大阪市中央区玉造-3-8 mits-mo ![]() 祭神 配祀 下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命 主神 宇迦之御魂大神 |
創祀埀仁天皇十八年の創建で、比売社と言われた。比売神とは祭神トップの下照姫命であろうか。はたまた、伊勢神宮創建八年前であり、豊受之大神を祭ったのであろうか。 豊受之大神については次の伝承が残っているとのこと。*1
社殿と秀頼の鳥居の残滓 ![]() ![]() 天正十一年豊臣氏五百石の朱印地を寄進した。
慶長八年秀頼が社殿を再建したが、元和元年の大阪夏の陣に炎上した。 後、大阪城の守護神となり稲荷五幸大明神と仰がれ、「豊津稲荷社」と称した。 四天王寺の最初の創建の場所とされる。587年。
七月十五・十六日 (夏祭) 十月十四・十五日 (秋祭) |
当地は難波玉作部の居住地で、この地で勾玉などを作っていたと云う。ここから八尾の玉祖神社にお参りに行ったそうだ。
鳥居の横に玉作岡と云う石碑があり、その後に仁徳天皇の高津宮であるとの説明があるが、この狭い岡を高津宮と云っているのではなく、ここを含む上町台地の高台全体をさして、高津宮であり、難波長柄豊埼宮であり、後期難波の宮の地であると言っているようだ。
当社の分社として、東雲稲荷神社が大阪市中央区上町1丁目8−3 ゼンリン。に鎮座。
北側からストンと低くなった場所に鎮座。新山稲荷との名であったが、東雲(いののめ)稲荷神社と改名している。