日神社
和歌山県西牟婁郡白浜町富田1177 its-mo
鳥居と拝殿
交通案内
紀勢線 天王寺→和歌山→富田駅 富田橋を渡り北へ少し。
祭神
天照皇大神
摂社 厳島神社
本殿
由緒
地元の方は日輪さんと呼んでいる。
六条天皇の時代、仁安二年(1167)熊野別当の後裔の吉田少将藤原範秀が自ら所有する山林を開拓し、伊勢に鎮座する天照大神の分霊を奉齋したのが創祀。従ってこの地を伊勢谷と言うようだ。
創建以来富田十二ヶ村の産土神で往古は社領も多く、著名な大社であったが、天正十三年(1585)に兵火にあい、長床、宝蔵、神楽殿が火災にかかり、社領も召し上げられた。
明治までは若一王子宮と称した。
本殿
お姿
富田川の左岸に西を向いて鎮座、沈む夕陽が実に美しく見える。四国の山々に落ちる。
本殿の真後ろに池があり、厳島神社が鎮座、奥の宮のように感じる。
本殿は県指定文化財。江戸時代後期に再建されたもの、随所に地方色の強い彫刻を施している。
摂社も県指定文化財である。
摂社 厳島神社 若宮神社など
お祭り
4月 19日
沈む夕陽
紀伊續風土記 巻之七十三 牟婁郡 富田荘 十九淵村から
○若一王子権現社 境内山周十六町
摂 社 住 吉 社
末 社 若 宮 稲荷社 弁財天社
小名伊勢谷にあり 荘中朝来帰堅田の二村を除きて十二箇村の産土神なり 社殿壮麗にして境内も広し 相伝へて熊野本宮第四の宮天照大御神を勧請すといふ 故に此地の名を伊勢谷といふ 此地古は熊野神領なりしならむ 古は祭日に田楽舞流鏑馬もありしに今は絶えたりと云ふ 文亀元年文亀三年文禄五年の棟札あり 神主を吉田大和といひて吉田範秀の後なりと云ふ 社僧一人禰宣二人
十九淵 つづらふち 古くは葛淵
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