青草掲示板ログ平十五 四月 2003.1 |
[774] Re[773]: 閉鎖のお知らせ 玄松子 | 2003/04/14(Mon) 18:19 [Reply] |
お久しぶりです。 なにか、心境の変化でもありましたか。 > この掲示板を閉鎖し、神奈備掲示板を神奈備青草掲示板として統合いたします。 それは、残念なことです。 使い分け・読み分けをしている者も多いと思いますが。 |
[773] 閉鎖のお知らせ 神奈備 | 2003/04/14(Mon) 08:47 [Reply] |
この掲示板を閉鎖し、神奈備掲示板を神奈備青草掲示板として統合いたします。 ご愛顧ありがとうございました。 |
[772] Re[770][769]: 青草を食す。 神奈備 | 2003/04/13(Sun) 16:20 [Reply] |
三輪山セミナーに2〜3回参加したことがあります。 広い畳の部屋で椅子のない状態でお話を聞くのですが、足の痛いこと。 それはともかく、講演者の名を見ていますと産土神というか地霊の影響を感じます。 樋口さん、網干さん、千田さんは大和の出。 上田さんは亀岡の神主、上野さんは九州でした。万葉は全国区ですし。 やはり生まれ育った地域の土壌に育つ草木と同じ遺伝子を持っているのでしょう。 野菜でも地元の野菜を食べていると健康だと云います。 |
[771] Re[768][766][765][735][734]:待ってください・ 「男明神・女明神」 神奈備 | 2003/04/11(Fri) 22:35 [Reply] |
> 「男明神・女明神」は、岩だけなのです。いつから現状と同様なのか、まるで時代が分かりません。 いつ頃から男明神・女明神とよばれていたのかですね。 > たとえば江戸時代に作られた? この場合には文献が残っているのかも。 後世に造るのなら隣り合わせとか、もう少し近くに置くとか。それとも > 男神は鎮座できずに去っていった。 ことを示すべく、離れた場所にしたとか。 |
[770] Re[769]: お知らせ KAG | 2003/04/11(Fri) 00:55 [Reply] |
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「三輪山セミナー」の講演録が、三部作としてまとめられ学生社から刊行されています。 大神神社の授与所にも、御守と並んで置いてありました。参拝の帰りにでも買えますネ。 もうすぐ、鎮花祭(はなしずめのまつり)。伝染病が流行らないように祈願。(_人_) 忍冬酒はチョー甘ったるいけど、なんだか効きそうな薬酒です。チト高いけど。 |
[769] お知らせ ZOU [Mail] | 2003/04/09(Wed) 00:47 [Reply] |
★その1 大神神社で毎月1回開催されている文化講座「三輪山セミナー」の講演録が、三部作としてまとめられ学生社から刊行されています。1冊買いましたがなかなか面白いです。 「三輪山の考古学」 網干善教/〔ほか〕編 1,980円 4-311-20260-1 「三輪山の神々」上田正昭/〔ほか〕編 1,980円 4-311-20261-X 「三輪山の古代史」上野誠/〔ほか〕編 1,980円 4-311-20262-8 ご興味がおありの方は本屋さんへGO! 本屋さんが面倒な方はコンビニへGO!http://www.esbooks.co.jp/shelf/all ★その2 宮内庁ホームページで正倉院の宝物が公開されています。 http://shosoin.kunaicho.go.jp/ |
[768] Re[766][765][735][734]:待ってください・ 「男明神・女明神」 豆石光 | 2003/04/07(Mon) 23:58 [Reply] |
> 豆石さんが女明神 男明神について播磨国風土記の記事に注目されておられるのは、大和三山との諍いと関連があるのでしょうか。三山の内の二山(男神と女神)の精が笹山にたどり着いたので、争いはおさまったとか云うことでしょうか。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 待ってください。 「男明神・女明神」は、岩だけなのです。 いつから現状と同様なのか、まるで時代が分かりません。 これに関する古文献が見当たらないのです。探し方が悪い? 播磨国風土記の内容と、同様な伝承を基とし、たとえば江戸時代に作られた?という事も、念頭に置かなければ・・・ 風土記の揖保郡、広山里・枚方里の「男神・女神」に比定できるかどうか??? このことの、言い出しっぺは、「林田川のカッパさん」でしたっけ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 仮に、「男神・女神」=「男明神・女明神」として、 風土記の「男神・女神」は、応神天皇のとき。 男神が先で、女神が後からいらっしゃった。男神は鎮座できずに去っていった。 万葉の、いにしえの「三山の事象」は、この頃のことでしょうか? 香具山は 畝傍雄々しと 耳成と 相争ひき 神代より(かく)にあるらし (しか)にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき (万葉−13) 香久山と 耳梨山と あいし時 立ちて 見に来し 印南国原 (万葉−14) 実在の「男明神岩・女明神岩」は、 その時代のようにも、その場所のようにも・・・(何の根拠もナイ。) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 香具山=播磨新宮=伊和大神=出雲=男神・銅鐸?。 畝傍山=神武=大和。 耳なし山=家島・西島=天日槍+X.=女神・銅鏡?。「三つ巴」の神紋?ヨクありますね。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− やはり、頭に霞みが棚引きます。 |
[767] 天之日矛=天照大神 菅原眞道 | 2003/04/07(Mon) 00:13 [Reply] |
天之日矛と言う名前は典型的な日本、倭?風な名前ではないでしょうか。 前に説明したように 草=日=目 で日矛の日は目ではないでしょうか。 矛は真ん中がくびれた瓢箪のような、日本種の繭 日本書紀の一書に、天照大神が岩屋戸に隠れた時、「彼の神の像を図して・・ 日矛を作らしむ」と書かれています。 両方の天は、蚕の上部の天では 照は絹の美しい光沢 オオヒルメのオオは生石(おおしこ)神社の生で、生糸の生 ヒルは、屁をヒル、糞をヒル、のヒルで、出す、吐く メは、イザナギの目から生まれたので目 両方の目の意味は、養蚕に使われる道具に、目棚があり、 蚕を乗せて桑の葉を食べさせます 蚕には目の様な眼状紋(がんじょうもん)があります 目=蚕 天之日矛(繭の中にいる蚕)=天照大神 オオヒルメ(美しい光沢のある生糸を吐 く蚕) 天之日矛=蚕 子=天照大神 U 卑弥呼 |
[766] Re[765][735][734]: 「男明神・女明神」・頭の中まで霞みが棚引いて 神奈備 | 2003/04/06(Sun) 21:43 [Reply] |
播磨国風土記には畿内からの移住者が元地の地名を持ってきた話があります。太田であり枚方。いずれも渡来系のような感じです。 さて出雲からやってきた阿菩大神は揖保郡の地名の元になったとの説があります。 大和三山の諍いを止めるべく出雲国やってきた阿菩大神が争いがおさまったのでとどまったようで、面白いのは阿菩大神を祀る神社の名がイサカと訓む伊佐賀神社です。『式内社調査報告』によりますと、 阿菩大神がとどまったのは播磨国揖保郡中臣山で、ここには五十猛命を祀る中臣印達神社が鎮座、阿菩→揖保→飯→五十猛命かも。 豆石さんが女明神 男明神について播磨国風土記の記事に注目されておられるのは、大和三山との諍いと関連があるのでしょうか。三山の内の二山(男神と女神)の精が笹山にたどり着いたので、争いはおさまったとか云うことでしょうか。 大和内部の権力闘争に介入しようとした吉備の船団が引き返していますが、同じように阿菩大神も船で来ています。出雲から船で播磨へ、間に合わなかったのは船足のせいかも。 色んな妄想がわき出しますね。 |
[765] Re[735][734]: 「男明神・女明神」・頭の中まで霞みが棚引いて 豆石光 | 2003/04/06(Sun) 12:44 [Reply] |
龍野市・太子町の境界の > 「女明神 男明神」:ヨク分かりませんが、縄文か?弥生か?で、悩んでいます。否!天然の岩か?(検索で出るようになりました。おかげさまで。) 勇者ロトさま。http://6825.teacup.com/dragonsuplex/bbs ありがとう御座います。 播州野歩記さま。http://boat.zero.ad.jp/qwerty01/ (画像・詳細説明)ありがとうございます。 私、豆石は、播磨国風土記や、「国生み神話」との関連性を妄想しております。 |
[764] Re[758]: ナマコは生きた神か? KAG | 2003/04/02(Wed) 02:41 [Reply] |
もうひとつ、 > 天蚕の別名は山(こ)です。 > かいこの意味は、貝のように美しい光沢のある糸を吐く(こ)ではないでしょうか。 > よって こ=蚕となるのでは。 天蚕は山(こ)【ヤマコ】、つまり野生のコ。 【カイコ】は飼って育てるコ、そのまま『養蚕(かいこ)』がスンナリでは? 『こ=蚕』は普通ですが、なかには『コを集めてまいれ』と言われて、子供を集めてきた物語りもありますので、それほど『こ=蚕』ばかりじゃなかったのでしょう。 【コノワタ】つまり『コの腸(ワタ)』という珍味あるように、海の海鼠もコです。【ナマコ】が『生(ナマ)のコ』なのか、『ナマ』に海とか魚とか、あるいは食べ物を表現するような別の意味があったのか・・・そのへんは判りませんが、海鼠と蚕の形状は似ていますネ。 神谷(こたに)は【コウタニ】から縮んだと思うほうが自然に感じるのですが、『こ=蚕』の谷なら、子谷や小谷に当てたいナ? |
[763] Re[762]: ひみこ=ひほこ KAG | 2003/04/02(Wed) 02:18 [Reply] |
通りすがりで失礼致します。が・・・、 > 石上神宮では神庫をほくらと発音します。 > 神=ほ たしかに石上神宮では『ほくら』に神庫の字をあてていますが、「神=ほ」というのはどうかと思うのです。「神⊃ほ」(集合の記号ネ)は有るかもしれませんが。 もうひとつ、御山のことで・・・ > 大神神社のもとは、三輪明神で、三輪山のふもとに、小さな祠があり、きれい水が湧いていたのが,事の起こり・・・ この話しの出典は何(どこ、誰)でしょうか?すみませんが、詳しくお教え下さい。 |
[762] ひみこ=ひほこ 菅原眞道 | 2003/04/01(Tue) 23:02 [Reply] |
石上神宮では神庫をほくらと発音します。 神=ほ 大神神社のもとは、三輪明神で、三輪山のふもとに、小さな祠があり、きれい水が湧いていたのが,事の起こりだそうです。 山が御神体ではなく,山にふった雨が泉から湧きでてくる水が、御神体では。 よって、大神神社の蛇は蛟(みずち)=水池ではないでしょうか。 神=みわ、の意味は、蛟が輪になって水を囲んでいる、溜池では。 神=み ひみこ=ひほこ |
[761] 空爆 神奈備 | 2003/04/01(Tue) 11:44 [Reply] |
バクダッドが空襲に襲われていますが、かっての和歌山大空襲の話を思い出しました。 昭和20年7月9日から10日にかけて、B29、108機が和歌山を爆撃しました。約1200人が死亡したと伝わっています。 故郷は市内から東4kmほどの田舎でしたので、空襲からはまぬがれています。それでも、西の空の雲でしょうか、赤みがかっていたことを思い出します。尤も空襲の話を聞いてから、夕焼けなどを見て記憶が混乱しているのかも知れません。なにせかわいい乳幼児でしたから。自分が家の窓から手渡しで外に出され、防空壕へ運ばれていくシーンを記憶しているのです。自分を横から眺めている、これも後から聞いた話を画像化して記憶しているのでしょう。 市内への空襲は激しいもので、さしもの和歌山城も炎上しました。お城の南側に岡公園があり、現在も大きい岩が公園中央にどっかと居座っています。空襲の時、逃げまどう人々がこの岩の所にやってきました。なんと、噴水などついていないのに、岩から水が吹き出しているではありませんか。焦熱地獄の中のオアシスのようなもので、何人かは岩から出る水をかぶりながら難を避けました。 さしもの空襲も終わり、逃げ込んだ人々は動き出すはずでしたが、たった一人しか助からなかったようです。後の人々はやはり火傷で死に絶えていたとか。 戦後、昭和41年に公園を整備するべく、その岩を破壊するべく工事が始まりました。噴水の話はとっくに忘れ去られていたのです。しかし工事にかかると、手がしびれる、足をくじく、高熱をはっする、と工事人は次々と倒れていきました。近くの神主さんに来てもらって祈祷をおこなったのですが、事故が頻発、いっこうに岩を取り除くことはできなかったのです。 そのような時、一人の老人が通りかかりました。岩の噴水で生き残ったその人です。空襲で家をやけだされて田舎暮らしをしていたようです。老人が語るには、自分はその岩に何かを感じて毎朝岩の付近を掃除し、時々水をまいたり、岩に水をかけていたとのことで、それで助かったのだろう。その岩を壊さないでほしいと頼んでいきました。 お話を伺った神主さんも、自分が祈祷した際も、まったく通じていないことはわかっていたとか。 岩は今でも公園にあります。 www.kamnani.net/ki/city/sasuta2.htm |