荒田神社
岩出市大字森237 ゼンリン
交通案内
和歌山線岩出駅よりバス紀伊駅行き森下車西へ
阪和線紀伊駅よりバス岩出行き森下車西へ
祭神
天疎向津姫命、気長足姫命、誉田別命 ほか
摂社 丹生神社、八坂神社
由緒
天正の兵火(秀吉の根来攻め)による焼失の為、古文書は残っておらず、創祀時などは不明である。 江戸時代に編集された紀伊続風土記には配神として「高魂神、剣根命」とあり、摂社に丹生明神社が記載されている。
お姿
拝殿は荒れているが本殿は流造の堂板葺きであり、厳かである。
社叢は楠木の大木が目立ち、遠くからでも、立派な鎮守の杜が見える。
本殿

お祭り
10月5日
紀伊国名所図会から
紀伊續風土記 巻之二十八 那賀郡 弘田荘 森村から
○荒田神社 境内周二町四十間 禁殺生
祀 神 高魂命 剣根命
拝 殿 神 楽 所 御 供 所
摂 社 丹生明神社
末 社 二 社 春日明神社 八幡・愛宕社
延喜式神名帳那賀郡荒田神社二座
本国神名帳那賀郡地祇従四位上荒田神
森堀口川尻今中西坂本押川六箇村の産土神なり 古は岩出山崎両荘の総産土神にて荘中の末社百二十社といひ伝う 祠宇も荘厳に神職も九名あり 社領十町八段二畝ありしに天正の兵火に罹りて祠宇盡焼亡し縁起寄附状賓物専皆紛失し社領皆没収せらる 是より神事祭礼廃絶す 且中古以来両部に祭りて社地に別当寺を置来れり 寛文年中 命あありて唯一に復しで別当寺を外に移し神事祭礼稍々旧に復する事を得たり 此神は式に二座とありて和泉ノ国大鳥郡陶器ノ荘にも陶荒田神社二座と見ゆるに後世両部に祀りし時改めしにや 宮居三社造となし来り 且地名弘田なるを以て摂津ノ国広田ノ社と同神にて 天疎向津姫ノ尊とし 神功皇后 誉田別天皇を
合せ祀るといひ三座の数に合せたる説あれとも牽強付会にして取るに足らす 神主を西掘氏といふ
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