|
ハイヌヴェレ神話 モルッカ諸島のセラム島に伝わる。 この世にはじめて人間が現れた頃、アメタと言う男が、あるいきさつから生えたヤシの木に出来た女の子を家に連れてきてハイヌヴェレと名づけた。 その子は三日にしてたちまち大人の女になった。ハイヌヴェレは用便をすると、いろいろ貴重な品を排泄した。 ある広場での舞踏会の夜、舞踏する男達に殺されて埋められた。 アメタはハイヌヴェレの死体を探し当てて、掘り出し、死体を細かく切断して、舞踏広場の各所に埋めた。埋められたハイヌヴェレの死体は、当時未だ地上に存在していなかったいろいろなもの、とりわけ芋に変わった。
以後、人間はこの芋を食べて生きるようになった。
縄文土偶の埋葬
縄文人は土偶を作りました。土偶からは、大半の日本人が置き忘れてしまった情念のほとばしりを感じます。 土偶は女性の体を模しています。その特徴をいかんなく示しています。大きな乳房、豊満な腰、中には妊娠した腹を強調しています。 目や口の付いるものは、奇怪な印象を与える様です。豊穣の呪術、生む力の励起が願われたのでしょう。
土偶は体の各部と別々に作り、それらをつなぎ合わせて作っています。壊れやすく作っているのです。壊すために作っていると言えます。 更にその出土の具合から見ると、壊された土偶の各部分は別々の場所に埋められていたようです。 何故壊され、なぜ離れて埋められねばならなかったのか、先のハイヌヴェレ神話を再現した豊穣祈願の呪術的な祭がなされたと言う事でしょう。
月読命の訪問根の国、夜の国を司る大神が先ず登場するのです。特に月読命は「月」を象徴している名の神です。月の満ち欠けは死と再生の天空ショウです。うってつけの役回りです。 種子は天照御大神が育てます。太陽の下でしか農作物は育ちません。太陽と水と大地、これらの神々が次の時代の主役となります。
火と食物の神話 ミシシッピ河 ナチェズ族伝わる話。 昔、一人の女が二人の少女と暮らしていました。食べ物がなくなると、女は籠を持って小屋に入り、じきに籠をいっぱいにして出てきました。
ある日、少女達が好奇心を起こして小屋の中をこっそり見ましたが、からっぽでした。
「どこから、食物を持ってくるのかしら。小屋の中で何をしているのか、こっそり見てみましょう。」
しばらくして、食物がなくなりました。女がいつものように小屋に入って行きました。少女達はこっそり後をつけ、壁のすきまから、中の様子をのぞき見しました。
すると女は、籠の上に立ち、股を開いて、身体をふるわせていました。そうするとガサゴソと音がして、籠はたちまちトウモロコシでいっぱいになりました。
この様子を見ていた少女達は、「あんな汚いものを食べるのはよしましょう。女の大便を食べさせていたのね。」
女は食事をととのえましたが、少女達は食べようとはしませんでした。覗かれた事を悟った女は言いました。
「これが汚くて食べられないのなら、私を殺して、死体を燃やしなさい。そうすると夏になったら、その場所から、いろいろなものが生えてきます。それらを畑に植えなさい。美が熟すと美味しい食物になります。それを食べて生きていきなさい。
少女達が言われた通りにすると、女の死体を焼いた地面から、夏になると、トウモロコシ、カボチャ、豆が生えてきました。
ミシシッピ河へたどり着いた原人達は、ベーリング海峡を越えて行ったのか、また大海原を漂ってたどり着いたのか、大いなる距離と時間の旅路の果てにまで、よくぞ語りついだものと驚嘆します。
では、次は、焼き畑農耕をご覧下さい。 画像リンク先 日本最古の土偶(縄文時代草創期)の発見について |