蠅声なす掲示板ログ 2002.3 |
[50] 怪しい歴史の話 hvhy [Mail] | 2002/03/31(Sun) 17:02 [Reply] |
中央アジアの歴史において名前が散見される「大月氏/小月氏」。 これを示すかのような「意祁都比売/袁祁都比売」という姉妹。 その後裔であるかのように見える「意祁/袁祁」という兄弟。 古事記の「意祁/袁祁」を日本書紀は「億計/弘計」に作る。 ここで仮に「意祁都/袁祁都」が「大月/小月」とするならば、 「月氏」の「月」は「計都」(Ketu)。その数字は「一」である。 したがって「月氏」=「月支」=「一支」=「壱岐」(伊伎)だが、 これは「百済」の成立に伴い、「月支国」が南下してきた痕跡だろう。 #いずれにしても、古事記・日本書紀を読むことで、 #「月氏」の「月」は「計都」ということが判明する。 #これは「太陽と月」の「月」(moon)とは意味が違う。 |
[49] 「変若水」について hvhy | 2002/03/31(Sun) 14:36 [Reply] |
★★★★★←→★★★★★ ★二七九★←→★水月金★ ★一三五★←→★計土羅★ ★六八四★←→★火日木★ ★★★★★←→★★★★★ 魔方陣の「二」即ち「水」の位置に、 「拆雷」とか「若雷」が来るのでした。(※発言[46][47]を参照) >天橋も、長くもがも、高山も、高くもがも、 >月読の持てる、変若水、い取り来て、 >君に奉りて、変若得てしかも (万葉集3245) 「変若水」(をちみず)という概念なども、 この魔方陣に明確に表われてますね。例えば、 有名な東大寺二月堂の「お水取り」(修二会)。 ここには「二」が「水」である名残が見られます。 「若狭」から「水」を運ぶ。このことも象徴的です。 #中野美代子の『西遊記の秘密』などに、 #中国の煉丹術における最大のポイントは、 #「金が木を殺すこと」と出てくるのですが、 #これは「水が火を殺すこと」にパラレルです。 #繰り返し語られる「男女の神話」のモチーフは、 #まさしく此処にあると思います。例えば祭りの時、 #御輿を担いでいる人に冷水を浴びせる。これは即ち、 #運動により生じる熱(火)を「水」で冷ますわけです。 #「殺す」というのは、こういう意味の「殺す」でしょう。 #つまり「もっと燃えあがる為に火を殺す」ということです。 |
[48] 「背」について hvhy | 2002/03/30(Sat) 22:55 [Reply] |
カバラの起源は中世と言われています。古事記や書紀は8世紀の書物です。(※通説に従えば) もし古事記(や書紀)に「カバラのようなもの」まで書かれているとすると、 これは驚かざるを得ません。インドの「ナクシャトラ」の導入は、述べた通り、 『摩登伽経』『舎頭諫経』『Sardulakarnavadana』あたりにルーツが求められる。 じゃあ「Hod」とか「Netzach」とか、そういう言葉は何処から誰が持ってきたのか。 このあたりになると、ちょっと文献的な材料が見つかりません。どうなんでしょうね。 ★「陰」=「左手」=「背」(水星が照応)……魔方陣の「二」……「Hod」 ★「腹」=「右手」(こちらに金星が照応)……魔方陣の「九」……「Netzach」 ともかくそういう意味で、カバラ、カバラと言っていると、それだけでも 「トンデモ本」に見えてしまう。今はまだ材料が揃いませんが、最終的には、 やはり「トンデモ本」と言われないだけの確たる証拠が求められると思います。 それはそれとして、さらに「背」の意味合いに関し、思いつくところを述べます。 *** 日本書紀に「稲背脛」「稲背入彦」、古事記に「稲瀬毘古」など、 「イナセ」という名辞を負う人物が見られる。この意味に関しては、 例えば「稲背脛」の「稲背」について、古典文学大系がこう頭注する。 >使者として諾否を問う役であるから、 >イナセは否諾(イナセ)の意。(p.139) 今でも「是非」という言葉を使いますが、意味合いとしては、 同じと捉えても構わないと思います。「腹」に対する「背」は、 身体の部位としての「背」に決まってます。しかし、にも拘らず、 「背に在るは稚雷と曰ふ」の「背」は、「否諾」の「諾」でもある。(※諾は若に通じる) >1(尾)10(星)19(婁)……「計都」←これが「Ketu」 >2(心)11(柳)20(奎)……「水星」 >3(房)12(鬼)21(壁)……「土星」 >4(氏)13(井)22(室)……「木星」 >5(亢)14(参)23(危)……「羅喉」←これが「Rahu」 >6(角)15(觜)24(虚)……「火星」 >7(軫)16(畢)25(女)……「月天」 >8(翼)17(昴)26(斗)……「日天」 >9(張)18(胃)27(箕)……「金星」 ところが、「二」という数字の系列に「心」(Jyestha)が属する。 今の英語で言うと、「是非」は「イエスか?ノーか?」という意味。 「イエス」という英語の古形とか、そのルーツは調べておりませんが、 この「イエス」(Yes)という英語は、なんとなく「Jyestha」に繋がる。 さらに加え、「田心姫」の「田心」は「タコリ」と訓じますから、 「背」〜「是」〜「心」と繋がります。以上を総合的に踏まえると、 実は「背に在るは稚雷と曰ふ」の「背」は、この言葉自体がおそらく、 「Jyestha」(摩登伽経で「心」、舎頭諫経で「尊長」)の意味を含む。 「Hod」から離れましたが、こう結論できるように思います。だとすると、 「田心姫」が「田霧姫」にも作られる点が無視できなくなってくるのです。 いったい「Jyestha」(心)が「キリ」(霧)とは、どういうことでしょう? #この書き込みは、ほとんど悪乗りの範疇なので、 #忘れていただいて結構です。ただそうは言っても、 #「背」なる言葉の意味は、考察の対象と思われます。 |
[47] [46] の補足 hvhy | 2002/03/30(Sat) 20:20 [Reply] |
「土雷」を古事記は「右手」とし、書紀は「腹」としてる。 このことも鑑みれば、結局のところ次のように結論できます。 (※以下に言うところの「魔方陣」は、中心が「三」の魔方陣) ★「陰」=「左手」=「背」(水星が照応)……魔方陣の「二」……「Hod」 ★「腹」=「右手」(こちらに金星が照応)……魔方陣の「九」……「Netzach」 「九」の位置には、第18代の「蝮之水歯別」や 第27代の「広国押建金日」(金日)が居るわけで、 「蝮」の古来の訓である「ミハラ」に「腹」が照応し、(※字形の共通性にも注意!!) さらに加えて「金日」の「金」が「金星」に照応します。 二十七宿で言えば、「Bharani」(胃)などがこれに照応。(※神奈備掲示板[2725]参照) ここで「胃」と「腹」が通じるのは、偶然とは思えません。 >つまり、Hodに水銀を当てることができる。丹も辰砂で水銀ですね。 >となれば、「ほと」を突いた矢が何故わざわざ「丹塗り」だったのか、 >その理由が出てきます。「水銀」同士で合わせたかったのかもしれません。 カバラの起源は中世とされるので、それ以前から「Hod」の色に関し、 西洋方面で何か言われていた文献的証拠はありませんが、カバラでは ご存じの通り、「Hod」の色を「橙」としてます。まさしく「朱」です。 #表現においては「丹塗矢でホトを突く」となるわけですが、 #「丹塗矢」で突かれてない平常時のそれは「ホト」ではなく、 #まさに突かれてる状態のそれが「ホト」ということでしょうね。(※本来は) |
[46] 「Hod」について hvhy | 2002/03/30(Sat) 20:18 [Reply] |
・頭………大雷……大雷(但し首とする) ・胸………火雷……火雷 ・腹………黒雷……土雷(黒雷を尻とする) ・陰………拆雷……裂雷 ・左手……若雷(稚雷を背とする) ・右手……土雷 ・左足……鳴雷 ・右足……伏雷 これは古事記で「子之一木」と言うところのものを 日本書紀と比べてみたものですが、ここに挙げた他に、 書紀は「山雷」を「手」と、「野雷」を「足」としてる。 (それぞれが「大山津見」「野椎」に当たると思われます) ★★★★★←→★★★★★ ★二七九★←→★水月金★ ★一三五★←→★計土羅★ ★六八四★←→★火日木★ ★★★★★←→★★★★★ それはさておき、桜左近さんの「陰陽」のお話について 少し考察してみます。よく知られる3行3列の魔方陣から、(※縦横斜の数の和は15) すべて「2」を引いてやると、中心が「三」の魔方陣になる。 この魔方陣に前述の「九曜」を対比したのが上に挙げた図です。 古事記は「頭、胸、腹、陰」という順序であるのに対し、 書紀は「首、胸、腹、背」という順序です。このことから 仮に「陰」と「背」を重ねてみると、「若雷」と「稚雷」は 表記の違いなので、また「陰」(背)に「左手」が重なります。 「拆」も「若」も同じ音を持つ。この重なりに違和感はないです。 次に「二七九」という並びの「二」を「左手」と考え、 「九」を「右手」と考える。この場合、「二」の位置で 「陰」(背)と「水星」が照応することになるわけですね。 桜左近さんご指摘の(いわゆるカバラの)「Hod」でしょう。 #「Hod」を「栄光」と訳すのは、実に絶妙と言える。 #というのは、「光」には「カゲ」という訓があって、 #なおかつ「栄え」は「拆」や「若」に音が通じるから。 |
[45] 書き忘れ 桜左近 | 2002/03/30(Sat) 15:59 [Reply] |
自信(笑)がないのには変わりはないのですが・・ 水星はMERCURYで、そのまま水銀でした。つまり、Hodに水銀を当てることができる。 丹も辰砂で水銀ですね。 となれば、「ほと」を突いた矢が何故わざわざ「丹塗り」だったのか、その理由が出てきます。 「水銀」同士で合わせたかったのかもしれません。 #師匠、こんなところで如何でしょうか?(^^; |
[44] Re[43]: 「日金拆」とか「根拆」とか 桜左近 | 2002/03/30(Sat) 05:13 [Reply] |
> #ヘブル語に「ネツァク」(Netzach)があり、いわゆる「カバラ」においては、 > #これを「金星」に当てている。「根拆」は「ネツァク」(Netzach)と思われる。 いやぁ、今回はカバラですか・・・まいった!(笑) 以下は思いつきの戯言と受け取ってください。 金星をNetzachに当てるなら、NetzachのパートナーであるHodにも留意しなければいけませんね。 この両者は「左」と「右」を表すように、一対(反対のイメージ)で扱われるべきものでしょう。カバラではHodに「水星」を当て、明るい「明星」Netzachの金星に対して相対的に「暗い星」となる。陰陽においては、「暗い」は陰ですからこれにより、「ホト」がなぜ「陰」の字を含むのか納得できそうな気がします。(といいながら、自身は無かったりする!)(笑) |
[43] 「日金拆」とか「根拆」とか hvhy | 2002/03/29(Fri) 11:20 [Reply] |
>(35)8ザイン…… −2番能邇邇藝 ・25小長谷若雀 ……「女/翼」 >(34)7ヴァヴ…… −1穂穂手見 ・26袁本杼 ……「斗/軫」 >(33)6ヘー …… 0鵜葺草葺不合・27広国押建金日……「箕/角」 前項で「金日」の「日」は「ヘー」(He)であることを述べた。(←安閑天皇の名前の話) 「日金拆」の「日」も「ヘー」(He)である。では「拆」は何か。 何であるにせよ、「鵜葺草葺不合」の「葺草」(福草)に関係する。 「福草」(サキグサ)は「拆草」(サキグサ)とも書けるからである。 #「拆」なる漢字を見て思い出されるのは、当然ながら「石拆・根拆」。 #栃木県あたりの「星神社」は、「石拆・根拆」を祭神とする場合が多い。 #明治以前は「虚空蔵菩薩」が祀られていたようだ。これは「金星」らしい。 #また「金星」そのものを名前に冠する「太白神社」も栃木県に分布している。 #ヘブル語に「ネツァク」(Netzach)があり、いわゆる「カバラ」においては、 #これを「金星」に当てている。「根拆」は「ネツァク」(Netzach)と思われる。 #「ネツァク」(Netzach)の意味は「勝利」だが、 #インドでは「金星」を「スクレ」(Sukra)と言う。 #ところが日本では「勝」を「スグリ」と何故か読む。 #こういったところに正しく日本の歴史が示されている。 |
[42] 「金日」の「日」は「He」 hvhy | 2002/03/29(Fri) 10:27 [Reply] |
>淡海三船は、「金日」は「日金」の言い換え、 >という点を踏まえ、「安閑」と附けたわけです。([40]より引用) 「金日」とか「日金」とは何だろうか。 ここで再び「九曜」との照応を見てみる。 >7(軫)16(畢)25(女)……「月天」 >8(翼)17(昴)26(斗)……「日天」 >9(張)18(胃)27(箕)……「金星」 (神奈備掲示板[2725]を参照) これを見る限り、「金星」と「日天」を組み合わせて 「金日」としたようにも見える。しかし「安閑天皇」は あくまでも第27代だ。「金日」の「金」は「金星」だが、 「日」(ヒ)については別の由来をむしろ考えるべきだろう。 >(35)8ザイン…… −2番能邇邇藝 ・25小長谷若雀 ……「女/翼」 >(34)7ヴァヴ…… −1穂穂手見 ・26袁本杼 ……「斗/軫」 >(33)6ヘー …… 0鵜葺草葺不合・27広国押建金日……「箕/角」 (http://www.platz.jp/~hvhy/mat.htmlを参照) 「日」を何時から「ヒ」と読むようになったか、今ひとつ不明だが、 この照応関係を見る限り、「金日」の「日」は「ヘー」の漢字表記だ。 第27代の所で「金星」「ヘー」が照応することを以て「金日」とした。 「霊」を「ヒ」と読むようになる道筋も、既にこの照応関係に見て取れる。 #それはそれとして、「宇都志日金拆」の「日金拆」は #「金日拆」でも同じなのだが、何だかこのような名前は #今でもよく見かける名前。例えば「金日成」とかいろいろ。 #「安閑」が金姓の可能性も想定されよう。しかし短絡は禁物。 |
[41] ワタ 一伏三起 桜左近 | 2002/03/29(Fri) 05:11 [Reply] |
習志野のてつさん、どうもです。(^^) >縄文語では、海は「ワタ」だそうです。 アフリカに発し、次々と分岐しながら、その一派はベーリング海峡を渡って南米先端にも至るという我々の祖先の偉大な足跡「グレートジャーニー」。こんなレベルで考えれば、「ワタ」が英語の「WATER」(ロシア語ではVADA)などと関連があっても何の不思議もない気がします。 「海」で思い出した余談ですが、周知のように印欧語族は基本的に似ている言語グループ、でもインドとヨーロッパでは「海」に関する言葉が違うそうですね。なぜなら印欧祖語はインドとヨーロッパの中間あたりにある、海の無い地域で発生したので、そこから北や南へ移動して初めて海を見、それぞれの名前をつけたから・・・・。 昔はインドのサンスクリットなどが西へ伝播していき、ついにヨーロッパに広まったと考えられていた。ところが、この「海」関係の語彙を比較検討した結果、その説は否定された(ん?、この話知らなかったのは私だけだったりして!)。 >海(カイ)は、なぜアマか? >「天(アマ)族が海から来たから」が私説です。 なるほど、説得力あります。そうだとなると、そのアマ族はどの辺から来たとお考えですか。 hvhyさんへ 一伏三起について、私は図書館で読んだ記憶があり、手元に資料がありません。 代わりに、孫引きになりますが、司馬遼太郎が「街道をゆく」シリーズ28「耽羅紀行(163ページ)」で触れているので少し紹介します。 もとは朝鮮にあった「ユッ」という遊戯で、万葉歌人の間でも好まれていた。日本では室町時代以降、全く廃れてしまったが本家の朝鮮では残っている。韓国の言語学者、金・東国大学教授が「記紀万葉の朝鮮語」(六興出版)で指摘したのが最初らしい。 孫引きなのでちょっとだけ。(笑) 四伏は「馬(ソ)」で5点、三伏一向(=起)が「豚(ト)」で1点、二伏二向は「犬(ケ)」で2点、問題の一伏三向は「象(コロ)」で3点、四向が「牛(ユッ)」で4点になる。 で、万葉集2988の解釈。 [原文] 梓弓 末中一伏三起 不通有之 君者會奴 嗟羽将息 [訓読] 梓弓末の中ごろ淀めりし君には逢ひぬ嘆きはやめむ 「一伏三起」を「ころ」と読ませる・・・という言葉遊びです。(^^) |
[40] 「金日」も「日金」も同じ hvhy | 2002/03/28(Thu) 16:19 [Reply] |
第27代の天皇は「広国押建金日」です。 その弟が第28代の「建小広国押楯」です。 「広国押」と「建」は両者に共通してるので、 名前の固有部分は「金日」「小楯」と言えます。 漢風諡号は後から附けられたものですが、 「金日」は「安閑」、「小楯」は「宣化」。 ここで「安閑」は「アンカン」と読みますが、 「アヅミ」とも読める。(そう読む神社が存在) ところが「阿曇連」は、古事記によれば、 「宇都志日金拆」の子孫です。してみれば、 淡海三船は、「金日」は「日金」の言い換え、 という点を踏まえ、「安閑」と附けたわけです。 #神奈備に書いたが、「阿曇」は「Asvini」(婁)。 #その「Asvini」(婁)に「Magha」(星)が照応する。(←九進法で) #「勾」(マガ)の語源は、その「Magha」(星)である。 #ところが「金日」(安閑天皇)を書紀は「勾大兄」とする。 #書紀や古事記が何を以て命名してるか、ほとんど自明だろう。 |
[39] Re[33]: マルチ・レス hvhy | 2002/03/28(Thu) 14:20 [Reply] |
>分からないが故に、今まで何百という”解説”が試みられ、それなりに評価されてきたわけです。 >ところが全く意外な方面から意味が割れて、それらは「嘘八百」になりましたね。(笑) まさしく。はっきりしたことが分かれば、 議論に終止符がうたれる。しかし、それは、 次に進むために、必要なことだと思ってます。 >この動物の名前の代わりに「一伏三起」と書き、今でいう「コード化」しているので、 >その由来を知らなければ絶対に解けない暗号になっている。 面白いですね。ちなみに「一伏三起」は何の動物なんですか? 昔っから「動物占い」みたいなこと、やってたんでしょうかね?(^^; >英語の「リストラクチャリング」が「リストラ」になった時点では単に「人員削減」、早い話が「首切り」に >意味が変わってしまいました。このように外来語が日本語に溶け込む時には必ず「意味のずれ」が生じます。 >その「ずれ方」の特徴をたどっていくと、外来語の伝達ルートまで明らかにできるそうです。 考えてみたら、「リストラクチャリング」→「リストラ」なんていう省略も、 勝手に日本人がやってるわけで、いろんな意味で柔軟に変化するわけですよね。 >朝鮮や中国からばかりでなく、たとえば東大寺の大仏の開眼法要を行ったのもインドから招いた僧だし、 >当時の唐の長安と同じような無国籍都市であった・・・と考えることが大前提になると思います。 この「都市」という捉え方は面白いと思いました。というのは、 古事記のような書物も、まさに「都市」の産物と言えるからです。 例えば、うちの田舎の父母などは、雑誌を買って読む習慣すら無い。 東京(という都市)が発信する情報とは、凡そ無縁の暮らしなんです。 そういう人における日本語と、「都市」で飛び交う日本語は既に異なる。 この観点に立つなら、古事記に外来語が溢れていても驚くに当たりません。 |
[38] 「建」や「高」について hvhy | 2002/03/28(Thu) 13:37 [Reply] |
神名帳を見ると、武蔵国横見郡に「高負比古神社」とあり、 今は「高負彦根神社」となっている。祭神は「味鋤高彦根」。 「高負比古」が本当に「アヂスキ高日子根」なら、もともとは 「タカフ」という言葉があって、「フ」は語尾の子音だったため、(ここで「フ」は「p」です) これが脱落して「タカ」(高)になった。ということも想定できる。 #このような想定に立った時、注目されるのは、 #「十QP」(Tau・Qoph・Pe)というアラム語だ。 #発音は「タカプ」又は「タケプ」という感じらしい。(飯島紀氏の本) #古事記で「須佐之男」が「天照」の所を訪ねる場面において、 #「伊都之男建、訓建云多祁夫、踏建而待問、何故上来」とある。 #ここで「建」を「多祁夫」と読ませているのは「十QP」の痕跡? |
[37] 「依網」について hvhy | 2002/03/28(Thu) 13:35 [Reply] |
>「網」の場合でも、前に来る言葉で「s」が挿入されます。 >なので、「s」の挿入は「雨」に限るわけではありませんが、 こう書きましたが、「依網」については、 「ヨシアミ→ヨサミ」かもしれませんので、 これだと、(1)の母音脱落に当たりますね。 #母音脱落の例として他に有名(?)なのは、 #「高天原」の「高天」(タカマ)があります。 |
[36] Re[34]: アメ 習志野のてつ | 2002/03/28(Thu) 11:48 [Reply] |
> 小雨は「こさめ」と読むが、なぜ「あめ」が「さめ」になるのでしょう。 > どこか外国の屈折語からの借用(流入)という可能性も考えられないだろうか。 >・・そういえば、海もアマだった(^^; 縄文語では、海は「ワタ」だそうです。 三内丸山についての青森銀行のHP http://www.capa.ne.jp/a-bank/maruyama/language/ どこまで信用できるか判りませんが、大海神(オオワタツミ) からは、そうかな〜と思います。 海(カイ)は、なぜアマか? 「天(アマ)族が海から来たから」が私説です。 |
[35] Re[34]: 母音の連続を避ける hvhy | 2002/03/28(Thu) 09:54 [Reply] |
とりあえず教科書的な本で大野普の書いてるのを読むと、 (上代語では)「母音が連続することは極力避けられた」。 1)一方の母音が脱落する 「朝開」(アサアケ→アサケ) 「天降り」(アマオリ→アモリ) 「我妹」(ワガイモ→ワギモ) 「我が家」(ワガイヘ→ワガヘ) 「と言ふ」(トイフ→トフ) 2)別の母音に転じる 「憂けく」(ウキアク→ウケク) 「高市」(タカイチ→タケチ) 「長息」(ナガイキ→ナゲキ) 「数え」(カズアヘ→カゾヘ) 3)子音「s」を挿入する 「春雨」(ハルアメ→ハルサメ) 「あふさわに」(アフアハニ→アフサワニ) 考えてみると、ここで言う(3)の例が、 どれぐらい一般的か。そこは問題ですよね。 「網」の場合は、古事記の範囲で見るかぎり、 「和那美」(罠網の仮名表記)という例がある。 (1)の母音脱落の例ですが、(3)もあります。 また地名で「依網」(ヨサミ)。古事記に「余佐美」、 書紀に「豫佐弥」とある。変化する前の音は不明ですが、 「網」の場合でも、前に来る言葉で「s」が挿入されます。 なので、「s」の挿入は「雨」に限るわけではありませんが、 「雨」「天」が妙な言葉だという点は、たしかにそう思います。 |
[34] アメ 桜左近 | 2002/03/28(Thu) 05:08 [Reply] |
あめ(雨)という言葉は日本語としては怪しい雰囲気を持っていると思いませんか。 小雨は「こさめ」と読むが、なぜ「あめ」が「さめ」になるのでしょう。たとえば小さい網は「小網」、これを「こさみ」とは読まないですよね。また、雨脚が「あめあし」じゃなく「あまあし」になるのも”不規則”変化といわざるを得ません・・・・、しかしこの辺、国語に弱い私の勘違いだったら、ツッコミを入れてください!。 変だ!、というだけでは何の発展もないので、思いつき仮説を書きます。 1) 「あめ」は古くは「さめ」であり、それが「こさめ」という形に残っている?。そうだ、「さみだれ」は!(笑) 2) 「天」もアマだったりアメだったり、「雨」と似たような変化をする名詞ですね。日本語は「て、に、お、は」で単語をつないでいく、いわゆる膠着語の一種なので、名詞の語尾がこんな風に変化するのは異例。となると、どこか外国の屈折語からの借用(流入)という可能性も考えられないだろうか。 もし、「天(あめ)」とか「雨」という基本語が外国語から入ってきた言葉だとしたら・・・これは一大事。(^^) それでは「雨」を諸外国語(屈折語)でなんというか少し調べてみましたが、面白そうなのはアラム語とヘブル語。 これは私の以前の書きこみにも関係します。 >アラム語は周知のようにイエス・キリストが実際に喋っていた言葉で、よくヘブル語と近いといわれますが >ちょっと調べた限りではかなり違うような印象をうけました。 アラム語では(私は全く知識が無いので辞書のまんまを引用)[mem][teth][resh]で、tethはごく弱いD音なので全体は「アーム(ダ)ル」となり、アメまたは雨だれと似ているような音声になると想像します。一方のヘブル語は[geshem]ですから(matarもあるが)、雨はもともと「サメ」だったという説(1)にからんでくるよう可能性はありませんかね?(無いっ!) #今日はどうも想像力を広げすぎたらしい・・・そういえば、海もアマだった(^^; |
[33] マルチ・レス 桜左近 | 2002/03/27(Wed) 05:48 [Reply] |
三碧星さん、こんどは無事に労作の「カタカナ版般若心経」を拝読できました。 デバナガリの音を完全にカタカナに写されているなど、サンスクリットに関しては私など足元にも 及ばないレベルにあることは明白ですね。なんとも心強い限り、頼りにしてまっせ!(笑) hyhyさん、 >アラム語に「ΝWR」(ナワル)という語があって、 >「輝く」という意味らしいですが、ナワール族の人は、 >自分たちの由来をどう説明していますか?>桜左近さん 今のところ有力なのは、古いネワール語でNEが「中心」、PAは「国」という意味があり、カトマンドゥが ネパールの中心部にあることから名づけられたという説です。そうだとすると、ネパールもネワールも 語源は同じになり、納得できそうな気がします。 以下、手当たり次第にレスをつけます。 >#「ひとつの文章に複数の事柄を重ねて表現する」という点では、 >#古代の文章のほうが上回っていたと思います。(例えば掛詞など) > >>無理にまとめるとこうなります。「古事記の編纂には多くの渡来人が積極的に >>関わった痕跡がある、しかし彼らの出自(国籍)は意図的に隠された」 > >「隠す意図があった」のかどうか。そこはなかなか難しいですね。 >「前提となるべき知識が欠けていると、書いてあっても分からない」 万葉集(2988)にも出てくる「一伏三起」という表現、これは最近までまったく解釈不能でした。 [原文] 梓弓 末中一伏三起 不通有之 君者會奴 嗟羽将息 分からないが故に、今まで何百という”解説”が試みられ、それなりに評価されてきたわけです。 ところが全く意外な方面から意味が割れて、それらは「嘘八百」になりましたね。(笑) 将棋の公式戦で、先攻を決めるのに「駒振り」という儀式を行う(聞いた話です)が、駒の黒い字 が書いてあるほうを「起」、赤い字の面を「伏」と呼び、「起」の面の多い人が先攻になるそうです。 万葉集の時代にはもちろん将棋などありませんが、駒振りに似たような遊びがあったと考えられ、 「一伏三起」とは、四枚の駒を振って一枚が赤い字で三枚が黒い字面が出た場合の呼び名。 可能性でいえば「四起」から「四伏」まで5通りあり、それぞれに動物の名前がつけられていた!。 この動物の名前の代わりに「一伏三起」と書き、今でいう「コード化」しているので、その由来を 知らなければ絶対に解けない暗号になっている。 身近な例では、冗談をいうと相手が「座布団3枚!」みたいなこというでしょう?。始めは何のこと か分からないが、ある落語番組の用語らしい。しかしあと20年もたてば「座布団3枚」は「勢夜」と 同じくらいのミステリーになるんじゃないでしょうか。(笑) >なんでも取り込むのが日本人の伝統だとしたら、もう既に古代においても、 >その傾向があったかもしれません。「リストラ」なる言葉が一般化する以前、 >80年代から、広告屋は「リストラクチャリング」という言葉を使ってました。 >得意先が「半分ぐらい分かるが、半分ぐらい分からない」ような語を敢えて使う。 >こういう言葉の使い方は、古事記などでも(想像ですが)あったかもしれませんね。 >その場合、当然ながら、渡来人の先進知識(諸々の書物も含めて)が前提になります。 英語の「リストラクチャリング」が「リストラ」になった時点では単に「人員削減」、早い話が「首切り」に 意味が変わってしまいました。このように外来語が日本語に溶け込む時には必ず「意味のずれ」が 生じます。 その「ずれ方」の特徴をたどっていくと、外来語の伝達ルートまで明らかにできるそうです。 #聞いた話ばかりですみませんが、聖書の「マタイによる福音」よりも「マルコ」のほうが古い(元に なっている)と判定されたのも、こういった「編集史」的解析によるものだそうです。 |
[32] 間違えました 三碧星 | 2002/03/26(Tue) 19:47 [Reply] |
すみません、リンクに誤りがあったようですね。 http://www.h2.dion.ne.jp/~isenokun/singyou.html コピペではなく、タイプしたので、「^」こんな記号を勘違いしていたようです。 |
[31] こんなのは? hvhy | 2002/03/26(Tue) 15:54 [Reply] |
アラム語に「ΝWR」(ナワル)という語があって、 「輝く」という意味らしいですが、ナワール族の人は、 自分たちの由来をどう説明していますか?>桜左近さん #「輝く」という意味だったら、 #自称するに相応しくはあります。 |
[30] 「豊耳聡聖徳」とは? hvhy | 2002/03/26(Tue) 15:34 [Reply] |
やがて第17代の天皇になる「太子」に対して「壬生部」が設定され、 「依網池」「丸邇池」が作られたという話。これは古事記における話だ。 ところが日本書紀のばあい、憲法17條を作った「皇太子」の時代に (おそらくその皇太子に対して?)「壬生部」が設定され、同じ時代に 「依網池」(推古15年)「丸邇池」(推古21年)が作られたという話。 #こう並べてみれば、話がパラレルになっていること自明。 #少なくとも「パラレルでない」という理屈は成り立たない。 *** >第17代「大江之伊邪本和気」……「昴/畢」に照応 > >第8代「大倭根子日子国玖琉」……「翼/女」に照応 九進法において「17」は「8」に同値。然るに『舎頭諫経』では、 「翼」は「北徳」と、「女」は「耳聡」とされる。日本書紀を読むと、 「更に名けて豊耳聡聖徳といふ」とある。これに関して古典文学大系は、 「豊聡耳の誤り」と頭注する。しかし「誤り」と言う必要はまったく無い。 即ち「耳聡」はそのまま。また「聖徳」は「北徳」の言い換えと考えられる。 #「Uttaraphalguni」の「Uttara」の部分を「北」とせず、 #あらためて「聖」とした積極的理由は、今のところ不明瞭。 #音から言えば、「後」(シリ)と「聖」(ヒジリ)の掛詞か。 *** ここで問題になるのは、上記で「パラレル」と表現した話は、 古事記のほうが先にあったのか、書紀のほうが先にあったのか。 この例に関して言う限り、なんとなく同時に創作した感じが強い。 |
[29] 文学なのか? hvhy | 2002/03/26(Tue) 14:12 [Reply] |
インターネットの検索で引っかかる範囲だと、 「古事記と二十八宿の関係」に言及してるのは、 桜左近さんも紹介された名古屋の占い師のところ。 それ以外はありません。これはかなり象徴的ですよ。 というのは、占い師にとって「二十八宿」は日常言語。 「二十八宿」を日常言語にしている人が古事記を読んだ。 そしたらそこに「二十八宿」が見えた。という話なんです。 例えば古事記に「衝立船戸神」というのが出てくる。 暦などの基礎としての古代の天文学を踏まえるならば、 「船戸」(フナト)=「岐」(クナト)=「股」は自明。 即ちここで言う「股」は、「勾股弦」(三四五)の「股」。 こういう例を見て思うことは、古事記などを読む前提として、 古代の数学、医学、薬学、天文学、建築学、和声学などに関し、 ひと通り洗っておく必要があるのではないか?……みたいなこと。 そういった意味では、国文学という枠組はまったく邪魔になります。 |
[28] Re[27]: 温故知新か hvhy | 2002/03/26(Tue) 11:11 [Reply] |
>古事記の「作者」はどのような人々であったか?、 >を徹底的に追求するhvhyさんの情熱には〜 こう言うと妙かもしれませんが、それが可能かどうかはともかく、 本当のところに近づこうとする場合、おそらく肝要と思えることは、 一切のロマンを捨てることだと思っています。物語を鑑賞する場合は、 鑑賞すればいいのであって、それはそれなんですが、これとは全く別に、 鑑賞しない読み方もあるように思う。例えば西洋における星座に纏る神話。 お話はお話として、そこにはドラマがあるわけで、涙を誘ったりもしますね。 しかし一方、オリオンとさそりの話は、無味乾燥な天文学としても記述できる。 即ち「ひとつのテクスト」が文学であり、同時に数学である可能性というものを、 古事記(や日本書紀)を読む時にも念頭に置く。これが言わば、私のスタンスです。 #「ひとつの文章に複数の事柄を重ねて表現する」という点では、 #古代の文章のほうが上回っていたと思います。(例えば掛詞など) >無理にまとめるとこうなります。「古事記の編纂には多くの渡来人が積極的に >関わった痕跡がある、しかし彼らの出自(国籍)は意図的に隠された」 「隠す意図があった」のかどうか。そこはなかなか難しいですね。 「前提となるべき知識が欠けていると、書いてあっても分からない」 ということがありますから。格好の例が「勢夜」ではないでしょうか。 例えば今の時代に数学と言われている数学の本は、記号の羅列ですよね。 「Σ」なる記号が文字列の中に現われる。この「Σ」は何を隠してるのか。 何も隠してないわけです。編纂した側においても想定した読み手においても、 「勢夜」という言葉は「何の変哲もない言葉」だった可能性もあるわけですよ。 (※言い換えるなら、読み手として想定したのは誰か?という問題がここにある) #何故このように考えるようになったかと言うと、「いわゆる漢風諡号も #記紀の構造(即ち九進法)に基づいて附けられた」可能性が高いからです。 #少なくとも淡海三船は、記紀の編纂者ではありません。作り手には属さない。 #作り手には属さない人物が、九進法を念頭に置くことが出来た。こういう場合、 #いろいろな可能性が想定できますが、ことさら秘密伝授があったとは思えません。 >多くの渡来人が積極的に関わった痕跡がある、 例えば広告代理店が企画書を作る時に、横文字を適度に使いますよね。 最新モードの言葉というか、そういうものを積極的に取り込むわけです。 なんでも取り込むのが日本人の伝統だとしたら、もう既に古代においても、 その傾向があったかもしれません。「リストラ」なる言葉が一般化する以前、 80年代から、広告屋は「リストラクチャリング」という言葉を使ってました。 得意先が「半分ぐらい分かるが、半分ぐらい分からない」ような語を敢えて使う。 こういう言葉の使い方は、古事記などでも(想像ですが)あったかもしれませんね。 その場合、当然ながら、渡来人の先進知識(諸々の書物も含めて)が前提になります。 |
[27] 温故知新か 桜左近 | 2002/03/26(Tue) 05:47 [Reply] |
hvhyさん、また三碧星さん、あらためてよろしくです。 私のサンスクリットなど基本を勉強していないので、全く取るに足らないものです。 紋次郎さんのネパール語に刺激されて始めたネワール語の辞書がたまたま「デバナガリ」表記だった ので、慌てて覚えたそのデバナガリが、図らずもサンスクリットに役立った・・・というだけのことです。 ご紹介の「般若心経のカタカナ表記」にアクセスしたのですが、何か障害があってうまくいきませんでした。 般若心経のサンスクリット原文、その音声、チベット訳、ローマ字訳などを収蔵しているサイトはあります。 http://members.ozemail.com.au/%7Emooncharts/heartsutra/sanskrit.html hvhyさんへ 記紀が編纂された頃の奈良は、いわゆる渡来人が人口の半分近くを占めていたようですね。 朝鮮や中国からばかりでなく、たとえば東大寺の大仏の開眼法要を行ったのもインドから招いた僧だし、 当時の唐の長安と同じような無国籍都市であった・・・と考えることが大前提になると思います。 そういう中で、古事記の「作者」はどのような人々であったか?、を徹底的に追求するhvhyさんの情熱 には凄まじい迫力を感じますよ。(^^) アラム語は周知のようにイエス・キリストが実際に喋っていた言葉で、よくヘブル語と近いといわれますが、 ちょっと調べた限りではかなり違うような印象をうけました。 #いろいろ書きましたが、無理にまとめるとこうなります。「古事記の編纂には多くの渡来人が積極的に 関わった痕跡がある、しかし彼らの出自(国籍)は意図的に隠された」 #どうでしょうか、こんなところから始めるのが無難かと・・・・(^^; |
[26] Re[25]: サンスクリット般若心経 神奈備 | 2002/03/25(Mon) 21:34 [Reply] |
> 伊勢ノ国文庫の三碧星です。 > 朝霧の中、濡れた朱色に輝く伊勢神宮。素晴らしい光景ですね。 > それだけの丹生を、やはり勢和村丹生から取り寄せたのでしょうか? 両者の力関係が窺い知れるような・・・・ 三碧星さん、ありがとうございました。 勢和村の丹生神社の本殿は伊勢神宮の払い下げでしたね。特別なつながりを感じますね。興味津々です。 |
[25] サンスクリット般若心経 三碧星 | 2002/03/25(Mon) 20:31 [Reply] |
伊勢ノ国文庫の三碧星です。 hvhyさんと桜左近さんの、サンスクリット語の講釈はとても勉強になります。こちらでも、ありがたく読ませていただきます。 ほとんど語るに足る知識はありませんので、さっぱり役に立てないでしょうけれど・・・・ 私が般若心経の本から、サンスクリット語の原典を、カタカナで書いたものが、私のサイトにリンクされずにアップしてあります。 http://www.h2.dion.ne.jp/^isenokun/singyou.html もともと@モードでダウンロードして、いつでも読めるようにしたものですが、あまりきれいなものでもありません。よろしければダウンロードなさってください。 神奈備さんへ。 朝霧の中、濡れた朱色に輝く伊勢神宮。素晴らしい光景ですね。 それだけの丹生を、やはり勢和村丹生から取り寄せたのでしょうか? 両者の力関係が窺い知れるような・・・・ いずれにせよ、良いもの、美しいものはあっという間に取り入れる、日本人の特質が現れていますね。 |
[24] 言葉の由来について hvhy [Mail] | 2002/03/25(Mon) 09:37 [Reply] |
例えば古語辞典を見ると、古い言葉というのは結局のところ、 古事記・日本書紀・万葉集に出てくる言葉の集積なわけですね。 即ち、古語の問題というのは、それらの読まれ方の問題でもある。 出てくるのに無視されている言葉は、まだまだあるように思います。 今までの話の中で出てきた「勢夜」や「神度」などは、 その意味で、放置されてきた言葉とでも言えるでしょう。 「勢夜」という言葉は、消えてしまった言葉に見えますが、 祭りで「せいや、せいや」と威勢よく声をあげる。あるいは、 こういったところに残ってるのかもしれない。思いつきですが。 「ほにゃらか掲示板」で教えて頂いたのは、日本は日本として、 漠然と最初から存在したわけではないのである以上、その言葉も、 多彩な成り立ちを持っているということです。この観点に立つ場合、 自ずと古事記などの読み方も違ってくるはずです。実は文献に限らず、 いわゆる方言の中にも国際交流の痕跡のようなものがあるかもしれない。 紋次郎さん曰く「言語考古学」は、当然あるべき発想だと私は思ってます。 |
[23] 朝令暮改 神奈備 | 2002/03/24(Sun) 21:29 [Reply] |
hvhyさん こんばんは。お願いがあります。 やはり,「蠅声なす掲示板」を継続することにしますので,貴殿のテンポの速い書き込みはこちらにお願いしして頂きたいのです。 「神奈備掲示板」は発足以来、多くの方々に支えられてまいりました。それなりに役割を果たして来た物と自負もしております。勿論hvhyさんの書き込みは神奈備の追求すべき課題の範疇ではありますが,少なくとも席亭setohのレベルを遥かに越えてしまっております。到底気の利いた応答は出来ません。 同じ失礼をさせて頂くなら,せめて「神奈備掲示板」以外でのことにしたいのです。 誠の勝手なお言い分ですが,よしなにご配慮をお願いいたします。 |
[22] 蠅声はかきけされます 神奈備 | 2002/03/16(Sat) 16:27 [Reply] |
しずかなれ しずかなれ 精(せい)しずかなれ 深山(みやま)の 百千(ももち)の精もしずかなれ 蠅声のコンセプトが定まりませんので,とりあえず,神奈備掲示板に統合します。 投稿は「神奈備掲示板」へどうぞ。 |
[20] ご参考(傍証) 習志野のてつ | 2002/03/15(Fri) 10:03 [Reply] |
以前気になっていた、神奈備さんのカキコ(?)で、 『目的地から少しだけ離れた島に、先に拠点をつくる』 と云うのがあったと思います。又引きですが、文献の根拠がありました。 神話・伝承の世界 『古事記・日本書紀を歩く』 林豊 著 JTBキャンブックス 1995 P10 「昭和46年に兵庫県教育委員会が発行した沼島の民俗調査報告書によると、 海外からやってきたと考えられている古代海人族は、…彼らにはタブーが あって、直接大陸や本土に上陸せず、何よりもまず拠点とすべき小島を探 したという。…」 確かに、「現代では寂びれた(失礼)ような島に、妙に古代遺跡が多い。」 …気がしていました。国東半島の姫島もその一つでしょうか? 『沼島の民俗調査報告書』見たいです。 |
[19] 色道 神奈備 | 2002/03/12(Tue) 19:52 [Reply] |
>7色が「世界=全て」ではない。 色の道は難しいことは古来先人が言ってきたことで,これについては,「お互いの一致と不一致」の確認はいらないのかも。 色盲の人や人間以外の動物にとって,色彩の世界はまた違うものでしょう。 話は変わります。 ある人に聞いたのですが,色彩古代学(古代色彩学?)と言うジャンルがあるそうですね。詳しいことは承知していませんが、古来の日本の色彩はほとんど草木や鉱物で染めることが多く、あざやかさの少ない(彩度が低い)色調だったようです。不思議な事に日本固有と言われている草花の色もそう言う感じです。 そこへ仏教とりわけ密教が入ってきました。マンダラや伽藍の鮮やかな色彩に人々は息を飲んだのです。すっかり人々は熱狂したのです。古来の神祭りから仏教へ雪崩ていったのです。仏教サイドもどうもこれを利用したようです。 神社サイドも負けれいられないと,伊勢神宮まで朱色だったとか。 |
[18] Re[17][16]: 信じない者も救われる。 桜左近 | 2002/03/12(Tue) 06:09 [Reply] |
新しい掲示板、おめでとうございまーす!(^^) 今日はいつもより余計に回していまーす!(何を?) >イギリスの話に「私は太陽は東から登ると思うが、あなたはどう思うか?」 >と云うのがありました。 >議論をする場合の基礎は、お互いの一致と不一致を確認する事だと思います。 なるほど、まっこと鋭いご指摘です。 イギリスには、未だコペルニクスの地動説を認めない人たちが大勢いるそうですね。彼らが言うには「あんた、地球が太陽の周りを回っているのを自分で本当に確かめたのかい?」。(笑) 言われてみれば我々が地動説を正しいとする根拠も、学校で教えてたとか本に書いてあった(つまりは「権威」)などであり、極論すれば新興宗教信者の盲従と大差ないレベルになってしまいます。(^^; イヌイット(旧名エスキモー)は、雪の降り方を表す言葉を50種類以上持っているとか、イギリスでは雨の降り方を表現する単語が日本語の3倍あるという話も聞いたことがあり、相手の事情を理解することが以下に大切かということがわかります。 #ただ、虹の色が7色というのはイギリスの科学者アイザック・ニュートンが便宜上決定した素案で、それが欧米において定着したのではないでしょうか。 一例をあげれば、欧米の小学校では「虹の色はROY G BIV」と覚えさせられます。これは順に Red, Orange, Yellow, Green, Blue, Indigo(藍) and Violetの頭文字を、有名な英雄ROB ROYなどの人名に似せて覚えやすく並べたものです。 #証拠といっては何ですが、Googleで「ROY G BIV」を検索すると何千件もヒットします(^^)。 もちろん7色が「正しい、間違い」とかは全く関係ありませんね。(^^) |
[17] Re[16]: 信じない者も救われる。 習志野のてつ | 2002/03/10(Sun) 01:17 [Reply] |
> 信じる者は本当に救われるから!!! 信じない者も救われる。 いまさらですが、虹の色は何色でしょう 英語が世界に蔓延している状況では、6色が正解。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kanai/kagakukan/kisyou/niji.htm で、「何なんだ?」と云うと何でもない。 ただ、7色が「世界=全て」ではない。 イギリスの話に 「私は太陽は東から登ると思うが、あなたはどう思うか?」 と云うのがありました。 議論をする場合の基礎は、お互いの一致と不一致を確認する事 だと思います。 |
[15] Re[14][11] [10] [8]: きみがいて 神奈備 | 2002/03/09(Sat) 09:58 [Reply] |
> > ● 山津見神も色々坐すようです。 > 淤縢山津見神、奥山津見神、闇山津見神、志芸山津見神、羽山津見神 > 原山津見神、戸山津見神、…で最高位者が大山津見神 長野県下伊那郡に伝わる話 大山祇命の末弟小山祇命が猟に出かけました。ある岩陰にくると、そこでお産で苦しんでいる山姥に出会いました。 山姥は命に、「水を飲めば楽にお産ができる。水を汲んできて欲しい。」と頼みました。命は「不猟で水くみどころではないわ」と断りました。 次に中兄の中山祇命が通りかかり、山姥は水を所望しましたが、同じように断られました。 それからまもなく長兄の大山祇命が通りかかりました。命は山姥がお産で苦しんでいるのを見ると、かけよって介抱しました。山姥が水の事を頼むと、命は蕗の葉二枚にたっぷりと水を汲んで山姥に呑ませてやりました。(中略) お産も無事に終わり、命は山姥に「この所、不猟続きだ。生き物の居場所を教えてくれまいか。」と頼みました。 「そんなら、もう一山越えて向こうの谷に行くがよい。鹿が千頭寄っている。」と教えてくれました。 山ひとつに多くの山の神々が坐して、その中の長兄的な神が大山祇命だったとは。 |
[14] Re[11] [10] [8]: きみがいて 習志野のてつ | 2002/03/08(Fri) 20:05 [Reply] |
> 王:ワン がなぜ『オオ』と読むのか気になっていたので… 王(きみ)と呼んだのですが。 大王とかいて(おおきみ)と呼んだらしいので。 妹を嫁にしておけば,それで大丈夫だと思う程度の素朴さだった 国主等の長=王「キミ」の連合国。その最高位者が大王「オオキミ」 ● 山津見神も色々坐すようです。 淤縢山津見神、奥山津見神、闇山津見神、志芸山津見神、羽山津見神 原山津見神、戸山津見神、…で最高位者が大山津見神 「大国主」も「オオヤマツミ」一種の官職=その役に対する名前では? |
[13] Re[12]: クズと大楠 神奈備 | 2002/03/08(Fri) 15:49 [Reply] |
写真拝見いたしました。巨楠ですね。個人の家と言うのが面白いですね。 隼人には大隅隼人と阿多隼人がいるそうで,南山城が大隅、奈良盆地南紀の川の上流に阿多隼人が居住したそうです。皇室に妃を送り込んだのは阿多隼人の方で、名門だったようですね。 二見神社の祭神は富須洗利命、水波能売命と二柱になっています。昔の住所は小字雨師だったとのこと。この神社は祭神もそうですが立地が面白いように思います。鵜飼いの為ではなく、大和への紀の川からの入り口になっており,軍事的な意味があったのかと。 |
[12] クズと大楠 マルヤ [Mail] [Url] | 2002/03/08(Fri) 00:13 [Reply] |
奈良県五條市二見二丁目(宇智郡阿陀郷)吉野川右岸に、式内社「二見神社」があり、そのすぐ隣の大邸宅に大楠木があります。 樹齢は1000年以上、高さ3M部分の幹周りは8.5Mで日本でも有数の楠木だそうです。 この大邸宅の表札には「足立」とありました。 アダチは阿陀立(阿陀発ち)で、この地の豪族二見氏を思わせます。 姓氏録大和国神別に、「二見首富須洗利命後也」とあり、いわゆる二見隼人でしょうか。 ちなみに二見神社の祭神は、水波能売命たなっていますが、五條市史によると二見首の祖 火闌降命を祀るともいいます。 (この大楠木は小生HPのトップ頁に、小さな写真で掲出しています) |
[11] 蛆と蠅はどちらが先 神奈備 | 2002/03/07(Thu) 14:49 [Reply] |
「クズ」の民は文明の香りに素直に喜んだ素朴さがあったのでしょう。 漢字の国主や国津を見ればこれを受け入れ,九頭龍を知ればこれぞ我らの精霊と祀ったことでしょう。 で,自然と共生していたクズの民に酋長的な者は居たのでしょうが,統治組織や連合を行う必要はあったのかどうかですね。 クズと弥生民との連携らしき長髄彦ー饒速日連合も,饒速日側の裏切りであっさり崩壊している所を見ますと,長髄彦サイドは連合慣れしていないようで,妹を嫁にしておけば,それで大丈夫だと思う程度の素朴さだったと思われます。 クズの民との関連は不明ですが,大楠神,小楠神を祀る大楠社が三嶋大社と伊古奈比メ命神社の摂社にあります。 |
[10] Re[8]: 沸いてます? 香具 | 2002/03/07(Thu) 11:01 [Reply] |
> 風呂とはガランとした谷だそうです。 ぜんぜんガランとしてないし、谷でもないのですが・・・、 神戸市西区神出の雌岡山西南麓にある最明寺の横に『風呂の池』があります。今は埋め立てて市民公園。また、神戸市東灘区の保久良神社の麓にも『風呂の川』が、東麓の権現谷から流れています。 しかし、いずれも古代に溯る地名なのか?あやしいです。単なるお風呂(湯)の水を汲むところだったかも。源平合戦、南北朝、戦国時代、明治開港と、神戸の転変は激しかったので、地域住民の大規模な入れ替わりや伝統の断絶があっただろうと感じます。古代から連綿不断と続いてきた地域ではどうでしょうか。 フロ←→フル←→フリ・・・無理があるかな?? >てつ様 王:ワン がなぜ『オオ』と読むのか気になっていたので興味津々です。ご展開を! |
[9] 祝 新掲示板 習志野のてつ | 2002/03/07(Thu) 00:06 [Reply] |
祝 新掲示板 ・・・ で勝手な一言 『大国主は何故偉い?―1』 おおくにぬしは、なぜえらい? ではなく、「おおくず」は何故偉い?と言えないでしょうか? 国巣、国樔、国栖、国主、国津、来栖、栗栖、楠、久須、葛 などとも呼ばれたもの。その中の最高者が、「おおくず」では。 つまり「クズ連合国の長」だから偉い。 各地に王が居て、最高者が大王 これは「キミ」が居て、「オオキミ」 各地に連が居て、最高者が大連(ムラジ) 各地に臣が居て、最高者が大臣(オミ) 大王(オオキミ)と大臣(オオオミ)は、ほぼ対等?。 だから蘇我の大臣は、大王を暗殺できた。 そのことについて、咎められなかった。 温めていた蛆虫が蝿となった異見。皆様のご意見を。 |
[8] 神奈川 神奈備 | 2002/03/06(Wed) 18:48 [Reply] |
『地名の古代史』谷川健一,金達寿の中で,金氏は「神の依り代を朝鮮語ではカムナム(神の木)と言い,それは神奈備となっている,とも言っています。 それに対して谷川氏は熊川(ゆうせん)をコムナリと言うとして,ナリを川と指摘しています。それがアイヌ語のナイに通じるとしています。 ついでにムロと言う言葉ですが,空洞を意味するフロ(風呂)と転訛しているのでは,と指摘しています。風呂とはガランとした谷だそうです。 そうすると「日の谷」は「ヒムロ」(氷室)となりますね。天理市福住に氷室神社がありましたね。 |
[7] 祝 新掲示板 マルヤ | 2002/03/05(Tue) 20:32 [Reply] |
「蠅声なす掲示板」に新たな期待が広がります。 「神奈備掲示板」同様、時々は書き込みさせていただきたいと思います。 よろしくお願いします。 |
[6] Re[5]: 無題 神奈備 | 2002/03/05(Tue) 20:03 [Reply] |
なにがしさん こんにちは。 他意はないんです。境内社だった紋氏のホニャがなくなりそうなので,一つ置いてみました。 言葉の領域は面白いと思っていたのですが,小生そのほうの知見がゼロな紋でとても席亭は勤まりません。 言葉と無関係でもいいんです。ご希望の方には無償で貸与しいたします。カキコがあればメールでお知らせ機能もありますよ。 |
[5] 無題 なにがし | 2002/03/05(Tue) 18:01 [Reply] |
こんにちは。 神奈備様、今回の掲示板はどのような掲示板ですか?どんなことをカキコしたらいいのか分からなかったので、もしよろしければ教えて下さい。 今後ともよろしお願い致します。 |
[4] Re[3][2]: 畏れ多く候 香具 | 2002/03/05(Tue) 13:47 [Reply] |
>香具さん主宰の掲示板に進呈しましょうか? いえいえ。勿体無いお言葉ですが、愚生には荷が勝ちすぎます。主催するほどの懐の深さも、知恵も経験も足りません。ほの暗い草木の蔭に潜むモノノケの一匹として、ザワザワと物言わせて頂ければ光栄です。さばえなします。 >神名火 神奈備カムナビ、『火』も有りなんですね。灼かれたような表面の磐座を思い出します。 端山ハヤマには、茫とした鬼火の列が、ふもとから峰の尾伝いにフワフワと登って行くイメージがあります。どこで刷り込まれたのだろ?神戸市山田町丹生山あたりの伝説だったか、うろ覚えです。 |
[3] Re[2]: なぶさ(蛇) 神奈備 | 2002/03/05(Tue) 11:53 [Reply] |
ひっそりとした掲示板を良く発見されました。香具さん主宰の掲示板に進呈しましょうか? 出雲国風土記のカムナビの漢字表記は以下の通り。 神名樋野(意宇郡):茶臼山 神名火山(秋鹿郡):朝日山 神名樋山(楯縫郡):大船山 神名火山(出雲郡):仏経山 トンネル? 山城の式内社 甘南備神社 備後の式内社 賀武奈備神社 龍田大社の摂社 神奈備 河内の地名 甘南備 他の地名 神鍋山,神辺 万葉集 神名備,神名火 神祭り 巫(かんなぎ) 製鉄 かんなながし 龍田大社の説明「神奈備とは山が平地に接する端山」とあります。ハヤマでこれに御とか美を付けるとミハヤマ,三輪山となります。 |
[2] なぶさ(蛇) 香具 | 2002/03/05(Tue) 01:02 [Reply] |
いつもお世話になります。新規掲示板のご発足、おめでとうございます。 諸先輩を差し置いての投稿になりそうで、失礼をお許し下さい。 のっけからテスト問題! 試験は苦手なんです。 神奈備(カムナビ)を、神隠り(カムナバリ)とか神靡き(カムナビキ)という、解説を読んだことがあります。神隠り:隠れるなら陵が原意か、とか、神靡き:神が降臨(依りつき)など・・・。しかし、神上がりしていく墓と、降臨してくる聖地では異なるような気がしています。 兵庫県の神鍋山から思いついたのですが、神奈備山と神鍋山が同様の意味だとしたら、 『び』(廻、傍)。あるいは、『へ』(辺、端)。 から、『神の坐ます、すぐおそば、かたわら・・・』。神様の常駐場所。 しかし、平凡過ぎて面白みに欠けますネ。(『備』とは音が違うのでしょうし) まだまだテストは落第。 |
[1] テスト 神奈備 | 2002/02/11(Mon) 20:47 [Reply] |
神奈備とは? |