『姫路の神社』(神戸新聞社)から
明治初期には既に鎮座していたと云う。古社を訪ねるつもりであったが、何故かこの神社に行き当たってしまった。昭和初期に玉垣を新築、当時はさまざまな出店が並び、舞台を組んで芸人が芸を披露するなど大いに賑わったようである。
太平洋戦争でこの地域一面が焼け野原になり、当社も焼失した。
戦後、五穀豊穣を願う農区の人達により京都の伏見稲荷大社から神様をお迎えして再建した。昭和四十年頃、周辺の開発が進み、区画整理もあって現在地に遷座、またその後農家が減少した。
現在は自治会が毎年三月の午の日に祭礼を行っている。
社殿
祭礼 3月の土日祝で午の日 例祭 |