熊野古道紀伊路、和歌山県の王子社
千里王子神社と須賀神社
みなべ町山内字千里谷口259
JRきのくに線岩代駅南東3km its-mo
岩代王子からJRきのくに線と42号線の間の古道をくねくねと歩く。
3KMできのくに線を海の方に渡る。歌所である千里ヶ浜である。南部ロイヤルホテルへの道へ行かずに右に進むと岬の上にでる。広い駐車場を下りると千里王子神社が鎮座している。
海岸に面している。 熊野詣での道筋で海岸の白い砂浜を歩くのは始めてと言うことになる。 千里観音堂が後裔ともされる。
千里観音堂
途中の坂道に野仏が並んでいる。
千里浜南端の目津泊り遺跡からは弥生時代から平安時代にかけての大量の製塩土器が出土している。
『大鏡』の花山天皇の「旅の空よはの煙とのぼりなばあまの藻塩火たくかとや見ん」はこの地で歌われたとされる。
千里王子神社 南部町山内
千里王子神社
祭神 倉稻魂命または彦火火出見尊
由緒 桓武天皇の延暦年間に創建されたと伝わる。
貝を拾って供える風習があった。貝の王子と呼ばれたと言う。貝は身が滅んでも美しい姿を残すことから延命長寿の呪力を持つとされた。
南部川村の須賀神社の境外社になっている。
紀伊續風土記 巻之六十八 日高郡 南部荘 山内村から
○千里王子社 境内森山周四町
末社一社 拝殿
千里浜にあり 御幸記に見えたり 中世頽破に及ひしに万治年中(1658〜) 南龍公獅子一対三具足絵馬等を御寄附あり 寛文四年拝殿建立ありて社殿備はれり
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須賀神社 日高郡みなべ町西本庄242 its-mo
須賀神社鳥居
南部駅から南部川を3kmほど遡る。川の右岸(北側)に鎮座する。南側はいわゆる南部梅林である。
祭神 素戔嗚尊 櫛稻田姫命 五男三女八柱神 蛭兒神 大國主神 事代主神 櫛八玉神 大歳神 御年神 若年神
摂社 若宮神社「天忍穗耳尊」、秋葉神社「加具土命」、日吉神社「大山咋命」、千里王子神社「倉稻魂命」
須賀神社社殿
由緒
南部川流域は弥生時代からの穀倉地帯で、丘陵からは銅鐸が多く出土している。
一条天皇の時代に山城国祇園社より、この地に勧請したのが始まりとされる。祇園御霊宮と称し、南部荘の総鎮守とされていた。
江戸時代中期の檜皮葺・一間社隅木入春日造の建物が残り、全体が極彩色で覆われている。
須賀の森の山腹(夜の山)に遷座していたが、何時の時代か遷座している。元地には平坦な馬場跡や祭祀用と推測される弥生式土器が出土している。
祭り
例祭は10月9日に行われ、奉納行事は、競馬、やぶさめ、山車、獅子舞、笠鉾等非常な賑わいを見せる。
須賀神社第一殿第二殿
紀伊續風土記 巻之六十八 日高郡 南部荘 西本荘村から
○祇園御霊宮 境内方四町
本社三社 各表行 六尺四寸
末社六社 拝殿 九間半 三間 籠所 三間半 二間
村中にあり 山内気佐藤北道南植田堺芝吉田徳蔵筋谷東西本荘熊岡山田十五箇村の氏神にして荘中の大社なり 京師御霊宮を勧請せしといふ 縁起旧記等天正(1573〜)の兵火に烏有となりて勧請の来由等詳ならす 棟札数枚あり
明徳四年 領主愛洲兵部大輔入道沙彌明禁并前下野守源朝臣行長若宮造営 文安四年(1447)三宮上葺永正十年(1513)地頭小野氏野辺彌六慶景再興永禄五年(1562)再興等なり 野辺慶景再興の時神戸を寄せ神馬等を献せしといひ伝ふ
境内に御屋形といふ地あり 勧請の時 勅使下向して休息せし地なりといふ 礎あり 今に毎年祭礼に基礎の前にて神前同様に祭式をなす事あり 古は神宮寺二箇所神職数十人あり 神領も多く有しといふ
田地の字に御供田車免次米免油免鉾田等の名あり
今は社僧一人 安養寺芝村にあり 別当一人禰宣二人神子一人あり 別当寺の本尊なりとて今境内に地蔵ノ小堂あり
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切目から南部への地図

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