青草掲示板ログ平十八年 四月 2006.4 |
[2055] Re[2053][2051][2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 大三元 | 2006/04/30(Sun) 12:23 [Reply] |
nickさん 『全国方言辞典』(東條操編)を見ているのですが「フェゴ」(とその周辺の音)では出てこない。(勿論、だから、無い、とは云いません・・・) > そうそう釜戸のある炊事場を「ハンドジ」なんて呼びましたっけ。。 ばんどし:夕食の支度。福島県東部・千葉県山武郡 というのがありました。同源でしょうかねぇ? > 田興しには「モガ」、芋洗い機を「モンボ」 もかえす:掘り返す、たおす。秋田・山形 なんてのが気になりますね。 いもつぼ:甘藷の貯蔵場。三重県志摩郡 これかしらねぇ? > お祭りの時や棟上の時まく米粉の団子を「シトッ」 しとぎ:西日本から採集されているけど東北でも云うと思います。古語のようですね。 アイヌ語でも sito シト、餅、団子 というのがあるし sitoki だと ・・・金属製の円盤・・・昔の鏡の形をしたものが多い、なんてところから、鏡餅、なんて概念が、かなり古いものかとか、アイヌ語との関連はどういう 性格なのか(偶然、どちらかからどちらかへの借用、縄文語以来のもの???)興味はありますが、追求し切れていません。 |
[2054] Re[2049][2048][2041]: 他にないカヤ? ku | 2006/04/30(Sun) 11:58 [Reply] |
>> 「鹿文」は「カヤ」と読みます > > >> を桜井光堂先生の「カモイ」説もあります。 >日本古語では極めて少ない例外を除いて二重母音がない、ということに照らすとその語形には疑問があります。 >ただ、倭姫世記には 此国ハ 鹿乃見哉毛為 ト白(申)シキ という記事があって、カノミカモヰ と読んでいる。 >この読みが正しければ カモヰ という語が抽出できるように思うが『時代別国語大辞典上代編』には掲げられていない。 >この語形では語として認知されていない、ということか。 kam nim im と云う「m」の子音が紀元前2500年頃に日本にはあったと考えています。 それは、インドのBrahmi 文字の「小さな黒丸」で表される文字です。 http://www02.so-net.ne.jp/~masakats/stonecircle.html/ に、大湯環状列石から出土した粘土板の画像があります。 「カモイ」・「カモヰ」は kam-i ではないでしょうか? アイヌの カムイのkam-i と高御産巣日(たかみむすひ)の神 ta kam-i musu hi のkam-i は同語ではないでしょうか? http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no103/fig12.jpg の紋様の抜き穴が「m」 の子音を表したものなら、 左は、gam 右は nam kam とBrahmi 文字とするなら読めるという事になります。 上記の画像は女名沢遺跡出土 有孔石製品(左:直径5.7cm 右:直径6.4cm)縄文時代晩期(約2500年前)です。 http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no103/rekishi.html |
[2053] Re[2051][2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 nick [Url] | 2006/04/30(Sun) 11:46 [Reply] |
> > 番組のクイズで先祖霊達を迎える篝火のことをヤーガン族の言葉で『フェゴ』と言っているのを聞いた老母が俄然いきいきと『これは昔の羽島で言っていたフェゴと同じだよ~』と語りだしはじめました。 > > この「フェゴ」はひょっとしてスペイン語なのでは? > フェゴ島 とは Tierra del fuego 火(炎)の土地 の意 > > また、ご参考 > http://www.bunnotvl.com/usuaia.html > > 不知火 を思い出しちゃった(^^) な~るほど。この線でも質問を。 昔、「かまど」があって、火をおこすのに「火吹竹」を使って 息を勢いよく吹きかけていましたが、この動作を「フェゴ」と 云ったような。。。?? 「ヘゴ」なら竹細工をする時、竹を小さく切り分け、網状の1本にした物を 呼ぶこともありますが。 そうそう釜戸のある炊事場を「ハンドジ」なんて呼びましたっけ。。 田興しには「モガ」、芋洗い機を「モンボ」 お祭りの時や棟上の時まく米粉の団子を「シトッ」 小出しに。。記憶が蘇る。嬉しい。 |
[2052] Re[2050][2041]: 他にないカヤ? nick [Url] | 2006/04/30(Sun) 11:16 [Reply] |
当地の天然記念物「のかいどう」が深紅の小さい林檎の実がなったと。。 お天気もよさそうだしこの連休は賑わうことでしょう。 全山を彩る「みやまきりしまつつじ」は例年通りこの中旬以降でしょうか。 > > 大三元さんは10年前にこの領域に達しておられた。流石。 このサイトに伺って「隼人」については研鑽を積みました。 > > 鹿屋野比売は草野姫とも書きます。別名を野槌神とします。「野」の神のことであって、草之姫の表示は野神としての意味が分からなくなった時期の名かも。 > 鹿屋とか草は前に置かれる言葉で、神とか神子の意味があるのかも知れません。 『ノロ』の系統と云う説もあります。 当地の「姫城』===>>「日」という説もあるようで、その線で行くと北上します。 ま、これからの課題ですが。 > 「カヤ」のついている神名は他に、飛鳥の神奈備に坐す加夜奈留美命、『出雲国風土記』の阿陀加夜努志多伎吉毘賣命、神武パパの鵜茅草葺不合神など、妙に長い神名があり、「カヤ」にはやはり前置の神などの意味があるのかも知れません。 > 祭神でそのような御名を拝している社を知りません。 ま、当地の場合「祭神」も曖昧になりつつあり、近年、無理やり「三国名勝図会」あたりから抽出したような形跡もありますから。。 |
[2051] Re[2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 大三元 | 2006/04/30(Sun) 11:05 [Reply] |
> 番組のクイズで先祖霊達を迎える篝火のことをヤーガン族の言葉で『フェゴ』と言っているのを聞いた老母が俄然いきいきと『これは昔の羽島で言っていたフェゴと同じだよ~』と語りだしはじめました。 この「フェゴ」はひょっとしてスペイン語なのでは? フェゴ島 とは Tierra del fuego 火(炎)の土地 の意 また、ご参考 http://www.bunnotvl.com/usuaia.html 不知火 を思い出しちゃった(^^) |
[2050] Re[2041]: 他にないカヤ? 神奈備 | 2006/04/30(Sun) 10:24 [Reply] |
> 神石萱 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される 先住民 > http://www.dai3gen.net/kami_pre.htm > 他にない、というのはナカナカ難しい 大三元さんは10年前にこの領域に達しておられた。流石。 鹿屋野比売は草野姫とも書きます。別名を野槌神とします。「野」の神のことであって、草之姫の表示は野神としての意味が分からなくなった時期の名かも。 鹿屋とか草は前に置かれる言葉で、神とか神子の意味があるのかも知れません。 「カヤ」のついている神名は他に、飛鳥の神奈備に坐す加夜奈留美命、『出雲国風土記』の阿陀加夜努志多伎吉毘賣命、神武パパの鵜茅草葺不合神など、妙に長い神名があり、「カヤ」にはやはり前置の神などの意味があるのかも知れません。 熊襲の名に共通する「鹿文」は前置ではありませんが、神とか、八十梟師の首領のような意味を持っているのかも知れません。 鹿屋野比売の鹿屋は大隅半島の地名にあるのですが、『平成データ』によりますと、草野姫を祀る神社は鹿児島県にはなく、鹿屋と言う場所と短絡させることは無理筋かも。実際の所、四国、なかんずく徳島県に圧倒的に多い神なのです。 |
[2049] Re[2048][2041]: 他にないカヤ? 大三元 | 2006/04/30(Sun) 10:09 [Reply] |
> 「鹿文」は「カヤ」と読みます > > を桜井光堂先生の「カモイ」説もあります。 日 本古語では極めて少ない例外を除いて二重母音がない、ということに照らすとその語形には疑問があります。ただ、倭姫世記には 此国ハ 鹿乃見哉毛為 ト白 (申)シキ という記事があって、カノミカモヰ と読んでいる。この読みが正しければ カモヰ という語が抽出できるように思うが『時代別国語大辞典上代 編』には掲げられていない。この語形では語として認知されていない、ということか。 |
[2048] Re[2041]: 他にないカヤ? nick [Url] | 2006/04/30(Sun) 03:53 [Reply] |
> 神石萱 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される 先住民 > http://www.dai3gen.net/kami_pre.htm > > 他にない、というのはナカナカ難しい 「鹿文」は「カヤ」と読みます を桜井光堂先生の「カモイ」説もあります。 アイヌ読みならこちらがいいような。 そうすると現在の「カヤ」と読んでの意味の捉え方も異なってくるのでは。 |
[2047] Re[2046][2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 恋川亭 | 2006/04/30(Sun) 01:49 [Reply] |
> 来月、下野先生にお会いして伺ってみましょうか。 お手数をおかけ致しまして申し訳御座いません。恐れ入りますが宜しくお願い申し上げます。 ただ、我が一族はいわゆる『ハマ(浜)』系統の漁民ですので日常で受け継がれたものです (文献的記録はありません)。マンゾウジ先生(あれ?変換できないワ?)の追試験もできないのでヤキモキしている状況です。 『ヤーガン』にしても「アーガン」って書く(欠く)始末ですし~。 誠に『てげてげ(大概大概)』な投稿でゴメンナサイ。。<(__)> |
[2046] Re[2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 nick [Url] | 2006/04/30(Sun) 01:17 [Reply] |
恋川亭さん> お盆などでの先祖霊や精霊の迎え火/送り火を焚くことを「フェゴを焚く」といったそうです。 来月、下野先生にお会いして伺ってみましょうか。 親父ならあるいは判ったかもしれませんが、、認知症じゃどうだか。。 昔言葉なら案外思い出すかも。。 |
[2045] Re[2044]: アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 nick [Url] | 2006/04/29(Sat) 23:51 [Reply] |
> > nickさん、QUBOさん > 今夜、TVの「世界ふしぎ発見」(南米チリのモンゴロイドを取材)を見ていて。 そうでしたね。今夜でした。失敗しました。タイタニック設定しちゃった。 また探検ロマンは今夜はスペシャルでした。 こちらは再放送があるから後でも好かったんですね。 大失敗です。 |
[2044] アーガン/フェゴ/迎え火/追憶 恋川亭 | 2006/04/29(Sat) 23:36 [Reply] |
> nickさん、QUBOさん 今夜、TVの「世界ふしぎ発見」(南米チリのモンゴロイドを取材)を見ていて。 私は既にヨッパライでうつらうつらとしていたのですが・・・、 南米最南端まで達して古代から生活しいた最古のモンゴロイド:ヤーガン族の純粋な血を受け継ぎ、ヤーガンの言葉を話せる最後の語り部としての老婆が、ヤー ガン語で話していました。(私は・・・数年前に最後の老姉妹として紹介された記事を思い出し、とうとう一人になってしまったんだなーと酔眼睡脳状態) いっしょに見ていた家族達は、「やはりアイヌ語に雰囲気が似ているネ~」とか言っていたのですが、番組のクイズで先祖霊達を迎える篝火のことをヤーガン族 の言葉で『フェゴ』と言っているのを聞いた老母が俄然いきいきと『これは昔の羽島で言っていたフェゴと同じだよ~』と語りだしはじめました。 今 から60年も前、鹿児島県串木野(今は官のアホにより「いちき串木野市」、当時は日置郡)の羽島村の漁村側での話し(農村部のことは知らない)。お盆など での先祖霊や精霊の迎え火/送り火を焚くことを「フェゴを焚く」といったそうです。老母がその祖父母(私からは曽祖父母)から、『フェゴを焚かんか(焚き なさい)』とよく任されていたことを思い出したことによります。老母の話しは、それから多方面に展開していくのですが(笑)、ここではそれ以上の関係があ りませんので割合(失礼しました)。 『フェゴ』にどれほどのことかわかりませんが、ひとつの報告としまして。『名』がエデン語として、ネイム・ナーメ・メイ・ナマエとある面白さのように。最後の氷河期以降、1万数千年の広がり。楽しみたい思いです。 それにしても、精霊に対する『迎え火/送り火』の行為。人類にとって数万年単位の重要な『祭礼』だったのでしょうね。 ---------------- (貴 重なアーガン語を録画していたつもりが!昨夜NHKのサラリーマンNEOの録画設定のままチャンネルが異なっていて録画できませんでした。ヒジョーに残 念!『せかい不思議発見』は貴重な放送であっても再放送しない非情の番組なので、かえすがえすも残念!スポンサーの日立に抗議したいと同時にNHKには八 つ当りしたくなってきました。笑) |
[2043] Re[2041]: 他にないカヤ? nick [Url] | 2006/04/29(Sat) 23:07 [Reply] |
> 神石萱 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される 先住民 > http://www.dai3gen.net/kami_pre.htm 陸奥と熊襲が繋がれば、まんざらでもない==>>大穴持神社由緒 なのですが。 |
[2042] 無題 ku | 2006/04/29(Sat) 21:59 [Reply] |
大三元さん 深謝。 神衣媛 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、 子孫が許される 先住民 神石萱 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、 子孫が許される 先住民 足振辺 蝦夷の首師 従うものは許され、従わざるものは殺された 大羽振辺 蝦夷の首師 従うものは許され、従わざるものは殺された 遠津闇男辺 蝦夷の首師 従うものは許され、従わざるものは殺された から、 邪馬壹國は陸奥にあった証左の一つとしたい。 |
[2041] 他にないカヤ? 大三元 | 2006/04/29(Sat) 17:13 [Reply] |
神石萱 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される 先住民 http://www.dai3gen.net/kami_pre.htm 他にない、というのはナカナカ難しい |
[2040] Re[2038][2034] HPの紹介 nick [Url] | 2006/04/29(Sat) 11:43 [Reply] |
> HPのご紹介、ありがとうございます > 「森」が大きく深いので時間をかけて拝見中です > 上野原も今年中には一度尋ねたいと思っていました > 早くも四ヶ月がすぎてしまいました。 例の市町村合併でリンク切れが多くて恐縮です。 今適時更新しています。 お見えになるならメールなりお電話を頂ければご案内しますよ。 交通の便が悪いから「レンタカー」がお勧め。 当方持病があって運転はしませんが。 |
[2039] 無題 ku | 2006/04/29(Sat) 11:19 [Reply] |
熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。・・・古事記 次に野の神、名は鹿屋野比賣(かやのひめ)の神を生む。 またの名を野椎(のづち)の神と謂う。 【志那都比古の神より野椎まで、并せて四神(よつはしら)】・・・・古事記 『日本書紀』景行天皇12年12月5日条に、熊襲(くまそ)の指導者たちの名前として、厚鹿文(あつかや)、?鹿文(さかや)、市乾鹿文(いちふかや)、 市鹿文(いちかや)、同27年10月13日条に取石鹿文(とろしかや)といった人たちが登場する。これらの人名は、「かや」が付く点で共通しているが、こ のことは他の異種族の首長名にはない特徴でもあるため、熊襲の言語で「かや」は、彼らにとって何か重要な概念を表しているらしい。 (http://www5f.biglobe.ne.jp/~dayfornight/gesshin/hayato_gesshin/02kayanohime_hayato/02kayanohime_hayato.html から引用。) 『鹿屋野比賣(かやのひめ)の神』と『熊襲(くまそ)の指導者たちの名前として、厚鹿文(あつかや)、?鹿文(さかや)、市乾鹿文(いちふかや)、市鹿文(いちかや)』 のカヤは同系ではないでしょうか? |
[2038] Re[2034] HPの紹介 QUBO | 2006/04/29(Sat) 10:57 [Reply] |
> 縄文時代に関しては、私のサイトの「縄文の窓」パミス:辺りをどうぞ。 > 他に「上野原縄文の森」があります。 > 同じくメニューの歴史探訪リンクをご覧下さい。 HPのご紹介、ありがとうございます 「森」が大きく深いので時間をかけて拝見中です 上野原も今年中には一度尋ねたいと思っていました 早くも四ヶ月がすぎてしまいました。 |
[2037] Re[2036]: 無題 神奈備 | 2006/04/28(Fri) 18:23 [Reply] |
> >イリ王朝は景行天皇の王朝です。 > > 決史八代の4人の孝(天皇)の王朝も崇神(スジン) ・御間城入彦五十瓊殖尊(ミマキイリヒコイニエ)のイリ王朝も 物部王朝(母体は東北・秋田でしょう)だと思います。 イリは崇神からでしたね。景行はタラシでした。2035は取り消しです。 |
[2036] 無題 ku | 2006/04/28(Fri) 17:25 [Reply] |
>イリ王朝は景行天皇の王朝です。 決史八代の4人の孝(天皇)の王朝も崇神(スジン) ・御間城入彦五十瓊殖尊(ミマキイリヒコイニエ)のイリ王朝も 物部王朝(母体は東北・秋田でしょう)だと思います。 |
[2035] Re[2031]: 開化と崇神 神奈備 | 2006/04/28(Fri) 16:31 [Reply] |
イリ王朝は景行天皇の王朝です。『日本書紀』では、この天皇の活躍は九州を中心として戦いのことが書かれています。九州の王朝とすれば邪馬台国とか狗奴国の後裔国かも知れません。そう言うことを考えますと、 > イリ王朝の変質によって南九州勢力は反体制派になったんじゃないか イリ王朝と南九州勢とは元々相容れなかったのでしょう。 |
[2034] Re[2033][2026][2025][2023] ホンの紹介 nick [Url] | 2006/04/27(Thu) 18:45 [Reply] |
隆起に関しては新しいところでは今から6000年前 当地隼人辺りでは30-50m隆起している場所があります。 現在の錦江湾内の小島から、昭和42年、貝の堆積層が発見されています。 縄文時代に関しては、私のサイトの「縄文の窓」パミス:辺りをどうぞ。 他に「上野原縄文の森」があります。 同じくメニューの歴史探訪リンクをご覧下さい。 南薩摩は、現在の私のテリトリー外ですが、、参考になりますかどうか。 |
[2033] Re[2026][2025][2023] ホンの紹介 nick [Url] | 2006/04/27(Thu) 18:38 [Reply] |
> nickさん こんにちは 「唐人町」紹介ありがとうございます > 「唐人町」からの連想で、ずれますが鹿児島の話 > 池田湖のそば、そうめん流しの発祥地、地名が「唐船峡」 > これ以前から気になってるんですが、いったいいつ頃 > 「唐船」が来ていたんでしょう ご存知でしたら教えてください これに関しては次のサイトをどうぞ。 http://www.minc.ne.jp/kaishou/annai/tousenkyou/tousenkyou.htm 管理人さんをご案内しようと思っていたのですが、ちょっと時間が無かった。 残念でした。 |
[2032] Re[2030][2020][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう 玄松子 | 2006/04/27(Thu) 15:37 [Reply] |
> 『速』のハヤイと置いたのは、速の血の拡散速度が速かったということが言えると思いますね。 > 『熊曾の國を建日別(たけひわけ)』の『熊(那の血筋?)+ 建』の血に『速』の血が混ざり、熊と置けず、建と置けず、速とも置けず、最終的混血が速であり、文字を換えて『隼』と置いたとおもわれる。 > 鹿児島はカルデラ爆発で人が住める状態には無かった時間軸があり、熊曾の國へ避難していた人たちもいたでしょう。その人たちが熊や速の血を入れて鹿児島に戻って隼人では、と。 ですから、これらの理由を教えてくださいよ。 理由を示さなくて良いのなら、 「建の付く神名は縄文系遺伝子の系譜、 速の付く神名は弥生系遺伝子の系譜、 天の付く神名は渡来系・・・」 などと、言い放題ですよね。 |
[2031] 開化と崇神 琉球松 | 2006/04/27(Thu) 12:03 [Reply] |
神奈備さんへ 「皇孫」が "南下" したという『記紀』のくだりは、イリ王朝以降の作為ではないかと考えたわけです。 つまり、「隼人」と呼ばれた勢力は、邪馬台国建国に貢献した主体という意味で、本来の「皇孫」ではないかと。。。 しかし、崇神以降に「まつろわぬ民(隼人だけとは限らない?)」のレッテルを張られたとすれば、イリ王朝にとって "皇孫は隼人等" だとするのは都合が悪かったんじゃないでしょうか。 あるいは、神武~開化の時代が仮に史実だったとしても "万世一系" の建前を繋ぐために改ざんしたとは考えられないでしょうか? また、開化(連)が邪馬台国の時代だとすると、三輪山伝説の「大物主(臣?)」が女系政権を打倒してしまったとも考えられますよね。 これはまあ、どうでしょうか? イリ王朝の変質によって南九州勢力は反体制派になったんじゃないかとも見えるんですが。。。これっ「沖縄的フィルター」。。(笑)。 |
[2030] Re[2020][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/27(Thu) 10:32 [Reply] |
>隼人との関連ですが、「侮れない」とは、「速」の意味がスピードなのか、南なのか、はたまた何でしょうかね。 私的には、那・建・速は血筋と据えています。 『速』のハヤイと置いたのは、速の血の拡散速度が速かったということが言えると思いますね。 >侮れない関係とは? 『熊曾の國を建日別(たけひわけ)』の『熊(那の血筋?)+ 建』の血に『速』の血が混ざり、熊と置けず、建と置けず、速とも置けず、最終的混血が速であり、文字を換えて『隼』と置いたとおもわれる。 鹿児島はカルデラ爆発で人が住める状態には無かった時間軸があり、熊曾の國へ避難していた人たちもいたでしょう。その人たちが熊や速の血を入れて鹿児島に戻って隼人では、と。 |
[2029] Re[2027][2024][2022][2021][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう 玄松子 | 2006/04/27(Thu) 10:10 [Reply] |
> 古事記から『建・速・那・藝』を抜粋してみました。 抜粋? 羅列。 羅列された国生み・神生みから、何が言いたいのでしょうか。 > 古事記の中に記述された或る原初の文字は本末一貫し用いられている > と、するのは本当に非理論的でしょうか? 「古事記の中に記述された或る原初の文字は本末一貫し用いられている」 と考える【根拠】が説明されなければ論理はありません。 また、原初の文字とは漢字ですか? 漢字に拘る根拠はなんですか? 古事記のみに限定される根拠・理由はなんですか? 日本書紀は無視ですか。無視する根拠・理由はなんですか? 風土記などの他の史料との相関関係は見られましたか? |
[2028] Re[2023][1943]: ホンの紹介 玄松子 | 2006/04/27(Thu) 10:01 [Reply] |
> どの本もフィルターを通しながら読むべきですね。「しっかりした自分のフィルター」のような独善的なフィルターではだめですが。 あなたのフィルターは、「しっかりした自分のフィルター」では無いとおっしゃっている? ということは、 ・しっかりしていない ・あるいは、自分のものではない ・あるいは、しっかりしていないし、自分のフィルターでもない なるほど。 |
[2027] Re[2024][2022][2021][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/27(Thu) 09:57 [Reply] |
古事記から『建・速・那・藝』を抜粋してみました。 次に伊邪那岐(いざなき)の神、次に妹(いも)伊邪那美(いざなみ)の神・・・『那』 土左の國は建依別(たけよりわけ)と謂う。 ・・・『建』 国生み 名は速秋津日子(はやあきつひこ)の神。・・・・『速』 神生み 神の名は沫那藝(あわなぎ)の神。次に沫那美(あわなみ)の神。・・・・・・・・・・『那・藝』 神生み 此の速秋津日子・速秋津比賣の二(ふたはしら)の神、河海に因りて持ち別けて生める神の名は沫那藝(あわなぎ)の神【那藝の二字は音を以ちてす。下、此 れに效え】。 次に沫那美(あわなみ)の神【那美の二字は音を以ちてす。下、此れに效え】。 次に頬那藝(つらなぎ)の神。 古事記の中に記述された或る原初の文字は本末一貫し用いられている と、するのは本当に非理論的でしょうか? 『藝』 天津日高日子番能邇邇藝(あまつひたかひこほのににぎ)の命。 邇藝速日(にぎはやひ)の命。 沖縄には名乗頭(例えば、良・盛・朝・安・)といういがあります。今帰仁は尚王家一族の朝だそうです。 この名乗頭から血族をたどることが可能でしょう。 |
[2026] Re[2025][2023] ホンの紹介 QUBO | 2006/04/27(Thu) 09:47 [Reply] |
nickさん こんにちは 「唐人町」紹介ありがとうございます 「唐人町」からの連想で、ずれますが鹿児島の話 池田湖のそば、そうめん流しの発祥地、地名が「唐船峡」 これ以前から気になってるんですが、いったいいつ頃 「唐船」が来ていたんでしょう ご存知でしたら教えてください PONTAさん こんにちは [1943]: ホンの紹介 へのレスありがとうございます 「独善的なフィルター」は良くないですね 同意します でも 「しっかりした自分のフィルター」 ≠ 「独善的なフィルター」 です 表現は悪かったので訂正しましょう あの本は 一般の本と比較して、誤解してかわざとか?誤りが多い 読むまでも無いが、 敢えて読むなら、よく注意し鵜呑みにしないように です > 昔の人は「度量が大きく寛容」見習いたいところです。 うぅ~む 「度量が大きく寛容」に ありたいものです |
[2025] Re[2023][1943]: ホンの紹介 nick [Url] | 2006/04/27(Thu) 08:51 [Reply] |
> > 万が一読まれる場合、しっかりした自分のフィルターを必要とする本ですな。 >> 中国の後宮の故事・・・中国での起源よりも、なぜ日本人が、数多くある中国の風俗・風習からこの中国の後宮の故事を選んで取り入れたのか(日本での起源、日本に取り入れたいと思った理由)を追求したいものです。 何でもそうですが、やはり「多面的な捉え方」が大事ですよね。 当地には島津が奨励した「唐人町」があって、かなりの隆盛を極めたようです。 過日、あちらの紀行ドキュメンタリーを見ていたら、全く酷似した慣習があったので 驚きました。 中国語や韓国語に堪能だったら歴史探訪も捗るのになと。。 昔の人は「度量が大きく寛容」見習いたいところです。 |
[2024] Re[2022][2021][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう 玄松子 | 2006/04/27(Thu) 08:18 [Reply] |
> タケミカヅチは、 > 神産みにおいてイザナギがカグツチの首を切り落とした際、生まれた三神の一柱であり、カグツチは古事記では火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)と表記 されています、此処に建速須佐之男(たけはやすさのお)の速と火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)の速が符合します。 「名前の文字の一字が同じ→神として関連がある」とする根拠はなんですか、 という質問に、「名前の文字の一字が同じ」だから、との回答ですね。 正確には「名前の文字の一字が同じ神と同時期に生まれたから」というご説明です。 風が吹けば桶屋が…よりも、さらに非論理的ではないでしょうか。 |
[2023] Re[1943]: ホンの紹介 PONTA | 2006/04/27(Thu) 07:38 [Reply] |
> 「料亭などの玄関の『盛塩』の習俗」 > これは中国の後宮の故事で、牛車を止める為、好物の塩を盛った > 決して祓いの風習ではありません。客寄せのまじないです。 > ざっと目を通しただけでも、不安な部分の多い本です。 > この著者は、調べもせずに、一般常識と思われることを羅列する人。 > 万が一読まれる場合、しっかりした自分のフィルターを必要とする本ですな。 どの本もフィルターを通しながら読むべきですね。「しっかりした自分のフィルター」のような独善的なフィルターではだめですが。 中国の後宮の故事・・・中国での起源よりも、なぜ日本人が、数多くある中国の風俗・風習からこの中国の後宮の故事を選んで取り入れたのか(日本での起源、日本に取り入れたいと思った理由)を追求したいものです。 |
[2022] Re[2021][2016][2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/27(Thu) 00:35 [Reply] |
> > 建角見命も、建羽槌命も、建御名方も建速素盞嗚尊命の血が入っていると考えています。 > > 建速素盞嗚尊命の名称の本体は、素盞嗚尊命の部分ではないでしょうか。 青草ですが、 メソポタミアにスサ王朝がありました。 スサのシュメール語を調べると、三分の一と云う数字です。 建速須佐之男(たけはやすさのお)は、建が三分の一、速が三分の一、?が三分の一の血を引く男。 1.日本書紀垂仁天皇紀に 昔丹波国の桑田村に、人有り。名を甕襲(みかそ)といふ。即ち甕襲の家に犬有り。名を足往(あゆき)といふ。 是の犬、山の獣(しし)、名を牟士那(むじな)といふを喰ひて殺しつ。 即ち獣の腹に八尺瓊(やさかに)の勾玉有り。因りて献(たてまつ)る。 是の玉は、今 石上神宮に有り。 2. 神の名は甕速日(みかはやひ)の神・・・・古事記 ?の三分の一は那、つまり沖縄です。 何故、那(沖縄)かと云うと、建速須佐之男(たけはやすさのお)の オの一文字をシュメール語の uh と置き換え日本語に直すと『蛾』です。 世界一大きい蛾(蛾の王者)は、与那国島のヨナグニさんです。 建速須佐之男(たけはやすさのお)の本質は、『建・速・那』であると思います。 > > > 建の一字を冠する事が出来るのはその証拠でしょう。 > > 「建」で同系なら、ミナカタとミカヅチは、ともにスサノヲの子孫となります。 > どこをどうすれば「その証拠」といえるのでしょう。 タケミカヅチは、 神 産みにおいてイザナギがカグツチの首を切り落とした際、生まれた三神の一柱であり、カグツチは古事記では火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)と表記さ れています、此処に建速須佐之男(たけはやすさのお)の速と火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)の速が符合します。 カグツチ・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)は建速須佐之男(たけはやすさのお)と速の同じ血が流れていた事になるでしょう。 建御名方神(たけみなかたのかみ)は、大国主の子ですから、建速須佐之男の血が流れています。 |
[2021] Re[2016][2015][2014]: 題名を入れましょう 玄松子 | 2006/04/26(Wed) 23:05 [Reply] |
> 建角見命も、建羽槌命も、建御名方も建速素盞嗚尊命の血が入っていると考えています。 建速素盞嗚尊命の名称の本体は、素盞嗚尊命の部分ではないでしょうか。 > 建の一字を冠する事が出来るのはその証拠でしょう。 「建」で同系なら、ミナカタとミカヅチは、ともにスサノヲの子孫となります。 どこをどうすれば「その証拠」といえるのでしょう。 |
[2020] Re[2016][2015][2014]: 題名を入れましょう 神奈備 | 2006/04/26(Wed) 22:23 [Reply] |
> ただ、文字は違いますが、建速須佐之男の速と隼人の隼の音の関係は侮れません。 「速」の文字を持つ神々を思いつくままに:- 熊野速玉男神 伊豆速男神 火燒速女命 正哉吾勝勝速日天忍穗耳命 饒速日神 速秋津姫神 隼人との関連ですが、「侮れない」とは、「速」の意味がスピードなのか、南なのか、はたまた何でしょうかね。 侮れない関係とは? |
[2019] Re[2013][2011][1995]:『土井が浜と隼人』 神奈備 | 2006/04/26(Wed) 22:08 [Reply] |
> > 大谷駅はありますが、大谷古墳とは関係ありません。 ご指摘ありがとうございます。 伊都郡にありました。 失礼いたしました。 |
[2018] Re[2016][2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/26(Wed) 21:42 [Reply] |
真に申し訳ありません。 玄松子様の敬称が書き漏れていました。 |
[2017] Re[2016][2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/26(Wed) 21:39 [Reply] |
玄松子s |
[2016] Re[2015][2014]: 題名を入れましょう ku | 2006/04/26(Wed) 21:08 [Reply] |
> 毎回、投稿の題名を付けないようですね。質問しても回答はないようですが。 QUBO さんとのディズニー映画・「ニモ」の件ですね。 青草で 玄松子の頭を悩まさせることはないと失礼させてもらいました。 さすがの「ニモ」も「オス」からメス誕生の映画は作れないでしょう。^^; > > > 熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。・・・古事記 > > の『建』は建速須佐之男(たけはやすさのお)の『建』。 > > 「建」の一字が付くから同じ神どと主張しているのでしょうか。 神の事はわかりませんのでその様な主張をするつもりもありません。 > すると、建角見命も、建羽槌命も、建御名方命も、皆、素盞嗚尊命というのでしょうか。 建角見命も、建羽槌命も、建御名方も建速素盞嗚尊命の血が入っていると考えています。建の一字を冠する事が出来るのはその証拠でしょう。 > > > 須佐之男には熊の血もはいいているようですね。 > > 天津日高日子番能邇邇藝能が須佐之男の子であるなら、 > > 天津日高日子番能邇邇藝能命が、須佐之男神の息子? 「須佐之男の子であるなら」との仮定です。 ただ、文字は違いますが、建速須佐之男の速と隼人の隼の音の関係は侮れません。 天津日高日子番能邇邇藝能命の子が何処で隼の一字を受けたか? 天津日高日子番能邇邇藝能命に建速須佐之男の血が入っていないのならば、木花之佐久夜毘賣にその可能性を見つけ鳴ければ成りませんが・・・より困難でしょう。 須佐之男の子を須佐之男の子孫と訂正させて下さい。 |
[2015] Re[2014]: 題名を入れましょう 玄松子 | 2006/04/26(Wed) 20:21 [Reply] |
毎回、投稿の題名を付けないようですね。質問しても回答はないようですが。 > 熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。・・・古事記 > の『建』は建速須佐之男(たけはやすさのお)の『建』。 「建」の一字が付くから同じ神どと主張しているのでしょうか。 すると、建角見命も、建羽槌命も、建御名方命も、皆、素盞嗚尊命というのでしょうか。 > 須佐之男には熊の血もはいいているようですね。 > 天津日高日子番能邇邇藝能が須佐之男の子であるなら、 天津日高日子番能邇邇藝能命が、須佐之男神の息子? |
[2014] 無題 ku | 2006/04/26(Wed) 19:43 [Reply] |
熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。・・・古事記 の『建』は建速須佐之男(たけはやすさのお)の『建』。 天津日高日子番能邇邇藝能(あまつひたかひこほのににぎの)命と木花之佐久夜毘賣の子として、 火照(ほでり)の命【此は隼人(はやと)の阿多(あた)の君の祖(おや)】 。・・・古事記 須佐之男には熊の血もはいいているようですね。 天津日高日子番能邇邇藝能が須佐之男の子であるなら、 隼人(はやと)にも熊の血が流れているようです。 イリ王朝は、漢の血も継承して 唐松神社、唐松山天日宮 http://kamnavi.jp/mn/higasi/karamatu.htm が表の、物部王朝だと思っています。 |
[2013] Re[2011][1995]:『土井が浜と隼人』 かまど | 2006/04/26(Wed) 19:32 [Reply] |
神奈備様、とみた様 > 「大谷」と言う駅は和歌山線にはないのです。大谷古墳へは、終点の和歌山で下車、鳴滝団地行きのバスにお乗りください。 大谷駅はありますが、大谷古墳とは関係ありません。 |
[2012] Re[2010][2004]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/26(Wed) 18:19 [Reply] |
管理人さん> 琉球松さんから、「これも面白いですね。」のコメントを頂きましたが、本来、琉球松さんが熊襲と隼人の関連を解説されて、他の読者がそのようなコメントをする流れが自然だったのですが・・・。 済みませんね。私がちょっと出過ぎました。 琉球松さんからご回答が無い様だったので、過去に書籍等で調べた結果をポスト しましたが、、 > [1990] で、kuさんが、『「熊襲」と「隼人」は多分、同一集団を指す呼称は微妙ですね。 > の文章には、(』括弧閉じる)がないのですが、多分呼称は』なのでしょうが、おっしゃる通り完全一致と言うことはないでしょうね。一致ならどちらかの言葉で間に合うのですから。 > だから歴史学者の方々も喧々囂々でしょうか。 木簡でも出れば信憑性が確認されるのですが。。 ま、判らないから「素人」へも論議の場が開かれて。。 中村明蔵先生とはよくお話しますが、史資料が少ないからご苦労が 絶えないようですね。 当地では一昔前の西南戦争の事も判らなくなりつつありますよ。 「不浄の物」は「焼却して清めよ」と言ったところで。 霧島講や秋葉講等の資料等はその傾向が強いですから、、 史資料の閲覧だけでも「プライバーシーの侵害」だと これまた大変です。 |
[2011] Re[1995]:『土井が浜と隼人』 神奈備 | 2006/04/26(Wed) 13:47 [Reply] |
> 古希まで少し時間がありますので、これからがもっと楽しみです。 とみたさん、こんにちは。 同じような年代ですね。お互いに多いに楽しみましょう。 > JR天理を始点に和歌山線が魅力的ですね。和歌山が終点です。 > 天理、柳本、巻向、三輪、桜井、高田、御所、吉野口、五条、高野口、大谷、和歌山 > は正に歴史漫歩に絶好ですね。 > 五条は、吉野川の吾田に近い。 > 大谷は馬チュウが出たところです。 生まれ故郷のことですので、チョイト。 「大谷」と言う駅は和歌山線にはないのです。大谷古墳へは、終点の和歌山で下車、鳴滝団地行きのバスにお乗りください。 http://inoues.net/ruins/otani_kofun.html |
[2010] Re[2004]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/26(Wed) 13:44 [Reply] |
[1975] > イリ王朝以降のヤマトに反発したのが、のちに熊襲とされた隼人などの皇孫ではないかと思うんです。 と 言う文章の中の「のちに熊襲とされた隼人」にのみ注目した質問を、[1981] で、琉球松さんにさせて頂きました。それから暫くして、[1984] で、「記紀編纂時代より前に熊襲とも呼ばれていた」と言う意味でしょうかとの再質問なんです。私の主張ではないのです。 琉球松さんから、「これも面白いですね。」のコメントを頂きましたが、本来、琉球松さんが熊襲と隼人の関連を解説されて、他の読者がそのようなコメントをする流れが自然だったのですが・・・。 [1990] で、kuさんが、『「熊襲」と「隼人」は多分、同一集団を指す呼称は微妙ですね。 の文章には、(』括弧閉じる)がないのですが、多分呼称は』なのでしょうが、おっしゃる通り完全一致と言うことはないでしょうね。一致ならどちらかの言葉で間に合うのですから。 ところで、琉球松さんがおっしゃりたい、「隼人などの皇孫」の皇孫にあるわけで、イリ王朝の大王の祖先と言う意味ではないと思います。どの王朝の祖先と意味なのでしょうか? |
[2009] Re[1989][1988]: 佐々波多神社 神奈備 | 2006/04/26(Wed) 13:42 [Reply] |
玄松子さん、ありがとうございます。 妖さん、佐々波多神社は今は篠畑神社と呼ばれています。 http://www.town.haibara.nara.jp/3kankou/kankou/bunka/sasabat.htm |
[2008] Re[2006][2004][1984][1981][1975]: バナナと花 nick | 2006/04/26(Wed) 08:47 [Reply] |
> 大隅隼人、薩摩隼人、甑島隼人の三つです。 とみたさん 旅行からお帰りになりました。 隼人に関しては、次のような呼称も史資料には 散見されます。 阿多隼人:南薩摩一帯の海洋民族?ゴホウラ貝の運搬 日向隼人:髪長姫が出た宮崎の諸県辺り また、風土記辺りによると、「熊襲」として 九州一円にその名が見られるそうです。 (地元の図書館では大半が閲覧不可) 日本の下半身、主に南九州以南には今から2万年から1万年前の 遺跡がゴロゴロ眠っています。 6500年前には大噴火でこれらの大半が消滅した ことになりますが、案外、大海原へ漕ぎ出し散ったのではと 想いを巡らせています。 その末裔が里帰りをして日本国の源を築いた。 里帰りしたのが当然徐福でその子孫が後の皇族となり隼人となり。。 ここいらが在野の俄か歴史家の特権みたいなところですね。 最近、俄然この頃の事を探求する意欲が湧いてきた。 夢もまた楽し。 |
[2007] Re[2006][2004][1984][1981][1975]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/25(Tue) 23:47 [Reply] |
とみたさん、ありがとうございます。 地図で見ると、だいたい "九州の下半身" って感じですね。 となると、種子屋久~トカラ&奄美沖縄は、クマソの子供達かも(笑)。 |
[2006] Re[2004][1984][1981][1975]: バナナと花 とみた | 2006/04/25(Tue) 19:12 [Reply] |
> 「記紀編纂時代より前に熊襲とも呼ばれていた」。。。これも面白いですね。 > しかしそれにしても、「クマソ」ってどういう意味なんでしょうかね? この前、うろ覚えでいい加減なことを書きました。お許しください。 私の古代史仲間が、クマソ=クマ+ソ クマは球磨つまり熊本県の南の人吉、ソは曽於郡で大隈半島 (先日は、ソを熊本の南と書いてしまいましたうろ覚えの怖さです) この説はいかがでしょうか。 それと、隼人に三つあるというようなことも聞いておりますが、どうなんでしょう か。 大隅隼人、薩摩隼人、甑島隼人の三つです。 |
[2005] Re[2004][1984][1981][1975]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/25(Tue) 14:27 [Reply] |
訂正 <「天降り」した勢力の南下>は<「天降り」勢力の南下>に訂正します。 |
[2004] Re[1984][1981][1975]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/25(Tue) 13:55 [Reply] |
神奈備さんへ 「記紀編纂時代より前に熊襲とも呼ばれていた」。。。これも面白いですね。 いろんな可能性があるわけで、最も矛盾が少ない仮説が通説になっていくんでしょうね。 いわゆる「天降り」した勢力の南下は、「出雲の国譲り」成功直後の事ですから、大国主命に対する説得工作?と同じような作戦をとったのかもしれません。 しかしそれにしても、「クマソ」ってどういう意味なんでしょうかね? |
[2003] 吉野の隼人(阿田) とみた | 2006/04/25(Tue) 13:17 [Reply] |
神武東征で、神武軍は宇陀伊那佐で土着軍との戦います、やはり東征軍は吉野川畔の(今の五条市)阿田の鵜飼の民の応援を求めますね。久米歌に残されている。 下のHPを見ていたら、載っていました。わが意を得たりです。 http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/1-7inasa.htm この伊那佐山での戦いを歌ったものである。『楯並(たたな)めて 伊那佐の山の 木の間よも い行きまもらひ 戦えば われはや餓(え)ぬ 島つ鳥 鵜飼いがとも 今助(す)けに来ね。』 伊那佐山は墨坂や国見丘に展開する、八十梟帥(やそたける)と向かい合う最前線である。歌の意味はおおよそ次のようなものであろう。 伊那佐山の木の間を行き来しながら、楯を並べ防戦しているが食べ物が無く飢えてしまった。鵜養(うかい)がとも(伴・供)よ早く助けに来い、という意味である。荒坂の港で難破し、舟をはじめ食料や武器の多くを失い、食料は乏しかったであろう。苦戦する兵が、食料の到着を待つ差し迫った歌である。現実感のある歌だと思う。 興味深いのは「島つ鳥」である。従来鵜飼にかかる枕詞とする解釈は多い。しかし前に述べたように、この時代では枕詞というような、慣用的表現は確立していないであろう。 神武は奈良盆地侵攻の前に、吉野や阿田(五条市阿田)など奈良県南東部を訪れている。吉野の阿田あたりでは鵜を使った漁法が早くから行われていたとされる。 『日本書紀』は鵜飼部(うかいべ)の祖先がこの阿田地方の出とする。 したがつて「鵜飼いのともよ」という語句が、この五條市阿田の住民を指した語句であることは容易に察しがつく。 この阿田には小島、上島野、下島野という地名がある。島という地域である。まさにこの「島つ鳥」というのは鳥の鵜と、島という土地の名に掛かる掛け言葉である。 |
[2002] Re[1999][1998] 無題 玄松子 | 2006/04/25(Tue) 10:50 [Reply] |
> ku
さんのカキコミには、悪意を感じますね 僕には、悪意か善意か判断できません。 意(意味・意図)そのものが理解できないからです。 質問しても答えてもらえないし。 |
[2001] Re[2000]: 無題 玄松子 | 2006/04/25(Tue) 10:46 [Reply] |
>
逆も又真也ですか? 逆? QUBOさんの文章は、多様であることを説明しているので、 その「逆」は一様となるわけですが。 その一様が「真」ということですか? なぜ? どうして? どういうこと? |
[2000] 無題 ku | 2006/04/25(Tue) 09:52 [Reply] |
>性の決定要素は、生物ごとにあり、多様です >グループで一匹だけがオス(他全てがメス)があります >ディズニーの「ニモ」クマノミの世界です >オスが何らかで失われると、グループ最大の個体がオスになります >そこには生命の多様性以外に価値を含みません 性の決定要素は、生物ごとにあり、多様です グループで一匹だけがメス(他全てがオス)があります ディズニーの「ニモ」クマノミの世界です メスが何らかで失われると、グループ最大の個体がメスになります そこには生命の多様性以外に価値を含みません と 逆も又真也ですか? |
[1999] Re[1998] 無題 QUBO | 2006/04/24(Mon) 15:34 [Reply] |
玄松子さん 横から ku さんのカキコミには、悪意を感じますね 神奈備掲示板にいたruさんと、似た感じですね > > アダムはイブの居候。 > > イザナミはイザナキの居候。 性の決定要素は、生物ごとにあり、多様です グループで一匹だけがオス(他全てがメス)があります ディズニーの「ニモ」クマノミの世界です オスが何らかで失われると、グループ最大の個体がオスになります そこには生命の多様性以外に価値を含みません >どういうこと? 洋の東西で違うってこと? 洋の東西で違うってことは有り得ません。 しいて言えば、キリスト教でも男優位です。 GODは一人でいて淋しいアダムのために、アダムの肋骨を 一本取り出し、その骨からイブを創りました そのため イブは完全体だが、アダムは肋骨が一本足りない 男は女よりもアバラが一本少ない が中世ヨーロッパの迷信でした でも染色体の XX(女性)とXY(男性)を思うとき Yと言うのは実はXの一部分が欠損したものとも考えられます であれば、完全なる女性と、欠陥のある男性??笑 |
[1998] Re[1997]: 無題 玄松子 | 2006/04/24(Mon) 14:52 [Reply] |
> 所詮、 > アダムはイブの居候。 母系? > イザナミはイザナキの居候。 父系? どういうこと? 洋の東西で違うってこと? |
[1997] 無題 ku | 2006/04/24(Mon) 13:58 [Reply] |
>> 受胎1週間の胎児には Y 染色体が見つからなかった。 >> て、 こともあるかもしれないよ。 >ku 君 いいことを言うね >ズバリその通り 全てお見透しで青草ですか。 所詮、 アダムはイブの居候。 イザナミはイザナキの居候。 ヶヶヶヶの青草! |
[1996] Re[1994] Y染色体アダムの子孫 QUBO | 2006/04/24(Mon) 12:50 [Reply] |
> 受胎1週間の胎児には Y 染色体が見つからなかった。 > て、 こともあるかもしれないよ。 ku 君 いいことを言うね ズバリその通り Y染色体のなかの『SRY』が、性決定要素だと判ったのもそのためだ イギリスでのマウス実験だ(人でできるはずは無いよね) 「SRY」遺伝子だけを含むDNAを受精卵に注入した 結果生まれてきた93匹のマウスのDNAを調べたら居た 見た目はオスで、染色体はXX が一匹 本来メスなのに「SRY」遺伝子が残ったマウスが一匹だけ居た 彼?は、他のメスマウスを相手に6日で4度交尾をした 金玉をみせて『ネイチャー』誌の表紙に登場した つまりもともとメスであるはずのマウスが「SRY」のせいで オスとしての外形を持つようになった。性交も成功 残念ながら、生殖能力は無く、子孫はつくれなかった 「アダムの呪い」ブライアン・サンクス著 ソニーマガジン 第6章P101~P102 |
[1995] Re[1991]: RE:[1969]:『土井が浜と隼人』 とみた | 2006/04/24(Mon) 11:36 [Reply] |
恋川亭三さん、nickさん レスポンスありがとうございます。 nickさんは前橋に居られたんですね。榛名山は毛野国、昔の豪族の居館が榛名山の火山爆発で埋まっていたのを掘り出した。 葛城の二光ヒビキ遺跡と同じ時代でしょうか。 隼人は熊襲やはりそうなんですね。クマは隈=大隈、ソは熊本の南だとか誰か言っていましたが・・・それはバナナで論戦中ですね。 恋川亭さん、懇切にお答えいただいて恐縮です。 軽妙に書けないんでゴツゴツ書いてすみません。 > > > 熊野古道へ旅していました > > うらやましい~です。 > > > 古代史は専門でなく学者でもありません。ただ猛烈にこの3年、 > > 定年後の面白いテーマだと考えて取り組んでおります。 > > モーレツに、うらやましー!です。(笑) 飛鳥から五条へさらに熊野へ 今回、鉄道で旅するルートも発見しましたのでご参考までにお伝えします。 JR天理を始点に和歌山線が魅力的ですね。和歌山が終点です。 天理、柳本、巻向、三輪、桜井、高田、御所、吉野口、五条、高野口、大谷、和歌山 は正に歴史漫歩に絶好ですね。 五条は、吉野川の吾田に近い。 大谷は馬チュウが出たところです。 奈良県の吉野川は和歌山に入ると紀ノ川と名前が変わりますね。紀氏とつながりが深そうです。新羅か加羅がつながっていそうです。 私も、この年齢になるまで、人並みの苦労がありました。でも今思えばそれが肥やしみたいになって感謝の気持ちが湧いてきます。金は人並みしかありませんが健康第一で、楽しい仲間が一杯いることに感謝しています。 古希まで少し時間がありますので、これからがもっと楽しみです。 古代史の白川静先生や、聖路加の日野原重明さんみたいな長寿で95歳、自分の道を進んでおられる人を見ると勇気付けられます。 > こちらこそ、よろしくお願いいたします。今回、ご紹介いただいた参考図書は・・・ > > > ① 中橋孝博さん『日本人の起源、古人骨からルーツを探る』(講談社選書) > > ② 佐藤洋一郎さん『DNAが語る稲作文明』(NHKブックス) > > ③ 佐藤洋一郎さん『DNAから見た日本人』(ちくま新書) > > ④ 宮本一夫さん『中国の歴史シリーズ』(講談社) > > ⑤ 安田喜憲さん『苗族と長江文明』(PHP新書) > > ⑥ 古賀登さん『四川と長江文明』(東方書店) > > ですね。ありがとうございます。お手数をおかけしました。 > 連休にかけて時間をみつけながら読んでみます。①②③⑤は既読ですが再読しますね。 ③は著者が違います。佐藤洋一郎さんでなく、斉藤成也さんです。 > > > 二元論的に弥生人と縄文人といっても、その混交した民がありますね。 > > グレーの人が多いでしょうね。 > > 対比させて論じるのは、時代ごとの特徴を際立たせるのに有効だと思います。同時に、その前提として、縄文1万年~弥生1千年という時間軸の認識は、外しちゃいけない重要基点だ、とも思うのです。 > 私は「渡来人」を否定しているのではありません。むしろどの時代にもあっただろうと推測しています。縄文時代から弥生時代に、さらに古墳時代へと変化していく歴史を、『動的に、多様的に、複雑系的に』追っかけたい欲張りマニアなんです。(笑) > > > 日本人はご承知のように、北から南から中国朝鮮からといろいろな民族が交わっています。 > > そうですね。ただ、混交する人々が「民族」単位だったのか?「一族」単位だったのか?地域的ひろがりや、時代のスパンは?などなど夢もひろがりつつ(笑)。一方が固定していて、他方が流動する時代などありません。いつもすべて相対的に変化していくのが人の歴史かなと。行く人、来る人、とどまる人。 > 海を渡る「渡来人」にのみ限定せず、他の地域からある地域へ移住した人々を「外来人」と呼ぶとすれば・・・、日本列島への外来人のみならず、朝鮮半島への外来人や中国大陸各地への外来人というものが想定されます。 > それで、世界史の諸・参考図書からも明らかなように、中国大陸各地や朝鮮半島は日本列島と比べ物にならないくらい頻繁な諸民族興亡の舞台でした。私の仮想モデルは、 > > 「外来人混交度」において日本列島住民を1とすれば、朝鮮半島住民は10、中国大陸各地では100になるんじゃないか??? 紀元前500年の斉の都の臨シの人骨調査でその大半はドイツ人やフィンランド人、アイルランド人と同じDNAを持っていた(東大人類学教室の上田信太郎教授) その真偽は不確かですがDNA分析による新しい知見はワクワクさせますね。民族移動があったのでしょうね。夏、殷(商)、周の民はみんな違う遊牧民でしょう。農耕民族はいましたっけ。周族は西からやってきたかななんて思っていますが・・・ 前漢時代には月氏は匈奴に追われて西へ移ったり・・・ 私は、安田先生の言われる4000年前のグローバルな気象変動による、民族移動に大いに関心を持っております。 シルクロードのローランの小河墓のコーカソイドの女性のミイラは、その頃今のロシアあたりの地から南下した白人です。 中国の回教徒はアラビヤ人と漢人或いはモンゴル人の混血ですね。 アラビヤ人は海のシルクロードとオアシスのシルクロードで流れてきています。 > > 弥生時代もc14放射性炭素年代測定法でその起源が500年も遡るなど、絶対的ではありません。 > > 弥生中期といってもいつの時代やら不透明にもなっています。 > > 弥生時代の遡りは、前期の開始年代が遡ったということですね。弥生中期は紀元前4世紀から紀元後1世紀の範囲となり、むしろ明確になりつつある状況だと受けとっています。 そうですか、いいヒントです。拝受します。 > 。 > > とりあえず参考図書のご紹介から。かつて『生かじり!縄文系/弥生系』というお題で連続投稿させて頂いた内容と重なりますが(詳細は過去ログにて)、 > ・『図解・日本の人類遺跡』第四紀学会/小野/春成/小田:編(東京大学出版会) > ・『日本の考古学』奈良文化財研究所:監修(小学館) > ・『縄文時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) > ・『弥生時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) > ・『古墳時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) > ・『弥生時代の始まり』春成秀爾:著(東京大学出版会) > ・『縄文人と「弥生人」』片山一道:著(昭和堂) > ・『古人骨は語る』片山一道:著(角川ソフィア文庫) > ・『歴史研究の最前線1―揺らぐ考古学の常識』設楽博巳:編(吉川弘文館) > ・『弥生時代千年の問い』広瀬和雄/小路田泰直:編(ゆまに書房) > ・『日本考古学の通説を疑う』広瀬和雄:著(洋泉社新書) > ・『倭人と韓人』上垣外憲一:著(講談社学術文庫) > ・『古代朝鮮』井上秀雄:著(講談社学術文庫) > 今、棚にあるのはこんなところです。あと、展示会や博物館、埋文のパンフレット。片山先生の著書はQUBOさんも紹介されてましたね。広瀬先生は他の著書もエキサイティングで熱いです。 > 「シンポジウム日本の考古学シリーズ」は本当に何度も繰り返し読んでます。とても面白いのです。いろんな先生方がそれぞれの意見を戦わせているのです。ひとつの時代でも、さまざまな見方や解釈があるのだな~と、主張の自由が認められている国の幸せをおぼえます。 たくさん読んでおられますね。 私も少しずつキャッチアップします。 |
[1994] Re[1993]: Y染色体アダムの子孫 ku | 2006/04/24(Mon) 11:34 [Reply] |
受胎1週間の胎児には Y 染色体が見つからなかった。 て、 こともあるかもしれないよ。 |
[1993] Y染色体アダムの子孫 QUBO | 2006/04/24(Mon) 11:05 [Reply] |
Y染色体には、性決定因子が存在する 名づけてSRY(Y染色体上の「性決定領域=Sex-determining Region」) この部分がはっきりと判ったのは、わずか16年前、1990年のことです 人の遺伝を考えると、雌雄決定は、男しかもっていないY染色体に拠る Y染色体だけが男をつくる Y染色体が無い場合は女になる 0(ゼロ=無い=女) か1(イチ=ある=男)か まさにデジタルの世界です 白か黒 中間はありえません > 二元論的に弥生人と縄文人 > グレーの人が多いでしょうね。 男性のある部分だけを基準にするとありえないのです どちらか一方です ただし、Y染色体から見た場合で、だけです 現実の人間はグレーの人が多いと言うか、全部だと思います 簡単に縄文系を J 弥生系を Y とします 1 父ー J 母ーJ 生まれてくる子 JJは 男なら Jです あたりまえか 2 父ー J 母ーY 生まれてくる子 JYは 男なら Jです 3 父ー Y 母ーJ 生まれてくる子 YJは 男なら Yです 4 父ー Y 母ーY 生まれてくる子 YYは 男ならYJです これもあたりまえか 染色体23対のなかの小さな部分 Y染色体だけでの話です 他の大多数の部分は交差してどちらかが残ります だから混ざり合えますが、Y染色体のなかの『SRY』は決して混じりません 2005年末あたりの定説です 将来の変化の可能性は否定しません > 弥生〔時代〕人と縄文〔時代〕人という異なる時代の人々ととらえている Y染色体にこだわらなければ、おっしゃる通りだとおもいます >私の仮想モデルは、 >「外来人混交度」において日本列島住民を1とすれば、朝鮮半島住民は10、 >中国大陸各地では100になるんじゃないか??? ことY染色体だけで視ると違います つまり其処に存在する男の扱いをどうするか と言う問題です 大陸では滅び尽くし、半島ではいくらか残り、列島では共存します 大陸では直接殺す あるいは出て行かなければ殺す 半島でも直接殺す あるいは出て行かなければ殺す 但し徹底的にではない 列島では殺さない 出て行くところも無いのでせいぜい別れて住む わたしの「和をもって存在する」モデルです >エッ、閉じ込められた同士のほうが仲良くなるかもですって?(笑) まさにその通りだと思っています(笑) >主張の自由が認められている国の幸せをおぼえます。 同感です 天皇家の後継者=将来の天皇が男系男子であるべきだ とは主張しません 念のため 以前紹介した 『Y染色体からみた日本人』中堀豊 岩波科学ライブラリー110 第7章 日本史を考える P111 「天皇家は男性の系譜をもって続いてきたという論調もある。しかし、 このようにクローズアップされた一家系で、一回もY染色体が途絶え なかったなどということは確率的にいってまずありえない。・・・」 天皇家のY染色体はアマテラスではなくスサノウに由来します スサノウのY染色体はアマテラスとの間でも5個複製されています 他にも何人かの男子を産ませていれば更に多い 私も男子なので、そのY染色体を持っているかも知れない そう思うと面白い 何しろ遡れば、世界中の男は、たった一人の男子の子孫 Y染色体アダムの子孫なのだから |
[1992] Re[1990][1985][1984][1981][1975]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/24(Mon) 06:48 [Reply] |
> 熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。 > > 火照(ほでり)の命【此は隼人(はやと)の阿多(あた)の君の祖(おや)】。 > > 『「熊襲」と「隼人」は多分、同一集団を指す呼称は微妙ですね。 > その線で中村さんが唱えておられますが、ちょっと足跡にかけます。 やはり現場を徒歩で走破しないとバックデーターが。。 机上だけでは想定できないことが多々。 低地の山岳だが昔の修験道ルートは結構きついですよ。 自転車を持ち上げて登っていると皆さんから奇異な視線を浴びますが。。 当時は牛馬や荷を担いでの山道ですからね。 今の比では無い。体感して判る現場です。 それにしても西南の役の敗走ルートはきつい。 それも積雪期ですから、余計。身にしみました。笑。 熊襲の抗戦も困難さがうなずける。 |
[1991] RE:[1969]:『土井が浜と隼人』 恋川亭 | 2006/04/24(Mon) 00:45 [Reply] |
> RE:[1969]『土井が浜と隼人』とみたさん(2006/04/19) > とみたさんへ こんばんは、遅くなりました。m(__)m > 熊野古道へ旅していました うらやましい~です。 > 古代史は専門でなく学者でもありません。ただ猛烈にこの3年、 > 定年後の面白いテーマだと考えて取り組んでおります。 モーレツに、うらやましー!です。(笑) こちらこそ、よろしくお願いいたします。今回、ご紹介いただいた参考図書は・・・ > ① 中橋孝博さん『日本人の起源、古人骨からルーツを探る』(講談社選書) > ② 佐藤洋一郎さん『DNAが語る稲作文明』(NHKブックス) > ③ 佐藤洋一郎さん『DNAから見た日本人』(ちくま新書) > ④ 宮本一夫さん『中国の歴史シリーズ』(講談社) > ⑤ 安田喜憲さん『苗族と長江文明』(PHP新書) > ⑥ 古賀登さん『四川と長江文明』(東方書店) ですね。ありがとうございます。お手数をおかけしました。 連休にかけて時間をみつけながら読んでみます。①②③⑤は既読ですが再読しますね。 > 二元論的に弥生人と縄文人といっても、その混交した民がありますね。 > グレーの人が多いでしょうね。 私がふしぎに感じていることのひとつは、弥生人と縄文人が『二元論的に』扱われている記事が多いな~ということです。私自身は、弥生〔時代〕人と縄文〔時代〕人という異なる時代の人々ととらえているのですが(ちょうど江戸人と明治人というように)。 対比させて論じるのは、時代ごとの特徴を際立たせるのに有効だと思います。同時に、その前提として、縄文1万年~弥生1千年という時間軸の認識は、外しちゃいけない重要基点だ、とも思うのです。 私は「渡来人」を否定しているのではありません。むしろどの時代にもあっただろうと推測しています。縄文時代から弥生時代に、さらに古墳時代へと変化していく歴史を、『動的に、多様的に、複雑系的に』追っかけたい欲張りマニアなんです。(笑) > 日本人はご承知のように、北から南から中国朝鮮からといろいろな民族が交わっています。 そうですね。ただ、混交する人々が「民族」単位だったのか?「一族」単位だったのか?地域的ひろがりや、時代のスパンは?などなど夢もひろがりつつ(笑)。一方が固定していて、他方が流動する時代などありません。いつもすべて相対的に変化していくのが人の歴史かなと。行く人、来る人、とどまる人。 海を渡る「渡来人」にのみ限定せず、他の地域からある地域へ移住した人々を「外来人」と呼ぶとすれば・・・、日本列島への外来人のみならず、朝鮮半島への外来人や中国大陸各地への外来人というものが想定されます。 それで、世界史の諸・参考図書からも明らかなように、中国大陸各地や朝鮮半島は日本列島と比べ物にならないくらい頻繁な諸民族興亡の舞台でした。私の仮想モデルは、 「外来人混交度」において日本列島住民を1とすれば、朝鮮半島住民は10、中国大陸各地では100になるんじゃないか??? などと妄想が混乱してきます。(笑) 大陸では民族は混交しない、日本列島にのみ混交する・・・なんてことは、まず有り得ないでしょうから。より民族が混交しやすい状況は、列島よりも大陸のほうが大きいと思うのですが・・・。エッ、閉じ込められた同士のほうが仲良くなるかもですって?(笑) > 弥生時代もc14放射性炭素年代測定法でその起源が500年も遡るなど、絶対的ではありません。 > 弥生中期といってもいつの時代やら不透明にもなっています。 弥生時代の遡りは、前期の開始年代が遡ったということですね。弥生中期は紀元前4世紀から紀元後1世紀の範囲となり、むしろ明確になりつつある状況だと受けとっています。 > 稲作を取り上げても、昔は弥生時代の特徴であったものが縄文時代にも稲作があったなど > 新発見で随分イメージが変わってきております。 だんだん判明し始めているようで、ポイントは、 ・縄文時代後半の陸稲栽培の可能性がでてきたこと。 ・弥生時代前期に「完成された水稲栽培農業」がワンセットで導入されたこと。 ・北部九州に導入された「完成水稲栽培農業」が500年の時間をかけて 近畿圏内に導入されていったこと。←従来は一挙に広がったと思われていた。 ここまでは、現在市販されている書籍等にありますね。 これらのポイントは私の妄想に十分なヒントを与えてくれました。またの機会に青草展開いたしますネ(笑)。 > でも顔の特徴として、眉が太く濃い、二重まぶた、頬骨が直線的、顔が角ばっている、 > 前歯が小さい・・・などなどの特徴を縄文人は持っていて弥生人と異にしていますね。 と、よく記述されている骨相の説明ですが・・・ ある典型的な縄文モデル村として有名な遺跡から出土した縄文人の頭蓋骨の写真を見たときに、素人目からはどう見ても弥生人的に思えたのです。(この遺跡名のメモが今、手元にみつかりません。追って投稿します。) それでその本の写真を友人に見せて(説明は伏せてね)感想を聞きました。3人に聞いたところ、3人とも(素人ですが)「弥生人やね、典型的な渡来系の顔やね」と口を揃えたのです。しかし、説明文を見せて、あんぐり。「やはり、素人には難しいもんやねー!」 私たちは、極端な対比例ばかりを見せられているのかもしれません。そういえば、鎌倉時代の遺骨には、典型的縄文人骨の特徴をもつものがよく出土するとか。それまでの2千年間、どこ行ってたのん?と聞いてみたい気もします。 >> 私が読んだ書籍群では、 >> ① 弥生時代の千年という期間を通じて列島で生活した人たちである。 >> ② 縄文時代とは異なり、さまざまな特徴を備えた、 >> 多様性のある人たちなので、(じつは)典型的「弥生人」を定義しにくい。 >> ③ 渡来人と推定される集団例も、その故地を一元的に想定できない。 >> ④ 「いかにも渡来系」もあれば「頑固に在来系」も多い。 >> しかもけっこう混在している。 >異論大歓迎です。その内容を教えてくださいませんか。 とりあえず参考図書のご紹介から。かつて『生かじり!縄文系/弥生系』というお題で連続投稿させて頂いた内容と重なりますが(詳細は過去ログにて)、 ・『図解・日本の人類遺跡』第四紀学会/小野/春成/小田:編(東京大学出版会) ・『日本の考古学』奈良文化財研究所:監修(小学館) ・『縄文時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) ・『弥生時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) ・『古墳時代の考古学』シンポジウム日本の考古学シリーズ(学生社) ・『弥生時代の始まり』春成秀爾:著(東京大学出版会) ・『縄文人と「弥生人」』片山一道:著(昭和堂) ・『古人骨は語る』片山一道:著(角川ソフィア文庫) ・『歴史研究の最前線1―揺らぐ考古学の常識』設楽博巳:編(吉川弘文館) ・『弥生時代千年の問い』広瀬和雄/小路田泰直:編(ゆまに書房) ・『日本考古学の通説を疑う』広瀬和雄:著(洋泉社新書) ・『倭人と韓人』上垣外憲一:著(講談社学術文庫) ・『古代朝鮮』井上秀雄:著(講談社学術文庫) 今、棚にあるのはこんなところです。あと、展示会や博物館、埋文のパンフレット。片山先生の著書はQUBOさんも紹介されてましたね。広瀬先生は他の著書もエキサイティングで熱いです。 「シンポジウム日本の考古学シリーズ」は本当に何度も繰り返し読んでます。とても面白いのです。いろんな先生方がそれぞれの意見を戦わせているのです。ひとつの時代でも、さまざまな見方や解釈があるのだな~と、主張の自由が認められている国の幸せをおぼえます。 長くなりましたので、また来週まで失礼します。 |
[1990] Re[1985][1984][1981][1975]: バナナと花 ku | 2006/04/24(Mon) 00:05 [Reply] |
熊曾の國を建日別(たけひわけ)【曾の字は音を以ちてす】と謂う。 火照(ほでり)の命【此は隼人(はやと)の阿多(あた)の君の祖(おや)】。 『「熊襲」と「隼人」は多分、同一集団を指す呼称は微妙ですね。 |
[1989] Re[1988]: 佐々波多神社 玄松子 | 2006/04/23(Sun) 23:52 [Reply] |
神奈備さんではありませんが。 > 篠畑神社と書くかもわからないと思いました。 篠畑神社 奈良県宇陀郡榛原町山辺三2235 祭神 天照皇大神 当社は、宇陀郡榛原町大字山辺三に鎮座しており、天照皇大神、市杵島姫命をお祀りしている。国史現在社とし明治6年4月村社に昭和10年県社に列せられる。 創立 垂仁天皇25年春3月倭姫命、鎮座の処を求め、菟田の篠畑に至るとあり、他 類聚国史3倭姫世記、日本書記通證10、日本紀標註巻7、造伊勢二所大神宮宝基本紀、大和誌(篠畑神祠)倭漢三才図会、神器考證等古文書に篠畑の記載あり、往古は栄えしも明治24年頃氏子27にて氏神となす。秋の例祭に倭姫命に供奉せる童女に因み、稚児7人の奉仕あり、鱠(えそ)を供える事から「鱠祭り」とも言う。 今の住所は宇陀市になっているはずです。 |
[1988] 佐々波多神社 妖 | 2006/04/23(Sun) 21:15 [Reply] |
神奈備さま、 突然で失礼とは思いますが、いつも掲示板を拝見しておりますので、ちょっと 教えていただけないかと思って、投稿いたしました。 天照大神が檜原神社を出て、丹波など廻り、宇陀や榛原にも来られていますね。 宇陀の阿紀神社は地図で検索しましたら出て来ましたが、榛原の佐々波多神社が どこにあるか、どうしてもわかりません。 篠畑神社と書くかもわからないと思いました。 榛原には「篠楽」と言う場所が ありますので、もしかしたら「篠楽」にある神社かもしれないと思って行ってみたの ですが、ここの神社は「白山神社」で、篠畑神社ではありませんでした。 地元の方にも尋ねてみたのですが、「佐々波多神社や、篠畑神社と言う名前のお宮 さんは無い」という返事でした。 神奈備さんがもしご存知でしたら、教えてくださいませんか。 よろしくお願い します。 |
[1987] Re[1986]: 田植え nick [Url] | 2006/04/23(Sun) 16:41 [Reply] |
自己レス追加です。 宮崎地方は流石に暖かくて既にこの中旬で「田植え」は完了しています。 |
[1986] 田植え nick [Url] | 2006/04/23(Sun) 16:38 [Reply] |
そろそろ山間部の寒冷地では田植えの準備です。 たんかんさ~祭も鹿児島神宮の祭事で終わります。 今日は、夜半来の雨も揚がり青空が覗いて霧島の韓国岳や櫻島も頭を出しました。 明日は上天気です。爽やかな春日和でしょうか。 昼間は暑くなりそうです。 話題に揚がった「隼人の戦跡」も幾つか駆け足でご案内です。 好い旅になれば幸いです。 |
[1985] Re[1984][1981][1975]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/23(Sun) 10:39 [Reply] |
> はたと気がついたのですが、この意味は「のちにとは後世、即ち現代でもいいのであって、古代より隼人がヅーット居住していて、記紀編纂時代より前には彼らは熊襲とも呼ばれていた。」と言うことですね。 > そのようです。 景行天皇紀では「熊襲」ですが、欽明天皇紀になると「隼人」で登場します。 また「隼人」が古文書で見えなくなるのは800年頃でしょうか。 「熊襲」と「隼人」は多分、同一集団を指す呼称、 との捕らえ方が一般的のようですが。 |
[1984] Re[1981][1975]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/23(Sun) 10:21 [Reply] |
> > のちに熊襲とされた隼人 > > 隼人と呼ばれた民がいて、彼らは後に熊襲と呼ばれたと言う意味でしょうか。 自己レス 琉球松さん はたと気がついたのですが、この意味は「のちにとは後世、即ち現代でもいいのであって、古代より隼人がヅーット居住していて、記紀編纂時代より前には彼らは熊襲とも呼ばれていた。」と言うことですね。 |
[1983] Re[1980]、[1978] 落ちこぼれたアダムの子 QUBO | 2006/04/22(Sat) 09:07 [Reply] |
Re[1980] 神奈備さん > …落ちこぼれと言う表現の根拠は… はじき出されたタイプだから。…です。 > 見方を変えれば、フロンティアスピリットに満ちたタイプとも言えますね。 正におっしゃるとうりです 「落ちこぼれ」と言う表現で気分を害されたらごめんなさい ただ「落ちこぼれ」は生物の世界で、わりに使われています ある瞬間・場所での生存競争の敗者の意味です 価値観は含まずに、です。 『生物』万事寨翁が馬 みたいなものかなぁ と考えています 突然ですが 「ヤマメ」と「サクラマス」は遺伝的には全く同じです。 ところが見た目の大きさでは「サクラマス」は4倍くらい大きいのです 兄弟で1人は身長1.5M、もう1人は6Mになったようなものです 「ヤマメ」は川にそのまま居て生長。 一方「サクラマス」は海に行って生長し戻ってきたタイプです。 生存競争に負けた、落ちこぼれタイプが「サクラマス」なのですが、 現実には「サクラマス」のほうが、はるかに大きく強くなっています 「サクラマス」についての簡単な解説は以下 http://www.nhk.or.jp/daishizen/abangumi/sakuramasu.html Re [1978] サン・グリーン さん 驚きました。これからもよろしくお願いします 中堀豊 さんのご近所 !!! ビックリしました 掲示板の威力というか、直接ご存知のかたから書き込みをいただけるとは |
[1982] Re[1981][1975]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/21(Fri) 22:06 [Reply] |
> > のちに熊襲とされた隼人 としては、私も探し出せませんでしたが 「隼人」と呼称された調査経過は次のようです。 以前、大三元さんにご教示頂いた 隼人の資料 http://www.dai3gen.net/hayato.htm に基ずき、各史資料を参照しました。 その一部を次のページに掲載しています。 http://shinwa.hayato.com/umisachi.html 一般的な処では、日本書記の相撲の項ですが、 天武11年7月甲午条 682/7/3 隼人多く来たり、 方物を貢ず。 是日、大隅隼人、阿多隼人と朝廷に相撲す。 大隅隼人勝つ。 その他に次が散見されます。 欽明元年三月 蝦夷・隼人 履中 ....近習隼人 どうも680年頃に熊襲を平定した後から 「隼人」と呼称されだしたようです。 日本書記の方で頻繁に出てきます。 |
[1981] Re[1975]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/21(Fri) 20:33 [Reply] |
> のちに熊襲とされた隼人 隼人と呼ばれた民がいて、彼らは後に熊襲と呼ばれたと言う意味でしょうか。 景行天皇や日本武尊は熊襲退治をしました。神功皇后の頃も熊襲が反逆しています。これらの年代には隼人と言う言葉は見えません。 隼人と言う呼称が記紀に出るのは、履中、雄略期以降のことです。記紀が昔からの資料などを積み上げて書かれたとしますと、隼人が熊襲とされたと言う意味がよくわかりません。どっかに「のちに熊襲とされた隼人」とあるのでしたら、教えて下さい。 |
[1980] Re[1973]: 落ちこぼれたアダムの子 神奈備 | 2006/04/21(Fri) 20:32 [Reply] |
> 縄文系タイプは、アジアの近隣にはほとんどいない > 似たタイプはアフリカに存在している。 > O2b1は朝鮮半島ではマイナータイプ、 > 大陸ではきわめてマイナーなタイプである。 > 日本ではO2b1が一番多いタイプである。 この落ちこぼれと言う表現の根拠は難だろう。 アジア大陸や朝鮮半島にいないからと言うことだろうか。 はじき出されたタイプだからだろうか。 見方を変えれば、フロンティアスピリットに満ちたタイプとも言えますね。 > 縄文人と二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いを滅ぼしてしまうこと(なく)共存した(なくは文意から補足) 殺し合いではなく、お互いを尊重しつつ、自然の恵みを享受して生きてきた。 最近の大陸や半島の反日の騒ぎを見ていますと、劣等民族とは言いませんが、前頭葉の未発達なのか、感情を押さえきれない落ちこぼれ人間の固まりのように見えます。 |
[1979] Re[1977]: 旅の道中で nick [Url] | 2006/04/21(Fri) 10:37 [Reply] |
> 皆様お早うございます。とみたです。 > > 老後の気楽さで、只今は群馬県の水上の宿にて掲示板を覗いております。 いいですね。まだ残雪がありますか。 若い頃、そこやら土合の駅やらよく通いましたっけ。 一時期、前橋にも居ましたから、、懐かしい。 道祖神や馬頭観音辺りのショットお願いしますよ。笑。 |
[1978] Re[1973]: 落ちこぼれたアダムの子 サン・グリーン | 2006/04/21(Fri) 09:19 [Reply] |
『Y染色体からみた日本人』中堀豊 岩波科学ライブラリー110 この本を書かれた中堀さんは家の近くのお医者さんの息子さんです。 私も一冊頂いていたのですが、難しくてよくわかりませんでした。 (私の頭が悪くてツイテユケナカッタというのが事実ですが…(~_~;)) QUBOさんのおかげで、あっ~そういうことが書いてあったのねと解りました。 ありがとうございます。 中堀さんは一緒に研究してくれる人を募集中なので、ぜひぜひ応募してあげてください。 |
[1977] 旅の道中で とみた | 2006/04/21(Fri) 07:18 [Reply] |
皆様お早うございます。とみたです。 老後の気楽さで、只今は群馬県の水上の宿にて掲示板を覗いております。 パソコンは一階のロビーのフロアに置かれ、窓外は岩を噛む利根川上流の渓流(というか、激流です)。上越線の線路が横切っています。次の土樽駅、土合駅は谷川岳の麓ですから 水上は都心に比べて数度は気温が低い。 土手は桜がまだつぼみ状態です。明日か明後日に花を開くでしょう。 ブロードバンド時代、自宅に居なくとも旅の道中の宿で、無料で掲示板を開く便利な時代です。 旅の道すがら掲示板を覗くのも楽しいですね。携帯パソコンで旅の列車の中から掲示板とやり取りするのも当たり前の世の中なんでしょうね。 このあたりは牧場の地名が多く、古い牧もあったようです。 |
[1976] Re[1975][1965][1963][1962][1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 玄松子 | 2006/04/20(Thu) 23:07 [Reply] |
隼人の海人族(知らないけど)が、瀬戸内に侵入し、大三島に鎮座したと考える方が自然だと思いますが。 > だた、天下りしたのが皇孫ではなく「瀬戸内海の諸勢力に共立された女性である」との前提が必要ですが。。。 > つまり、「記紀」の神話は、南下した勢力と南九州にいた皇孫を入れ替えて改ざんしているのではないでしょうか? そのような特殊な仮定・前提に、さらに仮説を加えて得られた結論のみを書かれても困ります。 三段論法の三段目のみを無造作に書いても、人には通じません。 |
[1975] Re[1965][1963][1962][1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/20(Thu) 18:22 [Reply] |
玄松子さんへ コノハナサクヤ姫が瀬戸内海からもたらされたというのは、やはり大三島と関わっているからですね。 だた、天下りしたのが皇孫ではなく「瀬戸内海の諸勢力に共立された女性である」との前提が必要ですが。。。 つまり、「記紀」の神話は、南下した勢力と南九州にいた皇孫を入れ替えて改ざんしているのではないでしょうか? イリ王朝以降のヤマトに反発したのが、のちに熊襲とされた隼人などの皇孫ではないかと思うんです。 そうでないと、時の中央政府は自らを否定しなくてはならなかったはずです。 また、後の時代に大山津見神を奉祭していた「伊予水軍」の祖が孝霊天皇の第2王子となっているのも気になりますよね。 孝霊の第2王子となると、桃太郎伝説や百襲姫本人の可能性があるかもしれません。 |
[1974] Re[1967]: ちょっと隙間に失礼 神奈備 | 2006/04/20(Thu) 10:09 [Reply] |
> 薬師寺慎一:著 『聖なる山とイワクラ・泉』 (株)吉備人出版 昨日散歩がてらに梅田の本屋へ。2000円。 掲載磐座などは多くはないのですが、ひとつひとつ丁寧に調べられており、詳しい記述があり、面白く読めます。行ったことのある神社が多く載っていますが、「エ!」そんなのあったの?と言うのもありました。良い本のご紹介、ありがとうございました。 |
[1973] 落ちこぼれたアダムの子 QUBO | 2006/04/20(Thu) 09:45 [Reply] |
人類のイブ(母系共通先祖=ミトコンドリア・イブ)は、 20万年前アフリカを出発したといわれます。 では、アダム(父系共通先祖)は?と云うのが僕の疑問でした。 結論:アダムがいました。Y染色体を調べる事で判ったそうです 『Y染色体からみた日本人』中堀豊 岩波科学ライブラリー110 その中で、 2002年、世界のY染色体を分類した系統図が作成された。 この図が正しいとすると、 日本の男性は、ほぼ半分ずつの、2タイプに分かれる。 縄文系と弥生系で、系統図上ではとても離れている 縄文系タイプは、アジアの近隣にはほとんどいない 似たタイプはアフリカに存在している。 弥生系タイプは朝鮮半島にはかなりいる。ただし それをさらに詳しく見ると、O2b、O2b1と分かれ、 O2b1は朝鮮半島ではマイナータイプ、 大陸ではきわめてマイナーなタイプである。 日本ではO2b1が一番多いタイプである。 あとがきで以下のように書いています …日本の男性は…落ちこぼれである。 一度目の落ちこぼれである縄文人と二度目の落ちこぼれである弥生人が、 互いを滅ぼしてしまうこと共存したのが現代日本の男性たちである。 まさに、窓際族同士仲良く机を並べて、極東の小島で 自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。 たがいの言葉も融合させてしまった。… 立ち読みだけするつもりでしたが、買ってしまいました。 |
[1972] Re[1969]: 土井が浜と隼人 恋川亭 | 2006/04/20(Thu) 01:16 [Reply] |
> とみたさん、nickさん お疲れのところをわざわざ有り難うございます。丁寧なご対応に感謝申し上げます。 こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。 私もこんな時間に帰ってきました。もう少し整理してレス致しますので、週末まで日にちをください。 |
[1971] Re[1968]: 土井が浜と隼人 恋川亭 | 2006/04/20(Thu) 01:09 [Reply] |
> 「オトナ」には書く必要もないこと、「コドモ」ならはっきり書かなければ理解できないこと、だと思います。 ああ、そうでした。他に方に不要なご迷惑をかけてしまいますね。 すみません、以後は宛先をはっきり書くように注意します。 それから、この掲示板で厳しく指摘するのは間違いでした。追い込み先なのに、追い返すようなことを書くと誘導先に来ないですもんねえ。ここはもっと羽根を伸ばせる場でした。 >>> この「前半部分」は、誰のどの投稿に対するものでしょうか。 とある○ヌ○なコと、とある□□.なコと。ダハハハ・・・、遊び過ぎましたな。失礼 |
[1970] Re[1969][1956][1947]: 土井が浜と隼人 nick [Url] | 2006/04/19(Wed) 18:08 [Reply] |
恋川亭さん とみたさん、こんにちわ。 さっき図書館と歴史資料館から帰宅しました。 相変わらずローカル的な寺社探訪のバックデーター探しです。 あちこち引っ掻き回して「学芸員」の皆さんにご迷惑を。陳謝。 とみたさん> 稲作を取り上げても、昔は弥生時代の特徴であったものが縄文時代にも稲作があったなど新発見で随分イメージが変わってきております。 これに関してはこのサイトにあるようです。 http://www.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html 静岡大学農学部 佐藤 洋一郎先生とのQ&Aがあります。 > 沖縄のペンションの主が、俺はアイヌ人と似ているだろうと自慢していました。古モンゴロイド、南方モンゴロイド人の特徴だと思いました。人種の特徴がありありでした。これは縄文人をルーツかななんて想像しました。 これに関しては次のサイト Wonder沖縄 http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/kataru/matusita/myujiamu/index.html 人類の移動、前出の「ラピタ人」もあります。 以上、追加です、ご参考までに。 |
[1969] Re[1956][1947]: 土井が浜と隼人 とみた | 2006/04/19(Wed) 11:31 [Reply] |
恋川亭さん とみたです。 熊野古道へ旅していましたので返事が遅くなりました。 失 礼しました。青草なので、かなり怪しげな投稿でも許されると思って”土井が浜”を出しました。でもいずれにせよ応答があると言うことはありがたいことで す。古代史は専門でなく学者でもありません。ただ猛烈にこの3年、定年後の面白いテーマだと考えて取り組んでおります。文献と考古学を両目で見て理解を深 めようと考えておりますのでよろしくお付き合いの程を願います。 たくさんの同好の方たちと、尖がらず楽しみながら語り合いたいものです。 でも最低限のエチケットやマナーや、論理思考を失わないように努めます。 前置きが長くなりました。お答えになるかどうか自信がありませんが、質問にコメントさせていただきます。重要な項目は件名をあらためてお願いします。 > とみたさんのご投稿へのレスの前に、ひとこと失礼します(この前半部分は、とみたさんとは関係ありません)。 > 「いわずもがな」なことではありますが、「あにはからんや」てな展開も増えているので、まずは前言をもって確認いたします。 > > ・疑問や質問は、不満の表明ではありません。 > 理解を深めたいという意欲の発露であります。 > > ・批評や批判は、批難ではありません。 > 真理探究へ、ぜひとも必要な姿勢であります。 > > ・掲示板への投稿は、相互の対話が可能な場への一般公開ですから、 > いろいろなレスがつくことは避けられません。 > 投稿内容への反論や否定がレスされても、 > それは投稿者個人の人格に対する攻撃ではありません。 > 自説への疑問や反論に対して、丁寧に応えていくことこそが、 > テーマの発展を促して面白みがでてきます。 > > ・落ち着いた粘り強い交流が、ネット世界の金鉱を掘り当てる。 > そのように信じて、やっていこうではありませんか。 > 「ムッ」とくるようなレスでも、ログを遡り読み返してみると、 > 質問者、反論者の意図が理解できる場合が多いのです。 > 喧嘩が目的で投稿する人はいないのですから、あわてずに、あわてずに、ネ。 大いに結構です。マインドが健全であれば鋭い質疑応答は賛成です。 誹謗中傷や攻撃でなく、お互いに学びあう姿勢があれば結構です。 > > と、ここまで書いてきて、やはりオトナ相手でないと疲れ(突かれ、憑かれ、尽かれ)ますな。一人称を「僕」として幅広い対応を心掛けたのですが(笑)。 > もとの「私」に戻しますワ。以上、「余計なお世話」でした。(謝々) > --------------------- > > ということで、「とみた」さん。 > 私は「イケズ」で質問する意図はありませんので、以下宜しくお願いします。 > > > RE:[1947]『土井が浜と隼人』とみたさん(2006/04/13) > > 青草譚に野暮な質問は不要ですが、その前提とされている「弥生人」観につきまして。 > とみたさんと同様な見方をされる人が、ネット上や新聞、書籍までにも多いようなので、この機会に質問させてください。 > > > 土井が浜、そこは日本海の山陰。北九州と島根は弥生人の到来地。 > > 土井が浜には弥生人の墓地があり、人骨が江南人と似ているとかで有名ですね。 > > 弥生人は江南の淮河下流域あたりから渡来した民なんでしょうか。 > > 顔を西側すなわち海岸の方を向けて葬る。 > > 弥生人が中国朝鮮から渡ってきたのでその来た西に向けている。 > > (1)「弥生人」として、一種の渡来種族のような表現ですが、 > そのように書かれるのはなぜでしょうか? 弥生人と言う名称は、さて知らず、たまたま東京文京区弥生町に出土した土器を縄文土器と対比して、その文化を担った人々を弥生人と名づけただけでしょう。 二元論的に弥生人と縄文人といっても、その混交した民ががありますね。グレーの人が多いでしょうね。 日本人はご承知のように、北から南から中国朝鮮からといろいろな民族が交わっています。 弥生時代もc14放射性炭素年代測定法でその起源が500年も遡るなど、絶対的ではありません。弥生中期といってもいつの時代やら不透明にもなっています。 稲作を取り上げても、昔は弥生時代の特徴であったものが縄文時代にも稲作があったなど新発見で随分イメージが変わってきております。 でも顔の特徴として、眉が太く濃い、二重まぶた、頬骨が直線的、顔が角ばっている、前歯が小さい・・・などなどの特徴を縄文人は持っていて弥生人と異にしていますね。 沖縄のペンションの主が、俺はアイヌ人と似ているだろうと自慢していました。古モンゴロイド、南方モンゴロイド人の特徴だと思いました。人種の特徴がありありでした。これは縄文人をルーツかななんて想像しました。 や はり、弥生時代に土井が浜に中国か朝鮮から渡来したのは、事実だと思っています。私は九大教授の中橋孝博さんの日本人の起源、古人骨からルーツを探る(講 談社選書、メチェ)と言う本を読みました。そこに土井が浜の人骨と中国の江南、ワイ河近辺の人骨対比の分析がありました。 稲作の由来は、佐藤洋一郎さんのDNAが語る稲作文明(NHKブックス)。ちくま新書のDNAから見た日本人と言う書も渡来の系統を述べています。 講 談社の中国の歴史シリーズで神話から歴史へで夏、殷(商)、周の時代の考古学と神話の裏づけを学びました。九大教授の宮本一夫さんの書です。安田喜憲さん の苗族と長江文明(PHP新書)で苗族と日本人のつながりを知りました。四川と長江文明〔東方書店=早稲田大古賀登教授著)これは隼人について論じていま した。 そんなところです。 > > 私が読んだ書籍群では、 > ① 弥生時代の千年という期間を通じて列島で生活した人たちである。 > ② 縄文時代とは異なり、さまざまな特徴を備えた、 > 多様性のある人たちなので、(じつは)典型的「弥生人」を定義しにくい。 > ③ 渡来人と推定される集団例も、その故地を一元的に想定できない。 > ④ 「いかにも渡来系」もあれば「頑固に在来系」も多い。 > しかもけっこう混在している。 異論大歓迎です。その内容を教えてくださいませんか。 > などなど、でした。 > そこで、とみたさんが、「弥生人」を独立した民族のような表現で、しかも、大陸のどこかから渡来したように書かれる「元ネタ」を教えて頂きたいのです。 > > (2)「土井が浜には弥生人の墓地」のおはなし、 > この人骨(複数)について、資料などで見られたことはありますか? > > よく、いろんな本で「典型的な渡来系弥生人」の人骨として紹介されていますね。でも紹介されている人骨は同じAさんの例が殆どで、たいがい重複しています。 > 土井が浜には弥生人の墓地は比較的保存状態がよくて、複数の人骨が見つかったそうですが、写真で紹介されるのは「いかにも渡来的!」なAさんの頭蓋骨だそうです。 > じつは、「ぜんぜん渡来的でない」Bさんのシャレコウベは紹介されないとか(笑)。本当のことろはどうなのか、現地の博物館で実見する機会を考えているところです。 > もし、とみたさんが(他の複数例も含めて)見られたことがあれば、お教え頂きたいのです。 > > いつの時代でも人々は、多様であり/不変でもある、交流もすれば/没交渉もある。そのように考えて、古代についても「人を見る、人を思う」ことを心掛けています。 > 新聞や専門雑誌の記事が、印象操作「ものさしのごまかし」でないことを願っています。 私も、マスコミ報道の行き過ぎや、興味本位の雑誌は少し眉唾に警戒しながら読んでおります。 俗に偽書も多くあり、インターネット時代は、情報氾濫時代ですから、ますます怪しげな説が横行します。 その中身を峻別するのは大変です。 古代史の世界は、百家争鳴で所謂大家も 異説が多くって、私がごとき素人は混乱するばかりです。 でもそれが謎めいてロマンを感じさせる不思議な魅力でもあります。 古代史作家や学者の本も大分読みました。 この掲示板のお仲間は、住んでおられる現地固有の郷土史とか伝承をご存知なのでそのあたりについて、情報をいただき交換できればうれしいですね。 回答になっていないかもしれません。 また、稿を改めて語りあいましょう。 これからもよろしくお願いします。 |
[1968] Re[1956][1947]: 土井が浜と隼人 玄松子 | 2006/04/19(Wed) 07:43 [Reply] |
> とみたさんのご投稿へのレスの前に、ひとこと失礼します(この前半部分は、とみたさんとは関係ありません)。 この「前半部分」は、誰のどの投稿に対するものでしょうか。 「オトナ」には書く必要もないこと、「コドモ」ならはっきり書かなければ理解できないこと、だと思います。 |
[1967] ちょっと隙間に失礼 恋川亭 | 2006/04/19(Wed) 00:30 [Reply] |
今日、ある可憐な方から届いたメールに、藤本浩一先生の著作「磐座紀行」のことが書かれてありました。私は名作だと思うのですが永く絶版。この本に収録された各地の磐座の様子も、当時とはかなり変遷しているのでしょうね。 藤本先生の志しを受け継ぐような篤き方々による新版を待ち望んでいたのですが・・・やっと今年の1月、ご紹介したくなる本が出版されましたので投稿しますネ。 薬師寺慎一:著 『聖なる山とイワクラ・泉』 (株)吉備人出版 著者は大和書房の『東アジアの古代史』に寄稿される古代祭祀研究家。元高校の社会科の先生OB、本物の「先生」ですね。吉備を中心にご研究されているので すが、今回のこの本は既に発表済みの吉備地方を除く、中部から九州にかけた西日本のイワクラが紹介されています。全編カラー写真、丹念に実地へ訪れた調査 紀行です。『やはり日本はイイナー』、『この神社に行きたいナー』と思っちゃう写真ですよ。 なによりも、多くのお仲間と共に訪れていらっしゃる様子が「健康的」です。私は、 薬師寺先生がこれからも永くご活躍されることを祈る読者のひとりです。 |
[1966] Re[1963]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/18(Tue) 21:30 [Reply] |
大山祇神は女神なのですね。『日本書紀』本文に、「その国に美人がい
た。名を鹿葦津姫と言う。またの名を神吾田津姫、また木花開耶姫とも言う、・・ 皇孫がこの美人に、「あなたは誰の娘ですか」と問われた。すると、「私は
天神が、大山祇神を娶ってうまされた子です。」と答えた。」とあります。 大山祇神は軻遇突智命を切った時に誕生しており、天照大神の兄神とされており、男神になっています。 男神か女神か、どっちなんでしょうね。 さて、神吾田津姫は吾田の姫神の意で、おそらく美人だったのでしょう。それを全国的?に美人神で有名だった木花開耶姫と同じ神と見なしたのでは。例えば、繁華街を東京の銀座にならってか、徳島市では阿波銀座。その内銀座は銀座、どこも一緒だ!てな具合になったのでは。 大山祇神も富士山の神、大三島の神、薩摩の坊津の神、それぞれの山の神が記紀神話に紛れてしまい、同じ神になってしまったと言えるのでは。男神の場合もあれば女神の場合もあり。 |
[1965] Re[1963][1962][1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 玄松子 | 2006/04/18(Tue) 20:26 [Reply] |
これも意味がわかりません。 > コノハナサクヤ姫は、瀬戸内海から来たでしょうから、隼人の女神である可能性はないと思います。 神阿多津比売は、「阿多」の姫神。 阿多が隼人の地名なら、隼人の女神の可能性は大いにあるでしょう。 瀬戸内海から来たというのは、どういう理由ですか? 大三島の娘神だからですか? であれば、天孫の降臨地は薩摩ではなく瀬戸内近くという解釈の方が成り立ちます。 瀬戸内周辺に「阿多」に相当する地名があれば面白いですね。 |
[1964] Re[1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/18(Tue) 16:20 [Reply] |
一応当地の「砂鉄にかんして」 鹿児島でも近世の溶鉱炉跡が数箇所発見されたようです。 http://www.gijyutu.com/ooki/tanken/tanken2001/kagoshima-tetsu/kagoshima-tetsu.htm ■厚地松山製鉄遺跡(知覧町厚地松山枦場) ■二ッ谷製鉄遺跡(知覧町東別府二ッ谷) ■帖佐鍋倉製鉄所(姶良町) 等が有名ですが 南薩摩の海砂鉄産出地は、知覧、山川、今和泉、喜入等です。 また、当地の「海砂鉄」については次のような記述があります。 当地の海砂鉄の種類は「チタン鉄鉱系」で 欠点は「難還元性」でフイゴ羽口付近の高温となった部分に 溶解滓が粘着・固化して通風口を閉ざしてしまい、 送風が十分出来ないと操業自体が継続しない。 他方でたたら炉で失敗記録があるそうだが。 国立科学博物館 鈴木一義 確かに「祭神を固執」するのは、調査範囲を絞り込む利点はありますが 多面的に捕らえた方がいいような気がしています。 現に当地の社寺の祭神から鉱物資源のありかを探っていますが これがなかなか。 前出の「コノハナサクヤヒメ」を主祭神とする社寺は、鹿児島地方には 少ないようです。これは一体何を意味しているのでしょうか。 今後の調査、データの分析が必要です。 以前レスで入れましたが当地にも「剣之宇都」と云う平家落人部落があって 刀鍛冶屋が軒を連ねていたとあります。 ここの場合「山および川砂鉄」成分の分析は出ていないようです。 |
[1963] Re[1962][1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/18(Tue) 16:18 [Reply] |
追加 コノハナサクヤ姫は、瀬戸内海から来たでしょうから、隼人の女神である可能性はないと思います。 |
[1962] Re[1961][1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/18(Tue) 16:10 [Reply] |
玄松子さん、ありがとうございます。 もちろん、可能性の一つではあるんですが、ほかの可能性よりは高いように思いますがどうでしょうか? ニニギノミコトが花を欲したとも思えないし、酒なら薩摩半島でも盛んに作られたと思いますね。 |
[1961] Re[1960][1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 玄松子 | 2006/04/18(Tue) 15:11 [Reply] |
> コノ花サクヤ姫は、金属鉱山神「大山祇神(伊予一宮の祭神)」の娘ですから、金属の完成品でいいんじゃないでしょうか。 まず、大山祇神は、山全般の神であり、鉱山に限定されるものではありません。 『古事記』においても、野椎神と前後して生まれております。 山の神であれば、娘に植物があっても不思議ではありません。 > また、別名が「カムアタツ姫」。。。この場合の「アタ」は薩摩半島南部の「吾田」で、ニニギノ命が「ゴツゴツした醜い顔の姉」を断り「キラキラしく美しい妹」を妻としたあたり。 > つまり、砂鉄を産する薩摩大隅の海人達にとっては "ゴツゴツした鉱石" なんかいらなかったと思います。 神阿多津比売は、隼人の女神であった「可能性」はありますが、隼人=砂鉄と特定する根拠はありません。可能性の中の、さらに可能性という程度です。 > この姉妹が岩と花の関係であるとはよく聞く解釈ですが、金属神から花が産まれというのも?ですし、 『古事記』では木花之佐久夜毘売を選んだがために、天皇に寿命ができたとありますが、金属では説明になりません。 また、神奈備さんが書かれているように、南方神話(バナナと石)との共通点も金属では説明できません。 要するに、「金属製品にしか思えない」という意味がわかりません。 |
[1960] Re[1958][1957][1951][1950][1948]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/18(Tue) 11:48 [Reply] |
玄松子さんへ コノ花サクヤ姫は、金属鉱山神「大山祇神(伊予一宮の祭神)」の娘ですから、金属の完成品でいいんじゃないでしょうか。 また、別名が「カムアタツ姫」。。。この場合の「アタ」は薩摩半島南部の「吾田」で、ニニギノ命が「ゴツゴツした醜い顔の姉」を断り「キラキラしく美しい妹」を妻としたあたり。 つまり、砂鉄を産する薩摩大隅の海人達にとっては "ゴツゴツした鉱石" なんかいらなかったと思います。 この姉妹が岩と花の関係であるとはよく聞く解釈ですが、金属神から花が産まれというのも?ですし、富士山もまた花と言うより、その噴火活動から連想するのは金属ではないでしょうか? ですから、岩と花が姉妹関係というのも、なかなか理解しにくいわけなんです。 |
[1959] Re[1957][1951][1950][1948]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/17(Mon) 22:20 [Reply] |
> 今日は天気もよくなりましたので、開聞岳登山の事前準備を兼ねて生駒山に登ってきました。幸いに痛めていた足も」無事に働いてくれました。 それは上々。開聞岳もお天気次第ですね。 > 生駒山の中腹には山桜が満開から散り始め、八重桜はこれからと言う感じで、新緑の中に白やピンクの花塊が所々に見えていました。実に、コノハナサクヤ姫を感じた次第です。 当地の桜は散りました。今、庭のつつじが満開です。 麓はどこもつつじを楽しめそうです。 > また、生駒山は巨石が多い山で、これまた所々に大きい岩が散見されました。 > 岩と花、見事な山の贈り物です。さらに水や木も山の贈り物です。 > > コノハナサクヤ姫を「金属製品としか思えない」とするよりも、自然の中に咲いた花を愛でる心、お一ついかがでしょうか。 > コノハナサクヤヒメ関連は。 ■都万(つま)神社(宮崎・西都) ■都万神社(鹿児島・大崎) ■木花神社(宮崎) また陵墓は ■西都原:女狭穂塚 これからの探訪の愉しみです。西都原(西都市)は来月にでも父と出かけたいと。 果たして何と関連があるのでしょうかね。 徐福や渡来人との繋がり。。。出ると嬉しいが。 |
[1958] Re[1957][1951][1950][1948]: バナナと花 玄松子 | 2006/04/17(Mon) 17:21 [Reply] |
> コノハナサクヤ姫を「金属製品としか思えない」とするよりも、自然の中に咲いた花を愛でる心、お一ついかがでしょうか。 僕には、「金属製品にしか思えない」という意味がわからないのですが、皆さんには明らかなのでしょうか。 もう少し、具体的に説明していただけないでしょうか。 |
[1957] Re[1951][1950][1948]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/17(Mon) 16:39 [Reply] |
> 「コノハナサクヤ姫」も、金属製品としか思えないんですし、「イワナガ姫」にしても、やはり鉱石じゃあないんですかね~? 今日は天気もよくなりましたので、開聞岳登山の事前準備を兼ねて生駒山に登ってきました。幸いに痛めていた足も」無事に働いてくれました。 生駒山の中腹には山桜が満開から散り始め、八重桜はこれからと言う感じで、新緑の中に白やピンクの花塊が所々に見えていました。実に、コノハナサクヤ姫を感じた次第です。 また、生駒山は巨石が多い山で、これまた所々に大きい岩が散見されました。 岩と花、見事な山の贈り物です。さらに水や木も山の贈り物です。 コノハナサクヤ姫を「金属製品としか思えない」とするよりも、自然の中に咲いた花を愛でる心、お一ついかがでしょうか。 |
[1956] Re[1947]: 土井が浜と隼人 恋川亭 | 2006/04/17(Mon) 02:05 [Reply] |
とみたさんのご投稿へのレスの前に、ひとこと失礼します(この前半部分は、とみたさんとは関係ありません)。 「いわずもがな」なことではありますが、「あにはからんや」てな展開も増えているので、まずは前言をもって確認いたします。 ・疑問や質問は、不満の表明ではありません。 理解を深めたいという意欲の発露であります。 ・批評や批判は、批難ではありません。 真理探究へ、ぜひとも必要な姿勢であります。 ・掲示板への投稿は、相互の対話が可能な場への一般公開ですから、 いろいろなレスがつくことは避けられません。 投稿内容への反論や否定がレスされても、 それは投稿者個人の人格に対する攻撃ではありません。 自説への疑問や反論に対して、丁寧に応えていくことこそが、 テーマの発展を促して面白みがでてきます。 ・落ち着いた粘り強い交流が、ネット世界の金鉱を掘り当てる。 そのように信じて、やっていこうではありませんか。 「ムッ」とくるようなレスでも、ログを遡り読み返してみると、 質問者、反論者の意図が理解できる場合が多いのです。 喧嘩が目的で投稿する人はいないのですから、あわてずに、あわてずに、ネ。 と、ここまで書いてきて、やはりオトナ相手でないと疲れ(突かれ、憑かれ、尽かれ)ますな。一人称を「僕」として幅広い対応を心掛けたのですが(笑)。 もとの「私」に戻しますワ。以上、「余計なお世話」でした。(謝々) --------------------- ということで、「とみた」さん。 私は「イケズ」で質問する意図はありませんので、以下宜しくお願いします。 > RE:[1947]『土井が浜と隼人』とみたさん(2006/04/13) 青草譚に野暮な質問は不要ですが、その前提とされている「弥生人」観につきまして。 とみたさんと同様な見方をされる人が、ネット上や新聞、書籍までにも多いようなので、この機会に質問させてください。 > 土井が浜、そこは日本海の山陰。北九州と島根は弥生人の到来地。 > 土井が浜には弥生人の墓地があり、人骨が江南人と似ているとかで有名ですね。 > 弥生人は江南の淮河下流域あたりから渡来した民なんでしょうか。 > 顔を西側すなわち海岸の方を向けて葬る。 > 弥生人が中国朝鮮から渡ってきたのでその来た西に向けている。 (1)「弥生人」として、一種の渡来種族のような表現ですが、 そのように書かれるのはなぜでしょうか? 私が読んだ書籍群では、 ① 弥生時代の千年という期間を通じて列島で生活した人たちである。 ② 縄文時代とは異なり、さまざまな特徴を備えた、 多様性のある人たちなので、(じつは)典型的「弥生人」を定義しにくい。 ③ 渡来人と推定される集団例も、その故地を一元的に想定できない。 ④ 「いかにも渡来系」もあれば「頑固に在来系」も多い。 しかもけっこう混在している。 などなど、でした。 そこで、とみたさんが、「弥生人」を独立した民族のような表現で、しかも、大陸のどこかから渡来したように書かれる「元ネタ」を教えて頂きたいのです。 (2)「土井が浜には弥生人の墓地」のおはなし、 この人骨(複数)について、資料などで見られたことはありますか? よく、いろんな本で「典型的な渡来系弥生人」の人骨として紹介されていますね。でも紹介されている人骨は同じAさんの例が殆どで、たいがい重複しています。 土井が浜には弥生人の墓地は比較的保存状態がよくて、複数の人骨が見つかったそうですが、写真で紹介されるのは「いかにも渡来的!」なAさんの頭蓋骨だそうです。 じつは、「ぜんぜん渡来的でない」Bさんのシャレコウベは紹介されないとか(笑)。本当のことろはどうなのか、現地の博物館で実見する機会を考えているところです。 もし、とみたさんが(他の複数例も含めて)見られたことがあれば、お教え頂きたいのです。 いつの時代でも人々は、多様であり/不変でもある、交流もすれば/没交渉もある。そのように考えて、古代についても「人を見る、人を思う」ことを心掛けています。 新聞や専門雑誌の記事が、印象操作「ものさしのごまかし」でないことを願っています。 |
[1955] 徒然に QUBO | 2006/04/16(Sun) 12:29 [Reply] |
千葉県佐原市の国立歴史民族博物館では、今 「日本の神々と祭り」ー神社とは何か?- 展が開かれています。そこで想ったこと 1、一応四社、出雲、伊勢、厳島、八坂を取り上げていますが、 伊勢神宮部分が異様に少ない。後で本を見たら、単位としては 伊勢神宮は別で、三単位でした。 2、伊勢神宮の神紋は、流水紋を付けていました。そこで徒然に。 わずか100年もたたない石灯籠に、小さく刻まれた 正三角形二つ組み合わせた紋(ダビデ紋?)が、どれほどの 意味があるのだろうか?しかも神宝でも神宮境内でもない 一般道路に寄進された物に、小さく有るだけなのに。 一緒に見に行った時、友人のユダヤ人は「違う、関係ない」 と言ってとてもがっかりしていました。 3、菊花紋といわれるもの 後鳥羽上皇が、鎌倉時代中期、承久の乱の頃使い始めたらしい。 そう、原産地が中国で、日本には相当遅く伝わったらしい。 菊が中近東に伝わったのはいつ頃なのだろう。 単に16弁の花が紋になっていても、菊とは言い切れまいに。 ハスだって、ガーベラ(当時有ったかなあ?)かまわない。 つまり誰でも思いつく紋様だとおもう。徒然なるままに。 |
[1954] Re[1953][1947]: 土井が浜と隼人 琉球松 | 2006/04/16(Sun) 11:08 [Reply] |
nickさん、本の紹介ありがとうございます。 そちらの公開セミナーも面白そうですね。国道58号線をとばして行けるといいのですが(笑)。 沖縄産ゴホウラ貝輪は、装飾品であると同時に、政治的宗教的なプロパガンダの象徴のような印象を持ちます(輪=倭?)し、土井が浜の古代人はDNAにこだわっていないように見えます。 問題は、『記紀』にも登場する南九州の人々が、なぜ日本中に広めようとしたかですね。 大型貝輪が "沖縄産でなければならなかった" のは確実ですし、隼人などと沖縄諸島人はほととんど同志的関係だったと言えると思います。 ですから、「薩摩 VS 琉球」なんて時代はほんの一瞬にすぎないですね。 |
[1953] Re[1947]: 土井が浜と隼人 nick [Url] | 2006/04/15(Sat) 11:42 [Reply] |
当地の黎明館にこんな書籍がありました。 海を渡った人々~貝製装身具と古代の祈り~ 2003 1,600円 黎明館 ミュージアムショップ TEL 099-222-5100(代表) http://reimeikan.pref.kagoshima.jp/museum_1.html 他に公開セミナーの研究資料もあるようです。 ネットで公開して頂けると助かるのですが。 |
[1952] Re[1951][1950][1948]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/14(Fri) 17:04 [Reply] |
> 『古事記』『日本書記』「三輪山伝説」などは、金属加工集団に対する "歴史説明"
って感じがするんですがどうでしょうかね。 > 「ホト(溶鉱炉口?)・タタラ・箸(金箸?)・ヒル(役にたたない金属片?)etc 」。。。それから「ハナ(輝き?)」からも金属を連想しますね。 私も最近、その線(鉱物資源=聖・熊野権現)でいろいろ読んでいますが、当地の図書館には資料が少なくて。 > 「コノハナサクヤ姫」も、金属製品としか思えないんですし、「イワナガ姫」にしても、やはり鉱石じゃあないんですかね~? > 隼人が運んだ「ゴホウラ貝輪」も、後に「有鈎銅釧・無鈎銅釧」に材質転換されているようですよ~。 今年も当地の黎明館で研究発表があるかもしれません。 愉しみです。 |
[1951] Re[1950][1948]: バナナと花 琉球松 | 2006/04/14(Fri) 12:57 [Reply] |
。。。これだから辞められない。。。 nick さん、正確には "抜けられなくなった" って感じじゃないですか~!?(笑)。 『古事記』『日本書記』「三輪山伝説」などは、金属加工集団に対する "歴史説明" って感じがするんですがどうでしょうかね。 「ホト(溶鉱炉口?)・タタラ・箸(金箸?)・ヒル(役にたたない金属片?)etc 」。。。それから「ハナ(輝き?)」からも金属を連想しますね。 「コノハナサクヤ姫」も、金属製品としか思えないんですし、「イワナガ姫」にしても、やはり鉱石じゃあないんですかね~? 隼人が運んだ「ゴホウラ貝輪」も、後に「有鈎銅釧・無鈎銅釧」に材質転換されているようですよ~。 |
[1950] Re[1948]: バナナと花 nick [Url] | 2006/04/14(Fri) 09:59 [Reply] |
大三元 さん、神奈備さんおはようございます。 『バナナ』と云えば幼い頃は 「今日はバナナの皮で滑って転んだ』 と聞かされると見に行くぐらい珍しく貴重品でした。 病気で入院してこれが出ると一発で快癒する位。笑。 それが現在では一日数本食するのですから、、、 昔は、今では想像できない物が貴重品だった事があるんですね。 「ゴホウラ貝」もその一つ。 歴史探訪を初めて『知らないこと・習わなかったこと』の多さに 驚き益々のめり込みました。 それと一つの事件にしても多面的な見地からの洞察やその社会的背景に 想いを廻らす。。 これだから辞められない。 |
[1949] Re[1948]: バナナと花 神奈備 | 2006/04/13(Thu) 16:27 [Reply] |
> つまり、バナナの立場とコノハナの立場が同じ。「花もバナナ的です」 南洋の人は石とバナナ、蟹とバナナ、月とバナナ、石と竹、石と木、色んな組み合わせの話があるのですね。人口爆発が心配だったと思われます。 花と言えばコニハナノサクヤヒメに思いをいたす風流心、流石、大三元さん、花鳥風月の心ですね。 『古事記』の話はやはり美女に例えたところがヤマトココロなのかも。サクヤ姫と磐長姫、『播磨国風土記』穴禾郡ではただの地名説話として、イワ大神の妻の許乃波奈佐久夜比売、比売が麗しいということだけで寿命のことは忘れられているようです。 |
[1948] バナナと花 大三元 [Url] | 2006/04/13(Thu) 10:00 [Reply] |
神奈備さん > 花もバナナ的です。 南方の神話に、バナナと石、の選択肢からバナナを採ったので人の命が短い、とかバナナと石が人の命に関して争ってバナナが勝ったので人の命が短い、などというのがありますね。そこで、ニニギが、コノハナサクヤ姫を娶りイハナガ(磐長)姫を返したので人の命が短くなった、という日本神話と同系であろう、と考えられていますね。 つまり、バナナの立場とコノハナの立場が同じ。「花もバナナ的です」 |
[1947] 土井が浜と隼人 とみた | 2006/04/13(Thu) 07:37 [Reply] |
隼人の青草譚です。 土井が浜、そこは日本海の山陰。北九州と島根は弥生人の到来地。 土井が浜には弥生人の墓地があり、人骨が江南人と似ているとかで有名ですね。 弥生人は江南の淮河下流域あたりから渡来した民なんでしょうか。 顔を西側すなわち海岸の方を向けて葬る。弥生人が中国朝鮮から渡ってきたのでそ の来た西に向けている。 人骨の中に、全身にゴホウラ貝の腕輪をし、石鏃やサメ歯のヤジリを受けた男性 や、胸に鵜を抱いた女性などリーダーやシャーマンではないかと言われていますね。 沖縄のゴホウラ貝を運ぶのは、隼人、是は考古学の森浩一先生の説。鵜飼は長江上 流の蜀で発祥し吉野の阿多族すなわち隼人の裔も鵜飼をする民、これは早大の古賀 先生の説。 土井が浜にはゴホウラ貝と鵜が出てくる。 この弥生人は隼人と関係があるのでしょうかね。 先般、放送大学で鳥取の砂丘の話が出ていました。 弥生時代はこの地も草原であった。中世から砂丘が発達したそうです。 土井が浜と鳥取砂丘は大分離れていますが、同じ山陰の日本海沿いということで、 土居が浜も昔は緑の地であったのではありませんか。 サハラ砂漠だって、ゴビ砂漠だって昔は緑豊かなの時代があった。 アマゾンも今は緑のジャングルの地、焼畑が進めば来世紀は砂漠化するといわれて いますものね・・・ |
[1946] Re[1945]: お粗末のネタ? 神奈備 | 2006/04/12(Wed) 18:36 [Reply] |
トワン大三元、テレマカシ。サヤ、神奈備。 > bunga 花 仁徳天皇が民の竈云々と言ったのが、高殿からでしたが、多分、ベランダがあって、花が飾られており、その下から民家を見ていたのでしょう。高殿のベランダをバンガロウと言ったとか。 この国にバナナが生えていれば、また薩摩芋があれば、貧窮問答歌はなかったかも。 > pisang バナナ (ひさご???) やはり仁徳天皇紀にヒサゴのお話が二つあります。 ひとつは茨田の堤を築く件で人柱になるのをうまく逃げたお話。河神がヒサゴを沈めることができれば、人柱を求めるのは神意としようとのこと。沈まなかったのでした。 もうひとつは吉備の国の川島河の川股に多くいた竜が毒を吐くので、ヒサゴを投げ入れ、沈めることが出来なければ、竜を斬ると宣言、沈まないので竜を斬ったと言うお話。 この時代にはこの国お得意の公共事業が本格的に始まり、自然の霊力の象徴である河神や竜の威力が落ちてきています。これが進んで雄略天皇の時代には三輪山の大蛇が捕らえられると言う事態になります。 座布団とは無関係なお話になりました。 |
[1945] お粗末のネタ? 大三元 [Url] | 2006/04/12(Wed) 12:10 [Reply] |
神奈備さん、 > 八矛(ヤホコ)とか、その半分とかはいかにもバナナを思わせるとあります。南洋ではいつでも収穫できるので、非時の果物といえます。バナナの語源は指のようで、花もバナナ的です。太刀のような花と言えるのかも。太刀のようなバナナで橘、お粗末の一席。 もう一席できるかも? インドネシア語で bunga 花 (はな と同源とする言語学者あり) buah 果実 pisang バナナ (ひさご???) pokok pisang バナナの木 (矛???) |
[1944] Re[1925][1921][1919][1918][1916][1914]: 無題・思兼神 琉球松 | 2006/04/12(Wed) 11:26 [Reply] |
琉球国王「尚真」の神名「オギヤカモイ」の「モイ」が「オモヒ」であるとすれば、「オギヤカ」は彼の母(尚円王妃)の神名でしょうね。 となると、ここでいう「モイ・オモヒ」は、「産・伝・繋」の意味が含まれるかもしれません。 ところで、「タジマモリ」は、常世に何しに行ったんでしょうかね? 常世(竜宮・後世の補陀落)は「思兼神・長鳴鳥・スクナヒコナ etc 」の出身地、「イリ王朝」成立以降の中央政権とは対立関係になったと想像しています。 「矛」は、銅鐸圏との対立概念を表現しているとは考えられないでしょうか? |
[1943] ホンの紹介 QUBO | 2006/04/12(Wed) 09:30 [Reply] |
神奈備掲示板[7233]で本の紹介がありました。 本田総一郎著「知っているようで知らない!『日本神道』」(パンドラ新書) 眺めてみたら、住吉の神の、その子神が船霊の神である。と有りました。(P139) アレレ?子供の神?そんな話は無いけど?と思って少し読んでみました。 結論:かなり内容の薄い雑な本 具体例①p87 塩による祓い 「料亭などの玄関の『盛塩』の習俗」 これは中国の後宮の故事で、牛車を止める為、好物の塩を盛った 決して祓いの風習ではありません。客寄せのまじないです。 具体例②p112 仏教の死霊を祭ること これは江戸時代から 平安時代は僧でさえも、特別な人を除き、墓など作っていない。 野ざらしです。鳥葬までもない。ある地域に放り出してました。 江戸時代になってその辺に土饅頭作ればいいほうでした。 ざっと目を通しただけでも、不安な部分の多い本です。 この著者は、調べもせずに、一般常識と思われることを羅列する人。 万が一読まれる場合、しっかりした自分のフィルターを必要とする本ですな。 |
[1942] Re[1940][1938]: 隼人からビン越へ 神奈備 | 2006/04/12(Wed) 08:57 [Reply] |
> 詳しくは、「海のモンゴロイド 」片山一道著、吉川弘文館をご覧ください。 縄文人がラピタ人になったとの説は三内丸山が消滅して後のことで、かつ土器も似ているようで、符合していますね。日本から中部ミクロネシアへの漂着例は多いようですね。太平洋をグルット一回りするのかな。 『日本の神々の記憶』江戸雄介著なる疑似歴史に分類されそうな本には、日本→小笠原諸島→ミクロネシアのルートを想定しているようです。 そうして、とどのつまり、縄文人の子孫達が再び日本にまいもどって隼人や熊襲になったとしています。人も金も天下の回りものと言うこと。 この本で面白いので、メモ代わりに。 タジマモリが行ったとする常世国の非時の香の木の実ですが、『古事記』に、「縵(カゲ)八縵(ヤカゲ)・矛(ホコ)八矛(ヤホコ)を以(モ)ちて将(モ)ち来たりし間に、天皇すでに崩(カムアガ)りましきここに多遅摩毛理(タヂマモリ)・縵(カゲ)四縵(ヨカゲ)・矛(ホコ)四矛(ヨホコ)を分けて大后に献(タテマツ)り、縵(カゲ)四縵・矛四矛を天皇の御陵(ミハカ)の戸に献り置きて、云々」とあり、この八縵(ヤカゲ)八矛(ヤホコ)とか、その半分とかはいかにもバナナを思わせるとあります。南洋ではいつでも収穫できるので、非時の果物といえます。バナナの語源は指のようで、花もバナナ的です。太刀のような花と言えるのかも。太刀のようなバナナで橘、お粗末の一席。 |
[1941] ラビタ人 とみた | 2006/04/11(Tue) 20:03 [Reply] |
QUBOさん とみたです。 ラビタ人ですか、不勉強で初耳です。 モンゴロイドが南モンゴロイド、北モンゴロイドに分けて考えられていますが、いわば南モンゴロイドに属するのでしょうか。 スンダーランド人とのつながりなんかもあるのですか。 私は北のシルクロードやアーリア人をいつも追っかけておりますので、ドラビダまでは解るのですが、 ラピタ人なんて知りませんでした。 謎の巨石のあるイースター島も関係があるんですね。 ありがとうございました。 |
[1940] Re[1938]: 隼人からビン越へ QUBO | 2006/04/11(Tue) 19:31 [Reply] |
えーと、少し誤解があるようなので再度。 「海のモンゴロイド」=『ラピタ人』は、今から3500年ほど前に 突然太平洋に現れます。この ラピタ人の後裔が今のポリネシアの人々です。 『ラピタ人』は『ドラヴィダ人』ではありません。 現在のポリネシアの住人はドラビダ人が主ではありません。 ご参考 http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/kataru/katayama/rapita/index.html 詳しくは、「海のモンゴロイド 」片山一道著、吉川弘文館をご覧ください。 |
[1939] Re[1937][1934][1933][1931][1920]: 隼人からビン越へ nick [Url] | 2006/04/11(Tue) 13:04 [Reply] |
とみたさん、こんにちわ。 山之口の弥五郎碑をご覧になりましたか。 一昨年の秋でしたか、父と祭に出かけました。 のどかな田園の鎮守祭。好かったです。 弥五郎に関しては本当に判りませんね。 伝承と史実が混合して祭祀化した類のようで、 史資料が例の明治の廃仏毀釈で壊滅しているのが 悔やまれます。 実は、「巨大人形の弥五郎」についてはそれとなく 風評で小耳に挟んでいたのですが、 「諸古記」にその由来等が記載されているのを みつけ小躍りしました。 読んでいたら、何とすぐ近くの鎮守がその祭祀とあり、 これまた嬉しくて、調査していたら 複数人、それも兄弟と云うじゃありませんか。。 面白くて「歴史探訪」に拍車がかかりました。笑。 今も相変わらず「謎解きの毎日」いいカンフル剤、 健康の源です。 |
[1938] Re[1935][1933]: 隼人からビン越へ とみた | 2006/04/11(Tue) 10:35 [Reply] |
QUBOさん 、はじめまして とみたです。 > とみたさん、こんにちは > 拝見すると読書傾向が似ているのかもしれません。 > 私の最近読み終えた本は「日本の動物はどこから来たか」です。 日本の動物との接点から渡来のルーツを探っておられるんですか。 面白いですね。 氷河期の陸続きの時代まで遡りますね。ナウマン象などは、日本でも各地でその遺体が掘り出されています。 気温変化の推移も、たしかに古代、超古代を知る手がかりです。 環境歴史学の安田喜憲さんの言われるように、6500年前の縄文海進とか4000年前のグローバルな気象変動は、民族移動に大いに働いていると考えています。 > > > 神社関係もヒントとしては大切ですが、その由緒書きも、…いろいろな > > 事柄を決定的に見るのではなく、それらを組み合わせて考える… > おっしゃるとおりだと思います 波長があいますね。 > > > 日本の縄文語をポリネシアの言葉と主張している方 > 私のその手の本を読んだことがあります。 > 部分的な話題ですが、これは完全には間違っています > だいぶ以前この掲示板に書き込んだと思いますが、 > 三内丸山が衰退して500年ほど後 > 突然「海のモンゴロイド」=『ラピタ人』が登場します > ラピタ人の後裔が今のポリネシアの人々です。 そうですね。インド古代文明を支えたドラヴィダ人は・・・紀元前1500年ごろ北方の草原からアーリア人が、インド北西部に侵入して打ち負かされその奴隷になったり南に逃げ出した。その一派がタミール人。ポリネシアもそのドラビダ人が主だと仰るんですね。 > 青草話として、寒さで三内丸山から南下した人々が海に進出し、 > ラピタ人になり太平洋に拡がった(ならいいな)。です。 > > つまるところ、縄文語→ポリネシア語はほんの少し可能性あり > ポリネシア語→縄文語は可能性0.00α%(ありえない)です そうですか、私は神話伝承で。ポリネシア、インドネシア人と日本の神話が似ていると考えております。 海幸山幸の釣り針の話は、インドネシアにも起源があると世界の神話研究の大御所大林良太さんが書いておられたような記憶があります。 日本語はタミール起源という説の大野晋先生とか、いろいろ居られますね。 失われたイスラエル十支族が日本へ来たと言う話もあり日本語のへブライ語起源を唱 える人もあって、要するに今の私には判断できません。 でも歴史書には偽書というのもあるので、できるだけインスピレーションは大切でしょうが妄想はやめて、科学的に捉えたいと思っております。 この掲示板は、神社を丹念に研究なされている神奈備さんのご好意で存在していますので、そのあたりは斟酌して発言しております。 多少の妄想は許されましょうから、青草で時折、論ずることにいたします。 |
[1937] Re[1934][1933][1931][1920]: 隼人からビン越へ とみた | 2006/04/11(Tue) 09:56 [Reply] |
nickさん、クイック レスポンスに感謝です。 >> 私の場合は国分郷土誌に付随している資料編「国分諸古記」と云う > 古文書の集大成を座右の書としています。 > > 最初は、その寺社リストを基に探訪していましたが、 > 関連付けで他の書籍を読んで参考にしています。 やはりオリジナルな研究をされているんですね。 地元の古文書に基づいて積み上げていらっしゃる。 やはり地道な、研究成果による発信をインターネットでやっていただければありがたいです。 必ずや、古代史研究家に伝播して花を咲かせるでしょう。 私は、千葉県在住ですが地元で古代史ファンの仲間を募って、遺跡めぐりのウォーキングと座学を始めました。 呆け予防と、健康づくりと、仲間作りには大変有効です。 ただ、古文書をひも解く根気と力がありませんので、皆様のお知恵をいただいて古代を探訪しています。 > > 今度は11月の日南市飫肥の「弥五郎祭」時にでも > 残りは巡ろうと予定しています。 > > 隼人関連で情報の交換が出来れば嬉しい限りです。 山之口町の弥五郎ドンの碑と、隼人町の隼人塚は昨春南九州の旅で訪れました。 弥五郎さんは、隼人の首領ですか。武内宿禰にもなぞらえていますね。 隼人舞、放生会のことも気になります。このあたりは謎めいています。 こちらこそ、よろしくお願いします。 大学ではDNAのハシリを学び、社会人はITコンサルで過ごし、定年後は古代史で遊んでいます。 |
[1936] アホクサ QUBO | 2006/04/11(Tue) 08:52 [Reply] |
神奈備掲示板〔7287〕にこんなのが有った。 「ヨセフがモデルとなったアメン神・・・」 あぁ~あっ、またやってるよー トホホ 性懲りも無く。 こんな文章はどうだろう 『昭和天皇がモデルとなった仁徳天皇は…』 馬鹿さ加減にうんざりするだろう。 アメン神はエジプト中王国 テーベで祭られていた まあ4000年まえってとこかな ヨセフ?イエスの義父なら2000年前だね あなたは太陽は東から昇ると思いますか? 連続カキコですいません。 |
[1935] Re[1933]: 隼人からビン越へ QUBO | 2006/04/11(Tue) 07:31 [Reply] |
とみたさん、こんにちは 拝見すると読書傾向が似ているのかもしれません。 私の最近読み終えた本は「日本の動物はどこから来たか」です。 > 神社関係もヒントとしては大切ですが、その由緒書きも、…いろいろな > 事柄を決定的に見るのではなく、それらを組み合わせて考える… おっしゃるとおりだと思います > 日本の縄文語をポリネシアの言葉と主張している方 私のその手の本を読んだことがあります。 部分的な話題ですが、これは完全には間違っています だいぶ以前この掲示板に書き込んだと思いますが、 三内丸山が衰退して500年ほど後 突然「海のモンゴロイド」=『ラピタ人』が登場します ラピタ人の後裔が今のポリネシアの人々です。 青草話として、寒さで三内丸山から南下した人々が海に進出し、 ラピタ人になり太平洋に拡がった(ならいいな)。です。 つまるところ、縄文語→ポリネシア語はほんの少し可能性あり ポリネシア語→縄文語は可能性0.00α%(ありえない)です |
[1934] Re[1933][1931][1920]: 隼人からビン越へ nick [Url] | 2006/04/10(Mon) 23:04 [Reply] |
とみたさんこんばんわ。 やっと昨日の紀行アップしました。 私の場合は国分郷土誌に付随している資料編「国分諸古記」と云う 古文書の集大成を座右の書としています。 最初は、その寺社リストを基に探訪していましたが、 関連付けで他の書籍を読んで参考にしています。 拓本を採取しながらの探訪ですが流石に昨日の小旅行は そこまではやりません。 何せ、父の替おむつでザックが2個にもなりますので。笑。 今度は11月の日南市飫肥の「弥五郎祭」時にでも 残りは巡ろうと予定しています。 隼人関連で情報の交換が出来れば嬉しい限りです。 |
[1933] Re[1931][1920]: 隼人からビン越へ とみた | 2006/04/10(Mon) 21:08 [Reply] |
> > 隼人を追っかけております。 > 昨日「海幸彦・山幸彦神話伝承探訪」から帰宅しました。 > 一応、隼人を外国との関連で調査なさっている先生方を。 > > 民俗学的見地から隼人の研究調査をされている先生方を。 > > ■鹿児島大学文学部教授:新田栄治 > ■鹿児島黎明館:川野和明 > ■東京大学史料編纂所教授:横山伊徳 nickさんありがとうございます。 お父様を介護しながら歴史探訪されているのですね。孝行息子ですね。 私は、古代史に嵌って年月は短いですが、いろいろな角度から本を眺め現地探訪をしております。 神話伝承、考古学、DNA分析、歴史作家などの書もかなり読み込みました。 最近は、できるだけ本格的な本を読んでおります。 神社関係もヒントとしては大切ですが、その由緒書きも、習合とか為政者の作為も多くって、限界も感じるようになりました。いろいろな事柄を決定的に見るのではなく、それらを組み合わせて考えるようにしております。 たとえば記紀ではオオタタネコは河内の陶邑で発見されているので、陶邑を考古学的に調べると、須恵器のセンターであることから新羅から来たのではないか。とか考察しています。 ビン(門構えに虫)の話も、司馬遼太郎さんが舟形石棺が武夷山に古い時代からあり、当地では古来、独木船で太平洋を自由に行き来したという話が魅力的でした。 日本の縄文語をポリネシアの言葉と主張している方も存じていましたので、 ビン越はインドシナ、ポリネシア人のルーツという見方も違和感がありませんでした。ちなみに長江はモンクメール語の川,kroungという意味です。つまり長江は南方言語圏です。 越人と雲南のミャオ族や、テン(シ真)族はかなり共通した風習があります。稲作で文身、断髪、鳥信仰、高床式住居、神社の千切、羽人踊り、ペーロン〔沖縄の船漕ぎ競争)など・・・倭人というか日本人の古代人とかなり共通しております。照葉樹林帯文化圏として捉えるのも有名なアプローチですね。 長江や漢水(江)にいた三苗族が黄河沿いや中原の皇帝に追われて雲南に逃げ、そして日本にも流れ着いたんだと思っています。 その後裔が隼人かななんて想像しているんです。或いは、呉越同舟の呉越戦争(紀元前5世紀)、楚越戦争(紀元前4世紀)、三国志の魏呉蜀戦争(紀元3世紀)の避難民かもしれません。 隼人は、広東州の水上生活者と似ているという説もありますし、ビン、つまり福建省もありうるという発想です。 先般は、長江の巴蜀の鳥信仰(扶桑の木に止まるヤタカラス)や鵜飼発祥地の話と熊野のヤタカラスと吉野の阿多とのつながりで投稿しました。 隼人=海幸でしょうから、何か今回巡られた伝承の地で発見されたことがありましたらを教えてください。 > > 川野さんと横山さんは風貌が似て居られるので > よく間違います。 > 横山さんはてっきり鹿児島かと思ってましたが。。 > > また、南西諸島の民話・伝承に造詣の深い下野先生も > 居られます。 > > 各サイトがありますので直にお尋ね下さい。 > > 尚、鹿児島の先生方とは、よくお会いしてご指導を仰ぎます。 |
[1932] Re[1927]: 今更ですが サン・グリーン | 2006/04/10(Mon) 18:39 [Reply] |
> 今更ですが、NHK『日本人はるかな旅』を見直しています。 > 第4週「稲…旅」の中で、以下全て熱帯ジャポニカだと説きます。 > 対馬で今も育てられている「赤米」 > ラオス、ナムガー村で焼畑で作られている米。 > 菜畑遺跡で見つかった炭化米。 > 河姆渡(カボト)遺跡の米 > > 別の出所ですが、ちなみに河姆渡では高床式建築遺構が発見され、 > 一番大きいのは長さ23m以上、幅7m も有るそうです > http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm > > 日本列島で稲作が始まった6000年前頃、地球の平均気温は > 今より3℃ほど高かった とのことです。 一昨日、大和高田の詩人「日高てる」氏の出版記念会に出席し、原種の稲のモミを見たばかりなので、触発されて書き込みさせていただきました。 野生稲保全を提唱する彫刻家、田辺光彰氏に捧げられた彼女の詩を抜粋します。 讃歌ーヒマラヤの風うけて 前略 かつて長江は悠揚と流れ・流域一帯に稲作が営まれていたことであろう・世界最古の稲作地帯 長江流域の河姆渡遺跡出土の七千年前の籾を見よ!!・遡る 新石器の前期の野生籾 世界最古というそのゴールドの輝きに・田辺光彰は魅せられ かつ励まされる・励まされるー中略 ー人類生存に貢献した稲の原種オリザ・ルフィ・ポゴン・稲の父 インド十億の食の豊作をとヒンドゥ寺院に祈った人々・そのオリッサ州カタックの国立中央稲研究所の田辺光彰の野外モニュメントに今日も朝日がまぶしい 眩しい・はるかに望む エベレストの風をいただき・釈尊誕生の大地ルンビニの野生種はぐんぐん・ぐんぐん 育つことであろうー後略 詩集「今晩は 美しゅうございます」より抜粋。2005年10月発行・思潮社。 ちなみに日高てる氏は大正9年生まれ(85歳!)。 大阪文学学校での私たちの恩師です。 |
[1931] Re[1920]: 隼人からビン越へ nick [Url] | 2006/04/10(Mon) 14:34 [Reply] |
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隼人を追っかけております。 昨日「海幸彦・山幸彦神話伝承探訪」から帰宅しました。 一応、隼人を外国との関連で調査なさっている先生方を。 民俗学的見地から隼人の研究調査をされている先生方を。 ■鹿児島大学文学部教授:新田栄治 ■鹿児島黎明館:川野和明 ■東京大学史料編纂所教授:横山伊徳 川野さんと横山さんは風貌が似て居られるので よく間違います。 横山さんはてっきり鹿児島かと思ってましたが。。 また、南西諸島の民話・伝承に造詣の深い下野先生も 居られます。 各サイトがありますので直にお尋ね下さい。 尚、鹿児島の先生方とは、よくお会いしてご指導を仰ぎます。 |
[1930] 勝手にこちら QUBO | 2006/04/10(Mon) 10:52 [Reply] |
神奈備掲示板で 『海を知らないものの戯言としか思えない。』 発言者として、勝手にこちらに移ります。 恋川亭さんの意見を参考に、発言を訂正します。 『「三筒男=オリオンの三ツ星」とする説』は 『海も星も知らないものの戯言』である。 住吉三神は、日本書紀だと表、中、底の筒男になります。 表の星とはどう考えるべきのだろう? 存在の証明 ネス湖にネッシーがいないことを証明しろといっても無理です。 むしろ存在することを証明すべきですね。 それがたとえインチキ写真で有ったとしても、先に出さないと。 |
[1929] Re[1928] 今更ですが QUBO | 2006/04/10(Mon) 09:51 [Reply] |
> 昔読んだ本で阿波の国では稲作は山中の平地で行われていて、 > 徐々に平地に降りてきた… 僕も、海の民と山の民と、二種類の畑での稲作があったと思っています。 話は違いますが、昨年パプアニューギニアに行きました。 そこのガイドさんは山の民(ゴロカ)です 一緒にいった人は『自分の父親ととてもよく似ている』と びっくりしていました。 元は、スンダランドから分かれた兄弟だ、と説明したら、 一緒にいった人もガイドさんも、とても喜んでいました。 ちなみにパプアニューギニアでは、いまでもほとんどの土地は 山の民のものだそうです。 |
[1928] Re[1927]: 今更ですが 神奈備 | 2006/04/09(Sun) 11:56 [Reply] |
気象変動は花粉分析で概略わかるそうですね。 長江流域の気温 一万数千年前~9500年前 寒冷、冷涼 9500年前~7500年前 やや温涼 平均気温は今より1~2度低い 7500年前~5数00年前 高温期 今より2~3度高い 日本も同じようなモンスーン地帯でよく似た変化と見ていいそうです。 昔読んだ本で阿波の国では稲作は山中の平地で行われていて、徐々に平地に降りてきたとの記述がありましたし、長江でも中流域から稲作が始まっているようで、それは下流域が海の中だったと言うことでしょう。 QUBOさんのおっしゃりたいこととは違うのですが、平均気温の変化はどのようにして起こるのかと思っていましたが 温暖化→空気中に水蒸気が増える→地上での太陽の日が弱くなる→寒冷化が進む→北極南極で氷が増加→空気中の水蒸気が減少→日がよく当たる→温暖化 の繰り返しなのでしょう。 今日のように産業の進展・化石燃料を使うことで空気中の二酸化炭素が増加して来ますと、空気の保温効果が高くなって温暖化が起こり、起こると海水中の二酸化炭素も空気中に出てきて加速するのかも知れません。それでも寒暖は繰り返すのでしょうが、その平均気温が上がってくるので、大きい台風や竜巻など異常気象が目立ってきたのかも知れません。 QUBOさんで発想する鉄ですが、地球に無尽蔵にあり、これをイオン化して海水に混ぜてやれば、鉄原子を核として植物プランクトンが出来、これが海水中の二酸化炭素を多く補足して海底に沈降して行く。これで空気中の二酸化炭素の量を減少させることが出来るそうです。詳しくは『鉄理論=地球と生命の奇跡』矢田浩 講談社現代新書 。 |
[1927] 今更ですが QUBO | 2006/04/08(Sat) 22:52 [Reply] |
今更ですが、NHK『日本人はるかな旅』を見直しています。 第4週「稲…旅」の中で、以下全て熱帯ジャポニカだと説きます。 対馬で今も育てられている「赤米」 ラオス、ナムガー村で焼畑で作られている米。 菜畑遺跡で見つかった炭化米。 河姆渡(カボト)遺跡の米 別の出所ですが、ちなみに河姆渡では高床式建築遺構が発見され、 一番大きいのは長さ23m以上、幅7m も有るそうです http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2.htm 日本列島で稲作が始まった6000年前頃、地球の平均気温は 今より3℃ほど高かった とのことです。 |
[1926] Re[1924][1919]: 無題・思兼神 大三元 [Url] | 2006/04/08(Sat) 09:13 [Reply] |
> > 按司の次男以下士族の名には、その上に真もしくは思(或いは下に金)をつけて > 真をつけるのですか? はい。沖縄古語辞典には、『戯典』からの引用として、そう書いてあります。 > 可愛いよりも勢いのいい、とはならないのかな。次男以下には可愛い子であっても、勢いがよすぎたら困ることになる云々か わかりません。 |
[1925] Re[1921][1919][1918][1916][1914]: 無題・思兼神 大三元 [Url] | 2006/04/08(Sat) 09:08 [Reply] |
>
それから、その尚円の子「尚真」の神名「オギヤカモイ」の「モイ」も「オモヒ」に繋がるはずですね。 沖縄古語辞典(OK)では「おぎやか・おもひ」が見出し項目になっていまして、各種「語形」として:おきやかもい、おぎやかもい、おきやかもひ、などが挙げられています。 |
[1924] Re[1919]: 無題・思兼神 神奈備 | 2006/04/07(Fri) 21:25 [Reply] |
大三元さん、おでましありがとうございます。 > 按司の次男以下士族の名には、その上に真もしくは思(或いは下に金)をつけて 真をつけるのですか? 可愛いよりも勢いのいい、とはならないのかな。次男以下には可愛い子であっても、勢いがよすぎたら困ることになる云々か |
[1923] Re[1920]: 隼人からビン越へ 神奈備 | 2006/04/07(Fri) 21:24 [Reply] |
> 古志は中国の越由来なんでしょうか。 識者の意見を聞きたい所ですが、私は違うのではと思っています。その理由は大陸の越は音読みでエツ、マンダリンでyeu(四声)で、決してコシではありません。だから古志は越由来とはしにくい所。 しかし、呉越同舟で列島に流れ着いて来ているとは思います。 |
[1922] Re[1920]: 隼人からビン越へ nick [Url] | 2006/04/07(Fri) 12:28 [Reply] |
>
隼人を追っかけております。 嬉しいですね。 黎明館や鹿児島大学の先生も「民俗学的な見地から」 東南アジアや雲南辺りへ精力的に出かけては調査しておられます。 連絡先を調べて後ほどお知らせします。 暫くのご猶予を。 (明日から、海幸・山幸の神話探訪に宮崎方面へ出かけます 昨年春は、高千穂神社の「お浜下り」や天岩戸探訪でした。) 私は、移住した近畿地方を探訪するのが夢です。 |
[1921] Re[1919][1918][1916][1914]: 無題・思兼神 琉球松 | 2006/04/07(Fri) 11:32 [Reply] |
大三元さん、さすがですね。ありがとうございます。 琉球国第二尚氏王統の初代国王「尚円」も、即位前は「カネマル」ですね。 「カネ」には、大三元さんおっしゃるとおりの意味があると思います。 それから、その尚円の子「尚真」の神名「オギヤカモイ」の「モイ」も「オモヒ」に繋がるはずですね。 ただ、「思兼神」の行動からは、ノロ(奄美沖縄の神女)やツカサ(宮古八重山の神女)を連想します。 頭に蔓草や "鳥の羽" をかぶり、長々と「ウムイ」を鳴き?謡う様が思いうかぶわけなんです。 |
[1920] 隼人からビン越へ とみた | 2006/04/07(Fri) 09:34 [Reply] |
隼人を追っかけております。 隼人は、吉野川の吾多に植民し地名を残す鵜飼民。長江上流域の巴蜀の鵜飼やヤタカラスとのつながりに関心を持ちました。 一方、長江の下流域の越人と倭人とのつながりも関心を抱き、鯨面、断髪など日本人と共通の風俗は有名ですが、最近ビン越の関連を追っかけています。 司馬遼太郎 の街道を行く”中国・ビンの道”を読んでおりまして面白い記事に出会いました。 ビン越のビンは門構えの中に虫です。つまり蛇です。 蛇が多く樟で有名な福建省です。武夷山には多種類の蛇が生息する。この断崖の洞穴には船形棺がたくさん置かれている。 つまり、独木舟を棺にする風習があった。ここは樟でも有名な地、樟の舟です。 船形棺は 古越族の墓なんです。放射性炭素測定では今から3445年前〔+-150年)、海洋民族なんです。マライ・ポリネシアの海に広がっている。独木舟を操って太平洋を駆け巡る。 沖縄の糸満の漁師は、昭和初年ごろまで、独木舟に粟の袋を入れて紀州熊野沖合いまで漁に来ていたといわれている。 ビン越は百越(インドネシア民族或いはマライ・ポリネシア民族)といって、越人のルーツ、原卿です。古代中国の春秋・戦国時代までは長江下流は越人の国であった。 日本の北陸は昔、古志、高志と言いまして、敦賀は角鹿で加羅新羅からの来訪で有名ですが、それより以前は中国東北の沿海州(ロシア領)から日本海を渡ってきたと思っていました。福建省の沿海から或いは長江下流域の江南から黒潮に乗って北上したのでしょうね。 古志は中国の越由来なんでしょうか。 熊野へも海の民は自由に行き来できる。 そんな世界を考えれば、スサノオが紀州や出雲や新羅やポリネシアの舞台を動き回 る風景が浮かんできます。 |
[1919] Re[1918][1916][1914]: 無題・思兼神 大三元 [Url] | 2006/04/07(Fri) 09:01 [Reply] |
> 「思兼神」って、プランナーやプロデューサーのようか方なのでしょうか。 http://www.dai3gen.net/omohikane.htm から抜き書きで簡単に横レスまで。 ----------------------------------------------- 次に『沖縄古語大辞典』(OK)から興味のあることを抜き出すと: * -がね: 接尾敬称辞。童名について敬意を表す。・・・「おもひ」と同じ機能の語。按司の次男以下士族の名には、その上に真もしくは思(或いは下に金)をつけて、真徳、真伊久佐、真牛といふ風にする。王子や按司の嫡子になると、更にその下に金をつけて、真伊久佐金、真徳金、真牛金とする。 * おもひ: 接尾語。「~様」にあたる。「よもひ」「もひ」とも。 ------------------------------------------------------------------ |
[1918] Re[1916][1914]: 無題・思兼神 琉球松 | 2006/04/07(Fri) 00:26 [Reply] |
「思兼神」って、プランナーやプロデューサーのようか方なのでしょうか。 「オモイ」は、琉球圏の神歌「ウムイ・ウムリ・オモリ・オモロ etc 」のように、神々が伝えたマニュアルや思想を記録し人々に伝える。。。つまり「オモイ神」はレコーダー&スピーカーではないでしょうか? 奄美方言で言う「ウムレー・ウムリュリ etc 」は「思う」だけではなく、「喋ろ・伝えろ」という意味ですね。 |
[1917] ありがとうございました。 ことのは | 2006/04/06(Thu) 13:33 [Reply] |
神奈備さま。教えて下さりありがとうございました。ご親切が身に染みました。 地元の氏神様におつなぎをお願いして、神奈備さまがお書き下さった神社も、行けない場所は、遠くからお祈りいたします。私は『界』の力のありがたさを信じております。自らの努力の上に神のご縁をと思い、神奈備さまにご相談させていただきました。ありがとうございました。 |
[1916] Re[1914]: 無題 神奈備 | 2006/04/06(Thu) 11:48 [Reply] |
>
文筆をお守りくださる神様 世に筆塚などがありますが、達筆を願う意味ではなく、その内容が素晴らしいと言うことだと思います。例えば、紫式部とか和泉式部、吉田兼好、鴨長明などが祭神ならいいのでしょうが、見あたりません。 岩手県遠野市土渕町の倭文神社は通称おもんじゅさんと言い、文殊菩薩を祀っています。 滋賀県滋賀郡志賀町小野の小野神社の境内には摂社に文珠神社があり、文殊菩薩を祭神としています。なお、この神社には摂社に小野道風神社があり、三蹟の一の小野道風が祭神で、筆にからむ神様が二柱も鎮座されている珍しい神社と言えます。 三筆のうち、空海を祀る神社はなく、嵯峨天皇は京都市右京区梅津の梅宮大社の祭神です。ここの摂社に護王社があり、橘逸勢が配祀されており、二筆が祀られている神社と言えます。 あとはお書きのように「こやねさま、天神さま」や思兼神(知恵の神)がそれらしいのでしょう。なお、よくわかりませんが、地元の神社にお詣りしますと、それにふさわしい神様につないで下さるとも言いますので、地元の氏神様か地主神にお詣りになってもよろしいのでは。 |
[1915] Re[1913]: 出雲の語り部 神奈備 | 2006/04/06(Thu) 11:47 [Reply] |
> 神代の古都、雲伯意宇の地にはいまだ語部がいるらしいですが、 > しっていたら教えてください。 出雲語り部なるサイトに秦信夫さんのことが載っていますが、残念ながら数年前にお亡くなりとあります。 http://www.stannet.ne.jp/kataribe/ |
[1914] 無題 ことのは | 2006/04/06(Thu) 00:40 [Reply] |
神奈備さま、はじめまして。拝読させていただいております。私は文筆業を生業とさせていただいているのですが、文筆をお守りくださる神様はどなたなのでしょうか。こやねさま、天神さまになるのでしょうか。お教えくだされば幸いです。 |
[1913] 出雲の語り部 八尋ひな | 2006/04/06(Thu) 00:23 [Reply] |
神代の古都、雲伯意宇の地にはいまだ語部がいるらしいですが、 しっていたら教えてください。 |
[1912] Re[1910] [1909][1908]: 半殺しの神 への追伸です。 和亜布 | 2006/04/05(Wed) 22:53 [Reply] |
すみません 忘れHPです、禹について知ってください。 巻六 越王無余外傳 http://f1.aaa.livedoor.jp/~qiaoben/go6.html |
[1911] Re[1910] [1909][1908]: 半殺しの神 和亜布 | 2006/04/05(Wed) 18:11 [Reply] |
神奈備さん琉球松 さん今日は、相変はらず銅鐸 測量のポイント説です。 「国と国(郡と郡)の界(境界)」に銅鐸が発見されるのは、測量での三角点のようなものだかたと考えます。 狩る・狩猟などは「測量」の隠語と考えます。「かり・テン・デン=甸(勹+田)・畋(田+攵)のどの意味に大きなヒントが隠されています。 「鬼」は測量・治水に没頭したときの「禹」を表す文字と考えます。(星座に形も) 「鬼ー角=太平の世」・・・鬼(角+「田=地図」+「ル=禹の足」+「ム=禹の象形」)ー角(かくど)=偶グウ(偶像・・・英雄・偉人などを尊ぶあまり、これを神のようにまつりあげる。) http://f1.aaa.livedoor.jp/~qiaoben/go6.html 山の石には、各種の文字を刻んだ。(石に古文字は日本でも多く発見されています。) (伊勢神宮の「古代文字 」 投稿者:学芸課 投稿日: 1月18日(水)22時41分22秒 この画像は中国の甲冑文字 東京国立博物館より転載 出雲大社近くの書嶋の石窟で発見(現存場所不明)。 島根県この文字は“トヨノ文字”と呼ばれ倭人よって創られたと伝わる。 伊勢神宮の古代文字は何故か非公開 ・・・(?????) http://6302.teacup.com/kodaigiten/bbs 禹墓の祭祀を復活させよう。民衆のために、天に向かって福を求め、鬼神に向かって道を通じさせよう」(鬼神は、禹の墓「会稽以墳丘」から四方八方から角度のラインが世界に向かうのです・・・ギザのピラミッドのように。) 「描かれている絵は農業や動物を狩るような絵が多いと記憶しています。戦争を思わす絵はありましたか?という事で、どうも戦争の神と銅鐸とは結びつかないのですが・」・・・・禹の測量軍団には屯田兵のように行く先々に定住する「国造り部」のような「夫」が存在したと考えます。(もののふ=畉(田+夫)・・・武士は武器・戦いを止める人。) 巻六 越王無余外傳 より 「エジプトの「ピラミッド」水準測量 中国で夏王禹が黄河の治水に成功した ... 」 http://www.tomei-survey.com/history.htm 玉座の第1群の「フィールドは4つであり」(初期の禹の測量で「田」の字=「フィールドは4つ」とか、「たくさんの目があるのは翼と手だった」「それぞれ6つの翼」(6×60度=360度)・「ヘビのうろこのようにみえる」(三角紋)・「占星術の基本概念を使った位置と方位を表している。バビロニアでユダヤ人が学んだ知識がこうして出てくるので、聖書にも古代オリエントの影響があるといえる。」・「その翼は高く伸ばされ、その2つは互いに連なり、他の2つをもってからだをおおっていた。」(篭目紋?ダビデの星?)・・・・・・おかげさまで自論に自信を深めました。 http://www.asahi-net.or.jp/~RG1H-SMED/kantou 相変らずまとまりません、お察しください。 |
[1910] Re[1909][1908]: 半殺しの神 琉球松 | 2006/04/05(Wed) 16:40 [Reply] |
神奈備さん、ありがとうございます。 銅鐸には、古き良き時代の「農耕神」と、その農耕が発達したために起こりはじめた「戦争の神」に分けたほうがいいのではと考えています。 しかし、決定的な裏ずけもないので推測にすぎません。まだまだ勉強中。。。 |
[1909] Re[1908]: 半殺しの神 神奈備 | 2006/04/05(Wed) 16:02 [Reply] |
> "戦争の神"
の出現を表していて、銅鐸以外には思い浮かばないわけなんです。 銅鐸についてはあまり詳しくないのですが、描かれている絵は農業や動物を狩るような絵が多いと記憶しています。戦争を思わす絵はありましたか?という事で、どうも戦争の神と銅鐸とは結びつかないのですが・・。 風土記に見る荒ぶる神(半殺し)の一覧です。 風土記 神 鎮座する所 祭った人 近い銅鐸出土地 摂津国能勢郡 天津鰐 下樋山 久波乎 *1 播磨国揖保郡 出雲の御蔭の大神 神尾山 額田部連久 *3 播磨国揖保郡 出雲の大神 神尾山 漢人 播磨国神前郡 荒ぶる神 死野(生野) ? 昔のこと 筑後国 麁猛神 筑前筑後の境 甕依姫 肥前国神埼郡 荒ぶる神 この郡 ? 景行天皇の御代 肥前国基肄郡 荒ぶる女神 姫社の郷 珂是古 伊勢国一志郡 荒ぶる神 安佐賀山 大若子命 *2 『八幡宇佐宮御託宣集』鍛冶の翁あり。奇異の瑞をあらわして一身にして八頭となる。五人行けば三人死に、十人行けば五人死す。云々。*4 *1 下樋山は能勢の剣尾山に比定される。 *2 一志郡に比定したのは、阿射加神社が鎮座しているから。祭神は猿田彦神。 *4 八幡大神も元々半殺しの荒ぶる神であったようです。 鎮座地は概ね国と国(郡と郡)の界(境界)のように見えます。この荒ぶる神と銅鐸の関係ですが、安佐賀山と松阪市久保町世ノ美・草山は同一市内で直線距離で7km程度、まず今の発見具合では無関係といわざるを得ないでしょう。 *3の荒ぶる神は近江の御上神社の祭神であり、付近には多くの銅鐸が出ています。 荒ぶる神の性格は一体何か、というお話は昔から出ていますが、スッカトした所にはいきませんね。 青草[745]KAGさん 治水の行われていない自然のままの湿地帯などでは、(洪水時でなくとも)その横断に成功率50%という土地があったかもしれません。 青草[773]神奈備 御影の神、神である銅鐸を埋めた所はちょっと目立たない所?また神聖な所、やたら通るではない、半殺し神話を流布する。 などなどもやもや |
[1908] Re[1907][1899][1898]: ビロウと蛇 半殺しの神と鰐 琉球松 | 2006/04/05(Wed) 09:43 [Reply] |
神奈備さんへ "半殺しの神" が「十人行くと五人は行き去らせ、五人はとどめられた」の解釈だとすれば、これはちょっとちがうのではないでしょうか。 このカミの性格は。。。仲間にとっては頼もしい万能の神でありながら、敵にとっては恐ろしい鬼であるっていう感じですね。 A環濠集落にとってのA神は、B環濠集落にとっては水底地底に潜む恐ろしい「鰐=鮫」、あるいは急降下爆撃機や弾道弾ミサイルのような恐怖の猛禽類A鬼であると思いますがどうでしょうか? これは、C環濠集落、D環濠集落、E、F・・・にとっても同じ状況で、村々の対立による殺戮(倭国大乱)の元凶、 "戦争の神" の出現を表していて、銅鐸以外には思い浮かばないわけなんです。 キジムナー(沖縄)ケンムン(奄美)マズムヌ(宮古)など、本土のカッパやザシキワラシ、ナマハゲなどにも繋がる琉球圏の妖怪(鬼)の性格からもそれは推測できますし。。。かりに(出雲+銅鐸信仰=倭国大乱)だとすると、倭主義者?の目的は(倭国大乱ー銅鐸=邪馬台国)、あるいは沖縄の伝承からは(鬼ー角=太平の世)で、鬼の角の廃棄は女性(ホトタタラ?)にしかできないわけなんです。 この方程式、なかなかイケてると思いますがどうですかね(笑)。 |
[1907] Re[1899][1898]: ビロウと蛇 半殺しの神と鰐 琉球松 | 2006/04/04(Tue) 10:36 [Reply] |
神奈備さん、ありがとうございます。 「久波乎」って、鍬(クワ)で地面を掘る考古学者のイメージですけど(笑)、かつての銅鐸信仰を温存、復活を目的とする勢力かもしれません? 大国主命の「国譲り」に反発したクナ国の象徴でしょうかね。 |
[1906] Re[1905]: もののけひめ nick [Url] | 2006/04/03(Mon) 22:35 [Reply] |
私も以前「たたら」について調べていたら。。。 ご存知かもしれませんが、一応サイトを。 もののけ姫 http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/mononoke/index.htm |
[1905] もののけひめ 神奈備 | 2006/04/03(Mon) 21:37 [Reply] |
宮崎映画に「もののけひめ」が登場します。「モノノケヒコ」ではないのでしょう。 |
[1904] Re:[1902]大阪の神社に玉が降る いこまかんなび | 2006/04/03(Mon) 19:48 [Reply] |
[返信不要便] >半分は aprilfool Day どひゃ~!!、タマげたぁ~っす。神奈備さんが「 aprilfool Day 」? だなんて。 って、いうことは、先月の White Day なんぞも? |
[1903] Re[1901]:[1900] 大阪の神社に玉が降る 玄松子 | 2006/04/03(Mon) 11:15 [Reply] |
>
モデルガンの弾ではないですよね。 6mmの大きさなら、エアガンのBB弾かもしれません。 神社でサバイバルゲームというのもありがちですね。 公園では禁止されている場合も多いですが。 |
[1902] Re[1901]:[1900] 大阪の神社に玉が降る 神奈備 | 2006/04/03(Mon) 08:18 [Reply] |
> モデルガンの弾ではないですよね。 > 神社探訪の時、これから気をつけてさがしてみよぅっと。 柏原市の二宮神社です。拝殿付近には特に多くあります。 「天から降って来る。」は推定で、店ちがいかも、だから半分は aprilfool Day。 |
[1901] Re:[1900] 大阪の神社に玉が降る いこまかんなび | 2006/04/02(Sun) 22:52 [Reply] |
>セラミックのようなものでできた玉でビーズ玉の大きさ >ニンジンのような赤いもの、白いものなど、数色の同じ大きさの玉 それってほんとに天から降ってきた訳ないですよね。 金色ならぜひあちこちで探してみたいですが。 モデルガンの弾ではないですよね。 神社探訪の時、これから気をつけてさがしてみよぅっと。 見つけたらこれから「いこまかんタマ」のHNにでもかえよかな!!。 |
[1900] 大阪の神社に玉が降る 神奈備 | 2006/04/01(Sat) 19:55 [Reply] |
柏原市の某神社に最近立ち寄らせて頂きました。社務所に立ち寄る前に手水舎の所から階段の方へ歩いていすと、土の上に黄色い玉が落ちていました。拾ってみますと、セラミックのようなものでできた玉でビーズ玉の大きさですが、穴は開いていませんでした。 これを持って神職さんとお話をしていますと、彼女も沢山拾っており、ニンジンのような赤いもの、白いものなど、数色の同じ大きさの玉を箱にいれていました。お話をおうかがいすると、境内の中でも、特に浄化したい場所に多く落ちているようだとのことでした。お守りの袋の中にひとつづつ入れて配ろうとされていました。小さい磐座が降ってきたとしかいいようがありません。 で、何故降ったのかとのことですが、「あるエスパーの方が亡くなる前に、自分が死んだら玉を降らせる。」と言い残していたそうです。彼の執念かも知れません。道頓堀の妙見さん付近にも玉が降ったそうです。 よく探して見れば、ほかの神社からも見つかるかもしれません。 |
[1899] Re[1898]: ビロウと蛇 半殺しの神と鰐 神奈備 | 2006/03/31(Fri) 17:01 [Reply] |
> それから「クハ男」。。。『摂津風土記逸文』の下樋山の記事にでる「久波乎」ですけど、もうちょっと勉強してみます。 この久波乎、気がつきませんでした。 『摂津国風土記』逸文に、下樋山(したび)と言うお話があります。 昔、大神があった。天津鰐といった。鷲となってこの山に下りとどまった。十人行くと五人は行き去らせ、五人はとどめられ(殺され)た。久波乎という者があった。この山の下に来て、下樋を伏せて神のもとにとどかせ、この樋の中を通って祈り祭った。これによって下樋山という。 この物語は、播磨、肥前、筑後の『古風土記』に登場する、半分を通し、半分を殺す神の物語であり、もう一つは、鰐が神の下に近づく二つのお話があります。 肥前の国の佐嘉の郡の物語は、川上の荒ぶる神を和ぎさせるお話に続いて、川上の世田姫の下に通う海の神(鰐)の話があります。摂津の国のお話では荒ぶる神が天津鰐なので、攻守所を変えていますが。 出雲の仁多郡の恋山(したひ)のお話しは、半殺しはしないのですが、玉日女命を慕って和爾(鰐)が上がってこようとするのを石を以て塞いでいます。下樋と恋、プラス攻守がかわるのですが、鰐、これが共通点のお話です。 http://kamnavi.jp/it/izumo/komaki.htm そういえば、大和に和爾下神社二座鎮座、「下?」なお、この神社間も川でつながっています。 http://kamnavi.jp/as/yamanobe/wanisita.htm 久波乎、この名はなんでしょうかね。 |