権現社
大阪府八尾市黒谷1142 ゼンリン
権現社の全景
交通案内
近鉄信貴山口を南へ
祭神
熊野権現
愛宕大神
由緒 社頭石碑
神社明細書には、慶長年間(1596~1614年)熊野権現を勧請したと書かれている。
当初は東側の山頂付近に鎮座、二度の遷座を経て現在地に鎮座。
昭和十五年、神殿、拝殿、玉垣を建設、神社の様式を整えたと言う。
社殿
発見! 玉石?
境内南東隅に力石の刻まれた石碑とその横にいくつかの楕円形と言える丸石が置かれている。
甲斐の国では丸石は道祖神という存在だそうだが、南紀では御神体とする神社が散見される。 南紀での丸石祭祀は社殿がなく、ソラ神様として祀られていた。根の国、常世の国として、万物生成反復に見る生命の円運動とか復活のシンボルとされたのかも。
南紀で玉石を祀った神社。
串本町口和深 矢倉明神社(続風土記に 社なし 木を神体とす 拝殿あり)
串本町田子の江田浦の徳明神社
古座川町土井の平(旧三尾川村) 矢倉明神社
古座川町真砂 寶山明神社
古座川町滝の拝(旧 長洞尾村) 産土神社
本宮町熊野 熊野本宮大社 神殿わき やおよろすの神だそうだ。
この権現社は熊野からの勧請であるので、南紀の信仰が入っているのかも知れない。いずれにしても、大阪で丸石信仰の痕跡らしきものが発見できたと思う。
お姿
近鉄信貴山口でどちらの方角かを尋ねたのだが、「表に地図がある」と言う返事のみだった。 その地図を眺めてもう一つわかりにくかったので聞いたのだが、なんとも不親切この上ない。近所の方が「田舎ですから。」と慰めの言葉を出してくれたが、「普通、田舎の方が親切と思うよ」と憎まれ口をたたいての出発となった。
天照高座神社・岩戸神社を目的として歩き出したのだが、その途中の道路から見下ろせる場所にあった。通り過ぎようと思ったのだがやはり挨拶に寄ろうと思って立ち寄った。
本殿は覆殿の中に守られている。境内は折に触れて拡張してきたようである。
権現社の力石 丸石かも。
『河内名所図会』には黒谷村に、掃部神祠(三代実録記載社)、八大金剛童子祠があると出ているが、当権現社は記載がない。
熊野古道九十九王子社
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