いささか気が重いのは、宮司さんは式内社の都麻都姫神社であると信じておられるのですが、小生は違うと思っています。結論でもめるかな。
1. 伊太祁曽神社の御祭神
祀られている神様は五十猛神、大屋都比売神、都麻都比売神のお三方の神様で、共に素盞嗚尊の御子神と『日本書紀』には記載されています。『日本書紀』とは今残っている日本の最古の歴史書です。これによりますと、素盞嗚尊は高天原で大暴れして、追放されるのです。この時に、その子、五十猛神を率いて、新羅の国に降りられて、曽尸茂梨(ソシモリ)の所においでになった、そこでこの国にはいたくないのだ、と言われて、出雲の国の簸の川の上流にある鳥上の山についた、とあるのです。
更に、以下の事が書かれています。
五十猛神は天降られる時に、たくさんの樹の種を持って下られた。けれども、韓地に植えず、全て持ち帰って筑紫から初めて大八洲の国の中に播き、全部を青山とした。このため五十猛命を名付けて、有功(いさおし)の神とする。紀伊国においでになる。
続いて『日本書紀』には、別の伝承が書かれています。
素盞嗚尊が言うのは「韓郷の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう」と。
「わが子の治める国」とは、この日本列島のことです。これが公式歴史書の『日本書紀』の中に出てくるんです。この国の最高神とされていたと言う事です。沖縄以外の全ての都道府県に祀られています。
天津神の天照大神が現れる以前のこの国の神々としましては、素盞嗚尊の系列が最も神威の強い神々だったのです。天照大神さんのグループを天津神、そうでない神々を国津神と言います。五十猛命は国津神の中の大神だったと言う事です。
『日本書紀』は続いて、「素盞嗚尊は、そこで鬢を抜いて杉、胸毛から檜、尻毛から槙、眉毛を樟をなした。」とあります。素盞嗚尊は木々の用途として杉と樟は船、檜は宮、槙は寝棺を造るのに良いされ、そのために木種を播こうと申され、その子の五十猛神,大屋都比売,都麻都比売の三柱の神がよく木種を播いた。
五十猛神は「紀伊の国にお祀りしてある」と記載されています。
ここに大屋都比売,都麻都比売の女神が出てきます。五十猛命の妹神とされています。伊太祁曽神社の本殿の左右の脇宮に祀られている神様です。
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