中言神社(なかごと)
和歌山市吉原 ゼンリン
鳥居と拝殿
交通案内
阪和線 天王寺→和歌山
和歌山バス亀川経由海南藤白行き南吉原下車 徒歩5分、このバスは駅発。10時40分、13:10,15:40です。
貴志川線 和歌山→竈山 南へ徒歩20分、吉原から西へ名草山方面へ
祭神
名草彦命、名草姫命
境内社 天満社、八王子社
摂社(手前)と本殿
由緒
紀洲図絵に吉原の里中言大明神として、壮大な神殿の絵が残っている。名草姫を祀る本社であった。
神武東征紀で賊として殺された名草戸畔を祀っているからこそ、これほどの神殿に祀られたものであろう。
お姿
名草山の北東にあたかも山が御神体であるがごとく鎮座。従って本殿背後は山であり、周辺にも木々が多い。
本殿、旧神殿跡の石碑

紀伊国名所図絵から
お祭り
12月14日 火焚祭
紀伊續風土記 巻之十八 名草郡 五箇荘 吉原村から
○中言大明神社 境内東西三十間 南北十八間餘 禁殺生
本 社 一間三尺 二間 二扉 拜殿 御供所
廰 瑞籬 鳥居
末社
天満宮 方三尺 八王子社 方三尺
本國神名帳従四位上名草彦神名草姫神
村の申の方山裙にあり 祀神名草彦天ノ道根ノ命五世の裔なり 姓氏録和泉国ノ神別大村ノ直紀ノ直ノ同祖 名草彦男枳彌都彌[キミツミ]ノ命之後也又高野大名草彦之後也と見えたり
名草姫國造家舊記に中言社ノ祭文あり其文に曰兩神者國神而男女兩神也名草郡殊此名草宮地之主鎮護庵也故奉號名草姫命名草彦命也[フタカミハクニツカミニテメヲフタハシラナリナクキノコホリコトニコノナクサ田ミヤトコノヲウシハキマモリマスカミナリこのユエマツルナツケテナクサヒメノミコトナクサヒコノミコト]とあり日前宮應永六年(1399年)神事記曰正月十七日名草姫西ノ社御祭とあれば其頃は兩社ありて祀りしなり
其祭禮に沙門入道を忌むこと又日前宮舊記に見ゆ 當社は二神を齋ひ祀るの初とす所々に中言社と稱するは皆當社を遷し祠れるなり 中言と稱するは中は中臣の中と同しく言は即事なり名草ノ國造として神と君との御中を執持て事を執行ふ職なれは中言と稱せしなるへし
當社舊一荘の産土神なり 今黒江冬野朝日三葛皆當社を勧請して村中に祭る因りて吉原廣原の氏神の如くなれり 國造家寛永記に舊社領百二十石とあり寛文記に舊は神輿渡御あり
天正の兵亂に社領没収せらると見ゆ 祭禮六月十二日九月八日なり 神主林氏 応永十五年(1408年)寄進状明応三年(1494年)坐配定の文書を蔵む
文安二年(1445年)為利ノ文書寳徳二年(1450年)識久安文書康正元年(1455年)三宅蔵人ノ文書元亀元年(1570年)ノ文書以上四通寫あり |
古代史街道 紀ノ国編
丹生都姫伝承
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