「栞」から
武信稲荷神社は、平安時代の初期、清和天皇貞観元年(859)二月、西三条大臣と言われた右大臣左近衛大将 藤原良相公によって創祀された神社であります。その後に、藤原武信という方がこの御社を厚く信仰されたことにより、武信稲荷と称されて、創祀以来千百余年にわたり広く人々に信仰されて今日におよんでいます。
稲荷大神への信仰は、我々日本民族が持つ代表的・普遍的な信仰であり、人間の最も大切な生命に対する望願であり祈願であります。人間を始め万物の生命が生まれ育つのは、この大自然、大宇宙に人智を越えた神秘な力が存在することによるものであり、その無限の生命力を稲荷大神の御神威、御恵みとして信仰するのが稲荷信仰であります。
拝殿
本殿
祭礼
榎の大木は樹齢850年と言われる。この榎には坂本龍馬とおりょうの物語がある。おりょうの父親の楢崎将作も安政の大獄で獄舎に捕らえられた。龍馬もお尋ね者の身なので、二人は父の様子をこの木に登って安否を探ったと言う。
龍馬とおりょうが生き別れになった際、龍馬がこの木の幹に龍と言う字を彫っておりょうに安否を知らせたと言う。
なお、この榎は平の重盛が安芸の厳島神社から苗木を持ってきたと伝わる。
榎と本殿
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