摂社
鷹合稲荷社「稻荷大明神」、白姫社「巳之神白姫大明神」、伊勢神宮遥拝所「伊勢神宮内宮外宮」
由緒
当社は往古地名に因んで鷹合神社と称し、また牛頭天王とも称し、村の東方の神所と言う小字に鎮座していたのを後年現在地へ遷座したもの。
天正年中に武田信玄の臣沼田重光がこの地に来り、村民の信頼を得て当社に奉仕していたが数年足らずで大坂に移去した際、当社の旧記全部を持ち去ったため、由緒は不明であるが、住吉神社の旧神官青蓮寺という家の記録の内に、延徳元年(
1489年)八月云々と記録されているので、当社の創祀はその以前であろう。
『日本書紀仁徳紀四十三年』依網の屯倉の阿珥古が変わった鳥を捕らえて天皇に奉り、「私はいつも網を張って鳥を捕っていますが、まだこんな鳥を捕ったことはありません。
珍しいので献上いたします。」といった。天皇が酒君をよんで、これは何の鳥かと尋ねられた。酒君が答えて、「この鳥の類は百済には沢山います。
馴らすと人によく従います。また速く飛んでいろいろの鳥を取ります。百済の人はこの鳥を倶知(くち)といいます。」といった。 これは今の鷹である。酒君に授けて養わせた。いくらも経たぬうちに馴れた。酒君はなめし革のひもをその足につけ、小鈴をその尾につけ、腕の上にとまらせ天皇に奉った。
この日百舌鳥野におでましになって狩りをされた。その時雌雉が沢山飛び立った。そこで鷹を放って捕らせると、たちまち数十の雉を得た。
この月はじめて鷹甘部を定めた。時の人はその鷹を飼うところを名付けて鷹飼邑といった。
注:酒君は百済王の王族
当神社との関連は不明だが『摂津国名所図絵』には鷹飼邑は今の鷹合村としている。
本殿と伊勢神功遙拝所の石 穴が開いているのが面白い。

お姿
下町風の民家が密集している地域に鎮座。大切にされている雰囲気が漂う。
お祭り
7月13日 2日間 夏季大祭、10月12日
2日間 例祭秋祭
公式鷹合神社
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