綱敷天満神社
神戸市東灘区御影町石屋字八色岡1 地図
鳥居

交通
阪急御影駅 南西1km
祭神
菅原道眞 配祀 別雷大神、蒼稻魂大神
拝殿

由緒
「御影の天神さま」と親しまれている。
社伝によると、「茨城国造であった天道根命が別雷神を祀るに始まり、天津彦根命に伝えられ、子孫代々これを鎮祭す。聖徳太子が四天王寺建立の時に、御影山より石を求められた時に、蒼稲魂神を合わせ祠る」とある。
『国造本紀』では、「茨城国造は天津彦根命孫筑紫刀祢」であり、「天道根命は紀伊国造」となっている。天道根命と別雷神との関係や当地との関係は興味のある所だが、よく分からない所。
後堀川院の頃(1212〜1234)、菅原道真公の九世の孫、菅原善輝公が太宰府の神官に任ぜられ、筑紫に赴く途中、道真公と由緒のある当地に社を建立し、綱敷天満宮と名付けて、別雷神と蒼稻魂神を合わせ祀った。
本殿

社殿

お姿
一月八日に行われる綱打神事は全国的にも珍しい行事。
文治二年(1186)より始まっている。
小綱三十六本を十二本づつの三束にして練り合わせ大綱を作り、海中に沈めて清めた上で神前に奉納し、注連縄にこの大綱を巻くように張り渡し、八本の矢を突き刺し、多くの榊葉を束ねて下に吊し、御幣と麻の緒を付ける。この注連柱全体が祓えの具であり、これをくぐり抜けると一年間無病息災で暮らせると伝えられる。
境内は広く木々が多い。自動車も多く駐車しているのは月極で運営しているようだ。この地域の神社は殆どが空き地を駐車場として運営しているようだ。
牛神が祀られている。牛はクサを食べる。これより出物・腫れ物・その他病気の元を食べ病を治すとされる。
摂社 牛神

三星大神とする神社がある。大石に椿彦尊、中石に椿姫大神・添木主大神と彫っている。また石の祠も並んでいる。なにかよく分からないが正一位とあるから稲荷さんだろう。
摂社 三星大神

お祭り
1月 8日 綱打祭 9月25日 例祭
桜ケ丘銅鐸出土地と綱敷天満神社、御旅所
畏敬するどんたくさんが記るされた文章があります。ここに採録するとともに、氏から頂いた阪神大震災以前の神社と社宝の写真を掲載します。
HP doutakusinpo1998 001/003 YIG00127 から引用
神戸市東灘区御影町石屋字八色岡 ヤグサオカ というところに、綱敷天満神社 という神社があります。 (日本書紀にいう、「八色雷公」と同じ、ヤグサという地名に注意!)
菅原道真公が大宰府に向かわれる途中で、綱を敷いて休まれたという、 言い伝えのある神社です。 (同様の言い伝えが残っている神社は他にもいくつかあるようですが・・)
菅原道真公は、土師部の系譜で、その祖先は出雲の野見宿禰です。 すなわち、天孫系・先住系の別でいうならば、先住系の系譜の人です。
そうして、菅原道真公は、学問の神様であると同時に、雷の神様でも あります。 恐らくこの土地には、ずっと以前から、先住系の人たちが住んでいて、
太宰府へ向かう途中の道真公が立ち寄られたのではないか、と思われます。
この神社に参拝すると、参拝する方向は、真北より少し西寄りの方角に 向かって拝むことになりますが、神殿の遥か向こうには、六甲山系の山が
見えます。
そして、そこには、有名な桜ケ丘銅鐸の出土地点があるのです。 すなわち、この神社に参拝すると、丁度桜ケ丘銅鐸出土地点を遥拝する
ような形となります。
さらにこの神社の南方、海岸に近いところに、この神社のお旅所があります。
そして、桜ケ丘銅鐸出土地点−−綱敷天満神社−−お旅所 が、 丁度一直線に並んでいるのです。
これを、単なる偶然と笑いとばすか、それとも、何かを感じ取るかは、 皆さんにお任せいたします。
ちなみに、この神社は3年前の阪神大震災で全壊しましたが、最近鉄筋 コンクリート造で再建されました。 神殿の向きは、以前と全く同じ方角を保っています。
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参考 『神戸の神社』、『平成祭礼CD』
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