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掲示板のログ(平成十八年 十月 2006.10)お名前の敬称は省略しています。
[7961] Re[7956]: Re いがすり&丹生&導水&セミナー 大三元 |
2006/10/31(Tue) 21:32 [Reply] |
MADOKAさん
> まさか 鳥と疫病が出てくるとは!!!
ええ。自分の頭の中でも、鳥インフルエンザが報道された頃に、つながってモチーフでしたので、自分でもびっくりしました。しかし、結構色々(ちかつ神社、など)説明がつくのでほくそ笑んでいるものです。
> 私の語彙の興味の入り口は古代朝鮮語でした。おりしも古代朝鮮語ブームの時。かなりはまりかけたんですが、調べているうちに。どうもこれはちゃんとした体系が確立されていない。古代朝鮮語でと表記されていても各自手法はばらばらなんじゃないか?なかにはかなりいいかげんなものもあるのでは?ということに行きつき。ばったり読まなくなりました。
依拠できる文献で、そこそこの情報量のあるものの嚆矢は「三国史記」(AD1145)「三国遺事」(AD1289)だろうと思います。これらは、更に古い文献を引用したりしている箇所もあるそうで、古「朝鮮半島諸語」を垣間見させてくれるものです。記紀・風土記から見ると、400-500年後、ということになり、記紀・風土記から推察できる(かもしれない)ムカシと「三国・・」から推察できる(かもしれない)ムカシとは、やはり隔たりがあろうかと思います。
朝鮮語での解の多くがしばしば「現代」の韓国語ら「現代」の韓国方言に依拠しています。これらが「朝鮮半島諸語」をどのようにrepresent(代表)しているのか、がキーだろうと思います。方言(日本語であろうと韓国語であろうと)は古い!古い形を保ってる! というのは、批判・論証を要することであって、無批判に前提には使えない、論証なしには依拠できない、と思っています。(日本語の場合、日本語方言には日本語の古い形が残っている語彙があることは承知していますが、それは日本の古文献に出ていて、標準語では使われないが方言に残っている、ような語彙です。)朝鮮語解の場合には、ある方言語彙が古文献にもある、ということが言えていない、と認識しています。ここらがMADOKAさんが懐疑的になられる少なくとも一つの要因だろう、と思います。
> 門外間としては鵜呑みにするしかない。。そこですごく迷うんです。
突然ですが「生活笑百科」の上沼恵美子さん、オモロイですよね。大袈裟。大風呂敷。しかし、門外にまでお部屋がおありになるようでMADOKAさんも捨て置けない・・・と、からかって逃げだそうと思っているのは:
> 中学生でも読めるやさしーーーーーの
ううう。七面倒くさいことを言っていても簡単に言えないのはホンモノじゃない、ということはかなり真実をついている、と思うので、中学生でも読めるやさしーーーーーのを書くことが出来ねばいかん、とは思ってはいるのですが。これってなかなか難儀なことです、とほほ。 |
[7960] Re[7959][7956]: Re いがすり&丹生&導水&セミナー 大三元 |
2006/10/31(Tue) 21:01 [Reply] |
MADOKAさん,nickさん、とみたさん
レス有り難うございます。どこから手をつけたらよいか・・・
まず、とみたさんの > 日本語のルーツがまあいろいろあって、尤もらしく我田引水されたので素人は、みんな頷いてしまいます。
に関してですが、私は日本語のルーツなら、どうやらroots/routes いずれにしても複数 らしいから「あちこちからでしょうね」というスタートは切れるかも知れません。と書き始めた意味合いは「日本語の起源」だったとすると、そして「起源」と言うときに「単数」を意図して居そうだと、「起源」なんか判りません、というか、むしろ「日本語の起源」ってナンノことでしょうか、と聞き返すことから始めると思うのです。というのは、私は、日本語は一枚岩ではない(多重構造だ)と思っていて、従ってその「起源」が一枚岩であるはずがない。更に、その起源とされる(こともある)言語がしからば一枚岩か、というと決してそうではないと思う。○○語がどっか他から借用してきた単語と日本語を比べて似てるとか似てないとか言ってる場合があったとしたら、その例は除去せねばならない(または、借りてきたもとを捜索せねばならない)。
「日本語の構成、その要素と時間軸上の変遷」ということこそテーマであるべきだと思ってます。(自分がそのテーマの解を持っているわけではありません、その試論さえも手つかずです。)
ひとつ思っていることは、バイリンガル、マルチリンガルな人々、状態を想定するのが適当だろうということです。新羅語堪能な新羅人が日本語を覚えた、とか、百済語堪能な人が高句麗語知識もあったり日本語にも通じるようになっている、というような有様です。今のような、大学出ても英語が喋られない人が殆ど、という状況とはかなり違う。移住して来た処の言語になじむ、というのは、今でも生存に必要なこと、少なくとも望ましいことであり、バイリンガルからある種の混合状態(クレオール、かな)が広まって、、、結局は新たな言語が出来ちゃった、、、日本語はそんな成立過程を経てきたのではないか、と思ってます。
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[7959] Re[7956]: Re いがすり&丹生&導水&セミナー とみた |
2006/10/31(Tue) 09:45 [Reply] |
MADOKAさん よーいうてくれましたなあ。同じような思いを持ってます。白髪軍団は古代史セミナーへ、茶髪軍団は街中へ、黒髪軍団は会社へ・・・・
>
> 私の語彙の興味の入り口は古代朝鮮語でした。おりしも古代朝鮮語ブームの時。かなりはまりかけたんですが、調べているうちに。どうもこれはちゃんとした体系が確立されていない。古代朝鮮語でと表記されていても各自手法はばらばらなんじゃないか?なかにはかなりいいかげんなものもあるのでは?ということに行きつき。ばったり読まなくなりました。あれから何年もたっているんでどうかとおもったんですが > 前回の大三元のレスをみて。。。やっぱりまだそうかと。。。でこのことから 語彙にはちょっと距離をもっている状態です。でも興味はあるんです。いろんなその手のHPも多いんですが、どうやって判断したらいいのかがわからなくってこまっています。たぶん研究している人にはHPをみれば 相手がどれだけ勉強しているのか?我田引水的に論を展開しているとかわかるんでしょうが。。。門外間としては鵜呑みにするしかない。。そこですごく迷うんです。 > 現在のところの言語学?概論?総論? いろんな言語がありますが ベーシックな現状における 研究。とかがザーとわかる本とかHPとかないですかね???(意味がうまくつたわっているか不安ですが) > やさしーーーいやつねやさしーーーの! > 中学生でも読めるやさしーーーーーの > > それか『やさしい弦楽四重奏』にひきつづき、やさしいシリーズ 『やさしい言語語彙入門&エチュウド』ナンテ本を大三元が出していただけたらうれしいんですが
ホンとそう思いますね。
日本語のルーツがまあいろいろあって、尤もらしく我田引水されたので素人は、みんな頷いてしまいます。
私が見た、本や記事を上げてみます。日本語のルーツの候補です。
@古代朝鮮語で万葉集を解く・・・李寧ヒさん。掛け声の”ワッショイ”とは神が来る意。枕詞も意味がある。あしひきの・・・ 朝鮮語でひもとっける 金達寿さんも。栢の森は伽耶の森
A南インドのタミール語(ドラビダ語)が日本語の起源・・・大野晋 ”もののあわれ”とはav-alam
Bヘブライ語・・・大和民族はユダヤ人だった.ヨセフ・アイデルバーグ(ロシア人) 拍手はHAKASHA Cポリネシア語・・・ハワイやマオリ(ニュージーランドの原住民)の古語は、話し言葉で書き言葉でな い。それが縄文後のルーツ Dウラルアルタイ語・・・トルコなどの文法と日本語の主語述語の並べ方が似ている
Eアイヌ語・・・金田一京助さん 、大三元さんの労作 蝦夷の本で工藤雅樹さんも語っています。四国の四万十川もアイヌ語だそうで、昔はアイヌ人が全国にいたんでしょうね F日本語はインド・ヨーロッパ語と同一起源説 工藤進(ベスト新書)
Gツングース系言語・・・沖ノ島という本(世界日報社)で、武藤正行さん
Hタイ語、ベトナム語起源説もあります
以上です。古代史は文献史学、考古学(アメリカでは人類学も含める)、民俗学で勉強するようですが、言語も大切なはずです。日本人は南方の血と北方の血が混じっていますから日本人の言葉がいろいろな起源を持つのは分かるのですが・・・・それにして、百家争鳴で
比較言語学といいますか。蛸壺(失礼、自分の城)で唯我独尊でなく、一緒になってみんなで喧々諤々とやって整理していただきたいものです。
誰でもわかる、古代語のルーツという本を書いていただけませんか。
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[7958] Re[7956]: Re いがすり&丹生&導水&セミナー nick [Url]
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2006/10/31(Tue) 07:40 [Reply] |
MADOKAさん、おはようございます。 相変わらず快調のようですね。上々。
> まさか 鳥と疫病が出てくるとは!!! > びっくりしました!! > 鳥が太陽と船に関係あるのは知ってましたが! > 鳥と疫病サースみたいです > > >(うぁぁ、6年前のファイルだ) > > 6年ブリの更新期待しております\(^0^)/
昨日、巡礼した「東(小字:妻にあるのでつま)神社」のある 高崎地方は「鶏」を食べません。 実はこんな神話が伝承されているそうです。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/h-mythroad/13-takasaki/index_n.htm
「鬼岩階段」
これなど現代風に言えば「鳥インフルエンザ」が猛威を奮って その警鐘だったのではと。
都会では「薩摩鶏」と云うと一度は食してみたい。。と、、 地元では新鮮な生でよく食べますが。。(私は後遺症でなまはご法度)
また、この小字・妻にも伝承があるようです。 日向・ひむか街道の神話伝承でその時代背景を読み解くのも一考。
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[7957] Re[7956]: Re いがすり&丹生&導水&セミナー 素人 |
2006/10/31(Tue) 03:28 [Reply] |
MADOKA さま > 素人さん > 根本的な質問ですが? > 丹生が何故古代人にとって重要だったんでしょうか? > よーく考えると私答えられないんですが?? > なにゆえ??? 1世紀ごろ日本は石器から鉄器の切り替えが行なわれています。 この為に中国・遼東半島の付け根付近、遼寧省の鞍山市(現在でも周囲に5箇所の露天掘りの大鉱山があり、大きな製鉄所のある町で前漢時代から「鉄官」が置かれた街です。)で製鉄された鋳鉄が楽浪郡を通して日本にながれ込んだと考えています。この代金ですが、辰砂で支払われたのではと考える次第です。貴重な鋳鉄をただで恵んでくれるとは考えられませんから、辰砂は大事なのではないかと考える次第です。
> 姫さんが下記に西之辻導水施設の復元と文を載せていらっしゃいます > http://6314.teacup.com/kamnavi/bbs
2個の沈砂地の跡に浄水を貯める貯溜池は2個いらないのではと考えD部分は中の石の支えと貯溜槽の位置関係から同水路の導水路分岐点、樋が有ったのではと考えた次第です。試験ですが合理性があるように思います。 |
[7956] Re いがすり&丹生&導水&セミナー MADOKA |
2006/10/31(Tue) 02:26 [Reply] |
>神武紀に「いつのかしり」という語が出てきます。時代別国語大辞典上代編では「かしり 呪詛 神に祈って人をのろうこと。カシルの名詞形」とあります。「いかすり」は「いかしり」ともなり、この「かしり」に「い」が接頭辞としてついたものではなかろうか、と思ってます。「い」は「斎・忌」あたりの意味。
面白いですね 上町台地最大の八十嶋祭り祭祀場所候補地らしい意味だなあとおもいました。
> 生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神 うしろの二つに関しても、考え始めただけで停まっている状態が http://www.dai3gen.net/izumo3.htm に掲げてあります。(うぁぁ、6年前のファイルだ)
まさか 鳥と疫病が出てくるとは!!! びっくりしました!! 鳥が太陽と船に関係あるのは知ってましたが! 鳥と疫病サースみたいです
>(うぁぁ、6年前のファイルだ)
6年ブリの更新期待しております\(^0^)/
>もし他の方の知恵も頂戴することができれば、ということで書いてみます。
私もまっているんですが!! レスがないので。 私の知り合いの古代朝鮮語で20年記紀を読解している人(古代朝鮮語はいろいろ問題はありますが 現状この人の読みを私は一番評価しています)
いがすり=巫女が座す
坐摩神社の古社地(八十嶋祭り候補地)神功皇后腰かけ石があるんで 私はなんとなく納得している 参考までに。。
で。前に聞きたくてそのままになっていることですがー。 私の語彙の興味の入り口は古代朝鮮語でした。おりしも古代朝鮮語ブームの時。かなりはまりかけたんですが、調べているうちに。どうもこれはちゃんとした体系が確立されていない。古代朝鮮語でと表記されていても各自手法はばらばらなんじゃないか?なかにはかなりいいかげんなものもあるのでは?ということに行きつき。ばったり読まなくなりました。あれから何年もたっているんでどうかとおもったんですが 前回の大三元のレスをみて。。。やっぱりまだそうかと。。。でこのことから 語彙にはちょっと距離をもっている状態です。でも興味はあるんです。いろんなその手のHPも多いんですが、どうやって判断したらいいのかがわからなくってこまっています。たぶん研究している人にはHPをみれば 相手がどれだけ勉強しているのか?我田引水的に論を展開しているとかわかるんでしょうが。。。門外間としては鵜呑みにするしかない。。そこですごく迷うんです。 現在のところの言語学?概論?総論? いろんな言語がありますが ベーシックな現状における 研究。とかがザーとわかる本とかHPとかないですかね???(意味がうまくつたわっているか不安ですが) やさしーーーいやつねやさしーーーの! 中学生でも読めるやさしーーーーーの
それか『やさしい弦楽四重奏』にひきつづき、やさしいシリーズ 『やさしい言語語彙入門&エチュウド』ナンテ本を大三元が出していただけたらうれしいんですが \(^^ 私予約注文買いですがーーー!!!
とみたさん >風流踊り研究の現状と課題 近所であればいくんですが残念! この方面の研究の進歩はすごい!!たぶん聞きごたえのあるセミナーでしょうねええ 近頃マジに勉強せねばと博物館やセミナーに顔だしてます。手ごろで内容濃し!ただ 特に歴史関係は どこも見渡すかぎり白髪軍団!! もったいないことです。 素人さん 根本的な質問ですが? 丹生が何故古代人にとって重要だったんでしょうか? よーく考えると私答えられないんですが?? なにゆえ???
姫さんが下記に西之辻導水施設の復元と文を載せていらっしゃいます http://6314.teacup.com/kamnavi/bbs |
[7955] 杵築 神奈備 |
2006/10/29(Sun) 17:23 [Reply] |
現在の宮中作法では柏手は打たずに八度の拝礼だけで神々に祈る・もしくは挨拶をするそうです。これを八度拝と言う。 それは神功皇后御陵拝や仁徳天皇御陵拝の時も拝礼のみ。
それでも大嘗祭の時には八度拝八柏手。 これが簡略化されて四度拝四柏手。
出雲大社ではそれが二度拝四柏手一拝となった。これと同じ方式が宇佐八幡。宇佐八幡は国東半島の根っこに鎮座、国東半島の南側の空港の近くには杵築市があり、何となく出雲大社との関連を思わせますね。 宇佐神宮の祭神は本当は素盞嗚尊だとの怪説もあり、面白い所。
倭人伝によりますと、柏手を打つ風習は卑弥呼の頃にもありました。これはどうやら道教の作法だそうで、西暦ゼロ年頃には道教が日本に入って来ていたそうです。(住吉大社 真弓宮司談) |
[7954] セミナーの紹介 とみた |
2006/10/29(Sun) 08:12 [Reply] |
いろいろな掲示板を覘いていると、興味のある古代史セミナーが出ています。
私は国際縄文協会の月例セミナーに参加していますが、下のような民俗学的なセミ
ナーもあります。
中国福建省の道教とかクグツや沖縄の芸能について、東京の慶応大学で講演があり
ます。(私は他用で参加できないのが残念です) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
慶應義塾大学人類学研究会 投稿者:鈴木正崇 投稿日:10月25日(水)23時25分58秒 慶應義塾大学人類学研究会のお知らせ
下記の通り慶應義塾大学人類学研究会を開催します。今回は三田哲学会との共催です。万障お繰り合わせの上、ご出席頂ければ幸いです。
日時:2006年11月13日(月) 午後6時10分〜 場所:慶應義塾大学(三田)大学院校舎314番教室 題名:「中国福建省の民俗と信仰」(中国語・通訳付き) 演者:葉 明生(福建省藝術研究所研究員・理論研究室主任) 要旨 過去20年以上にわたる福建省各地の調査経験に基づいて、祭祀・芸能の各地方ごとの特色や信仰の実態について、写真や映像によって紹介・検討する。傀儡戯・道教儀礼・民間信仰の諸相などを取り上げる予定である。
演者紹介 1946年、中国福建省寿寧県生まれ。中国藝術研究院戯曲理論研究班、福建省寿寧県文化局を経て現職。著書に『福建民間儀式与戯劇』(主編)、『福建戯曲業行神信仰研究』(主編)、『福建民間傀儡戯』(主編)、『福建傀儡戯史論』[上・下](中国戯劇出版社)など。日本語論文として、「福建民間傀儡戯における祭儀文化の特質について」『慶應義塾大学日吉紀要―言語・文化・コミュニケーション』27号、2001.「甫仙傀儡北斗戯と民俗、宗教の研究」『慶應義塾大学日吉紀要―言語・文化・コミュニケーション』30号、2003.「女神陳靖姑の儀礼と芸能伝承」野村伸一編『東アジアの女神信仰と女性生活』慶應義塾大学出版会、2004.がある。
問合せ先 〒108−8345 港区三田2−15−45 慶應義塾大学文学部 鈴木正崇 TEL 03−5427−1138 FAX 03−5427−1578
-------------------------------------------------------------------------------- 〈民俗芸能学会〉平成18年度大会案内 投稿者:中藪規正 投稿日:10月25日(水)06時58分48秒 〈民俗芸能学会〉平成18年度大会案内 大会参加費: 会員 1,000円 / 会員外 1,200円 / 学生 500円
11月26日(日) 受付開始 9:30 開 会 10:00 【開会挨拶】 10:00〜10:10 大会実行委員長 福原敏男 【研究発表】 10:10〜11:10 一.琉球諸島における<棒踊り系芸能>の研究 −沖縄本島のフェーヌシマを事例として― 須藤義人 一.祭礼図に見る風流 福原敏男 (発表内容、発表者は変更となる場合があります。) 【基調講演】 11:10〜12:00 風流踊り研究の現状と課題 植木行宣 【昼食休憩】 12:00〜13:00 近くに食堂・レストランはございません。各自ご用意ください。 *評議委員会:12:00〜13:00 於:日本女子大学・新泉山3階共同スペース 【シンポジウム】 13:00〜16:00 テーマ《風流踊り研究の現状と課題》 ・パネラー 青盛 透 / 中村茂子 / 山路興造 / 笠 理沙 ・司会 笹原亮二
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[7953] Re[7950]: いこまかんなびさんから 素人 |
2006/10/29(Sun) 01:27 [Reply] |
いこまかんなび 様 > 西ノ辻遺跡導水施設遺構平面図 > http://kamnavi.jp/log/nishinotsuji2.jpg > 4番目の石組浄水遺構〜祭祀建物跡方向の写真 > http://kamnavi.jp/log/nishinotsuji3.jpg > > 『神並・西ノ辻・鬼虎川・水走遺跡調査報告書-国道308号関連調査の成果-』2002.2 財団 > > 法人東大阪市文化財協会ほか 詳細な資料大変に参考になります。 ダムから導水して沈砂地を通って綺麗になった水を貯留池に蓄え配水する良く出来ています。ここで興味があるのは木管と木製樋を使い分けているのではと言うことです。各池の間の接続は木管が使われている。D部分の池とされている部分は写真を見ますと木管の石の支えが出口付近まで左に曲がりながら出口の木管まで続いています。 この水は貯水槽下流の木製樋に給水するものと思われます。D部分を良く見ますと木管配管と別に真っ直ぐに支えが有るようにも見えます。多少乱れていますがこの延長線上に長細い貯留槽の左側にぶつかります。従来の説からしますとここには分岐した木製樋がなくてはならないようです。下流の貯留槽の下流では木製樋になっていますから木製樋が分岐して貯留槽に清水が落ちているのではないかと考えます。 ではなぜ、木管でなくて木製樋が必要かが問題となります。水の状態を見るのであれば短い木製樋部があれば確認できますが、長い木製樋です。そうしますと何かを流した可能性が高くなると思います。現在ですと流しそうめんとか、これは冗談ですが。 いつもの私に都合の良い話ですと辰砂の分離だけでなく、鉱物の比重選鉱に使用したのではと考えてしまいます。当時としては高度な技術が投入されていますので技術集団がかかわった、精鉱など目的のある施設と考えたくなります。当時のハイテクなので見られてまねられては困るので神聖な場所にしたのではと夢想しています。 儀式と考えますと精鉱から出発して辰砂精鉱の形が残り、辰砂を流して水を清めて祭事に使用したなどと言うトンでも説など夢想してしまいます。 いつもの青草失礼しました。 |
[7952] Re:[7950]・[7951] 導水施設遺構 大阪 西ノ辻遺跡 いこまかんなび |
2006/10/28(Sat) 00:28 [Reply] |
神奈備さん ありがとうございます。 >画像が表示できないとのことで、消去の依頼があり、消去しましたが、別の方法で画像を見ることができますので、再掲させていただきました。
びっくりです。どのようにして表示できたのか?、もう神わざですね。いつもお手数をおかけし申し訳ありません。
>地域の首長・王が、当時の大王の承認と保証を得て、地域の王となるための聖なる儀式の場 >このような儀式の場と考えられる遺跡は他の場所、例えば御所市や八尾市の遺跡もそうなのでしょうか。もしくは、石切のみなのでしょうか。そうしますとどこがどう違うのでしょうか?
導水施設遺構の発見例は、まだまだ少ない段階ですが、将来は各地の谷筋などから相当発見されねる可能性が高いように思います。 これまでに、古墳時代の初期段階にあたる例として、桜井市三輪山の山ろくの纒向遺跡があり、古墳時代中期後半にあたる生駒山西ろくの西ノ辻遺跡、葛城(金剛)山ろくにある御所市の南郷大東遺跡のほか、奈良市の山間部の大柳生宮ノ前遺跡などのほか、群馬県でも類例が報告されています。 また、同時期の大きな前方後円墳や、地方の方墳・円墳などからは、一連の導水施設を構成した施設を形どった埴輪が出土しています。 鋸歯状の板玉垣や三角頭の装飾を施して、瑞垣を表現した「囲形埴輪」、祭祀建物を表現した神殿形の家形埴輪=のほか、内部に設けられていた木樋を埴土で表現した「木樋形土製品」などから構成される「導水施設形埴輪」(組合式もある)、三角頭の板瑞垣を円筒埴輪上に表現した「柵形埴輪」などの資料が、各地の古墳の発掘調査で見つかってきています。 導水施設形埴輪<狼山古墳・野中宮山古墳(藤井寺市)・心合寺山古墳(八尾市)・赤土山古墳(天理市)・巣山古墳(奈良県広陵町)・行者塚古墳(加古川市)・宝塚1号墳(松阪市)など>に限ると「現在では、三重県宝塚1号墳が東限、兵庫県加古川市の行者塚古墳が西限、いずれも近畿の周縁ともいえる位置にある」という。 なぜか、これらは前方後円墳などのくびれ部と造り出しから出土するものが多いようです。 4世紀から5世紀にかけて、畿内の中心地域から始まった導水施設の祭祀は、次第に各地へ広がっていった。その祭祀施設は、地域首長の古墳の埴輪にも加えられ た、ということになりますか。こう考えますと、まだまだ各地で導水施設の遺構や、大型古墳から同種の埴輪が発見されていくかもしれませんね。
>2.祭祀ですが、水・治水の祭祀と地域の王となる儀礼とはどのような差違があるのでしょうか。治水=地域の王の証のように思いますが、同じ遺跡の祭礼機能を二つの面から見ていると言うことは考えられないでしょうか。
私としては水のカミを崇める、治水を祈るマツリではなく、謎めいた不思議な導水施設・設備を通して造られた浄水?(それにいろいろプラスされたかも?)を使ってその地の王となる祭祀行為であった、つまりその場では継続して祭祀が行われたものではないと仮定して、短期間のそれらしい祭祀の中身を考えたいと思っている所です。その一つが既に述べたものでしょうか。まだまだ自信がありません。 |
[7951] Re:[7944] 導水施設遺構 大阪 西ノ辻遺跡
神奈備 |
2006/10/27(Fri)
16:04 [Reply] |
いこまかんなびさん、ご丁寧な解説ありがとうございます。
>
私としては、この導水施設遺構というのは、聖水精製による水のカミ・治水に関わる祭祀というより、天皇の大嘗祭のように、地域の首長・王が、当時の大王の承認と保証を得て、地域の王となるための聖なる儀式の場ではなかったのだろうかと思ったりしています。
遺跡などについては全くの素人ですので、ひとつ教えて下さい。
1.地域の首長・王が、当時の大王の承認と保証を得て、地域の王となるための聖なる儀式の場 このような儀式の場と考えられる遺跡は他の場所、例えば御所市や八尾市の遺跡もそうなのでしょうか。 もしくは、石切のみなのでしょうか。そうしますとどこがどう違うのでしょうか?
2.祭祀ですが、水・治水の祭祀と地域の王となる儀礼とはどのような差違があるのでしょうか。治水=地域の王の証のように思いますが、同じ遺跡の祭礼機能を二つの面から見ていると言うことは考えられないでしょうか。
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[7950] いこまかんなびさんから 神奈備 |
2006/10/27(Fri)
16:03 [Reply] |
いこまかんなびさんから投稿を頂いたのですが、画像が表示できないとのことで、消去の依頼があり、消去しましたが、別の方法で画像を見ることができますので、再掲させていただきました。
>ただできますれば。写真 図面があればさらにうれしいんですが!!\(^0^)/ そうでしたね。西ノ辻遺跡の写真・図を報告書から紹介です。
西ノ辻遺跡導水施設遺構平面図 nishinotsuji2.jpg 4番目の石組浄水遺構〜祭祀建物跡方向の写真 nishinotsuji3.jpg
『神並・西ノ辻・鬼虎川・水走遺跡調査報告書-国道308号関連調査の成果-』2002.2 財団
法人東大阪市文化財協会ほか |
[7949] Re[7946]:
湧水(導水)施設遺構&八十嶋祭り 大三元 |
2006/10/27(Fri)
10:22 [Reply] |
MADOKAさん
> 青草話ですいません。m(..)m >
私の青草話は置いといて。。。
ということで、これらの行より上へのレスはご勘弁頂いておいて・・・
>
坐摩(いがすり)という妙な神名の意は??
まだ浅薄なので憚られるのですが、もし他の方の知恵も頂戴することができれば、ということで書いてみます。
神武紀に「いつのかしり」という語が出てきます。時代別国語大辞典上代編では「かしり 呪詛 神に祈って人をのろうこと。カシルの名詞形」とあります。「いかすり」は「いかしり」ともなり、この「かしり」に「い」が接頭辞としてついたものではなかろうか、と思ってます。「い」は「斎・忌」あたりの意味。
>
生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神
うしろの二つに関しても、考え始めただけで停まっている状態が http://www.dai3gen.net/izumo3.htm に掲げてあります。(うぁぁ、6年前のファイルだ)
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[7946] 湧水(導水)施設遺構&八十嶋祭り MADOKA |
2006/10/27(Fri) 00:55 [Reply] |
いこまかんなびさん >西ノ辻遺跡の導水施設遺構を参考に紹介します。
さっそくの丁寧な御紹介ありがとうございます
>私としては、この導水施設遺構というのは、聖水精製による水のカミ・治水に関わる祭祀というより、天皇の大嘗祭のように、地域の首長・王が、当時の大王の承認と保証を得て、地域の王となるための聖なる儀式の場ではなかったのだろうかと思ったりしています。
私にはうれしい見解です! ただできますれば。。写真 図面があればさらにうれしいんですが!!\(^0^)/
大三元さん さっそくのレスありがとうございます 歌の件はわかりました。
>http://www.dai3gen.net/ositeru.htm で書いた下記はご覧になったのでしょうか。 「岡田精司著『古代王権の祭祀と神話』という本に「八十島祭り」の原形を推定して居られる箇所がある。原形、とは、八十島祭りを住吉神社が主催するようになる前の形のことだ。同書から引用する。 「そこで復元した結果では、海の彼方から太陽霊をむかえそれと一体となる形をとる族長就任儀礼であり、河内王朝が〈大王〉の地位を占める以前の、一地方族長にすぎぬ時代から行われてきたものである。・・・五世紀代には依然として大王家の私的な族長就任儀礼として、古来のままの形で太陽霊を浜辺で迎える祭りとして行われていたものと推定される。」」 ご覧になった上で「私の中で浮上」ということであれば、アイデアをご紹介ください。
この件はよーく熟読しております。 まず、私の興味は記録以前の八十嶋祭り&住吉はアカルヒメと神功皇后を主軸に調べていることがあります。 八十嶋祭りには北祭(佃島 田蓑神社)南祭(開口神社) 佃島近くに姫島神社(住吉三神とアカルヒメ) 西淀川区 区のあらましより >これが古代に難波八十島と呼ばれたものです。西淀川区の地名に、竹島、御幣島、佃島、出来島、姫島、百島、中島、城島、西島、外島など、島の名が多いのは、その名残といえます。しかもこれらの地は、古くからみやこの貴族や文人の間によく知られていたことが、今日残されている多くの歌碑からうかがい知ることができます。
八十嶋祭りの遺構とされる 五反島遺跡も神崎川周辺。
私は本来の八十嶋は神崎川周辺と思っています また古形の八十嶋祭りは姫神がかかわっているとも。(八十嶋祭りが女祭りとされるのはそれを踏襲している?)住吉の姫神は本来アカルヒメが自説。 御存じのようにアカルヒメは太陽光がホトに入って赤い玉となって生まれた姫神です。&神功皇后の6代前のアメの日矛が朝鮮半島から追ってきた女神(日本人)です。住吉との繋がりも深く。住吉大社の今は無くなった『アワの神事』は平野のアカルヒメ神社から花かざしの神事が行われてはじまる。この神事の童女は平野の坂上田村麿の子孫からでる。&住吉大社の氏子総代も代々この家。神功皇后とアカルヒメをしらべていると神功皇后が強くアカルヒメを意識しているのを感じるのです。神功皇后が神崎に斎庭神祭りをしたのはアカルヒメを引き継ぐ名乗りではないか? 神功皇后のアイデンティーは新羅の王族の血を引く誇りとアカルヒメの霊力を引き継ぐのは自分だという思いだとおもっています。
仁徳天皇と八十嶋祭り 仁徳と住吉なーんて誰も思わない 私もそうでした。ただ一つ。八十嶋祭りで海中に投ずる 百種の供物。これと同じように百種の供物を葉っぱにのせて仁徳の妃。磐のヒメが水辺で神事をしている。(浮気?を聞いて途中でほっぽりだして帰る 変な話) 『おしてるや』でこのことを思い出し。そういえば仁徳は神功皇后の孫。&仁徳の妙なところはあれほどの名君といわれながらどうーして女に振り回されるのか?妃に脅え。愛人に逃げられ。現在のところの学説では女の出自の族の強大な権力をしめすとされていますが。私はそれともうひとつ姫の持っている霊力を恐れていると。。それは海や水を収める霊力は姫が持っているのでは?仁徳政権の地盤に海神族の力がバックにあるのではないか?それは神功皇后が政権を得たのも海神族を束ねた力が原因でそれを仁徳が引き継いでいるのでは? 海神族の色彩の濃い八十嶋祭りの古形や意味も仁徳は知っているのではないか?という推測をもっています。 青草話ですいません。m(..)m
今もうひとつ気になっているのが三つの井戸です 聖武天皇が和歌浦でとりおこなった八十嶋祭りの古形 ここの近くに 三つの聖なる井戸を持つ 紀三井寺。上街台地で一番八十嶋祭りの候補として堀江の 石町(こくまち)に鎮座する坐摩神社(古社地)行宮に三つの聖なる井戸 この発想で城之越遺跡の湧水施設遺構の三つの湧水点に興味があるのです。西之辻が4つがちょっとショック!こういう遺構が3つの聖水井という論があればうれしいんだけど。。。
私の青草話は置いといて。。。
大三元さん 八十嶋祭り最大の謎????
坐摩(いがすり)という妙な神名の意は??
生井神 福井神 綱長井神 波比岐神 阿須波神
この5柱の神の名をどのように説かれますか?
御助言ください お願いいたします。
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[7945] Re[7940]: 丹生。湧水点(導水)祭祀遺跡。八十嶋祭り 大三元 |
2006/10/26(Thu) 16:39 [Reply] |
MADOKAさん
> 『おしてるや。。』でにわかに。いままで考えもしなかった仁徳と八十嶋祭り 仁徳と住吉。というのが私の中で浮上。仁徳は神功皇后の孫。
http://www.dai3gen.net/ositeru.htm で書いた下記はご覧になったのでしょうか。 「岡田精司著『古代王権の祭祀と神話』という本に「八十島祭り」の原形を推定して居られる箇所がある。原形、とは、八十島祭りを住吉神社が主催するようになる前の形のことだ。同書から引用する。 「そこで復元した結果では、海の彼方から太陽霊をむかえそれと一体となる形をとる族長就任儀礼であり、河内王朝が〈大王〉の地位を占める以前の、一地方族長にすぎぬ時代から行われてきたものである。・・・五世紀代には依然として大王家の私的な族長就任儀礼として、古来のままの形で太陽霊を浜辺で迎える祭りとして行われていたものと推定される。」」 ご覧になった上で「私の中で浮上」ということであれば、アイデアをご紹介ください。
> 仁徳の歌でもう一首 有名な『さくやこのはな。。。』がありますね。この歌の意はなんでしょうか???
古今和歌集の仮名序に見る王仁の作とされる歌 なにはづに さくやこの花 ふゆごもり いまははるべと さくやこのはな のことでしょうか。直裁的な読み方で違和感がありませんが、これに何か謎がある、とでもお考えなのでしょうか。
> どうしてかというと この歌の伝承地は尼崎にもあるんです。&尼崎の八十嶋祭りの伝承地(住友精密工場地)と重なるんです。周辺の祭神名も八十嶋祭りに関わる祭神名もほぼ全部周辺に存在する。
「歌の伝承地」ってのもクセモノ(?)ですよね。王仁さんが尼崎で詠んだ、ということになる(したい?)のか、単に時間経過とともに広がったモノか。「八十島祭」と「ナニハ」のセットがどこで考えられて、どのように「伝承」されたのか、ということで、例えば関東に出雲系神社が多いのは何故か、みたいなハナシじゃぁないのでしょうか。
> この歌にも八十嶋祭りの意味が隠されているのでは????お願いしますm(..)m
上記の通り直裁的に理解して違和感がありません。そりゃぁ、仁徳さんがなかなか即位しなかったので、やっと冬ごもりから花が咲きましたね、みたいな程度の隠喩を読みとることには抵抗はありませんが・・・ |
[7944] Re:[7940] 9l>導水施設遺構 大阪 西ノ辻遺跡 いこまかんなび |
2006/10/26(Thu) 14:39 [Reply] |
>八十嶋祭りの祭祀のヒントになるか・・ どうかわかりませんが、私がかかわった西ノ辻遺跡の導水施設遺構を参考に紹介します。
西ノ辻遺跡は、古くから生駒山西ろく(東大阪市西石切町・東山町)にある弥生時代中期末の遺跡としてよく知られていました。 昭和58〜59年に近鉄と阪神高速東大阪線と国道308号延伸工事に先立ち、現在の近鉄新石切駅東側(西石切町1丁目)の発掘調査を行ったところ、古墳時代中期後半(5世紀後半頃)の谷筋内に沿って、めずらしい導水施設遺構が発見されました。 少し長くなりますが、広く知られていないので、ご紹介いたします。
[西の辻遺跡の導水施設遺構] 遺跡の北東にある石切神社方面から西へ流下する縄文時代以降の谷が、約半分ほど埋まった浅い谷底にそって東西100nにわたって築造されていました。導水遺構としてほぼ全容が残るもので、谷の上流から次の遺構が連続して築かれ、当初は導水・水利遺構との考えもありましたが、現在では、御所市の南郷大東遺跡の導水遺構などや、八尾市の国史跡心合寺山古墳出土の導水施設形埴輪などとの関連も含め、橿原考古学研究所附属博物館の2003秋季特別展「カミよる水のまつり」や図録にも紹介されているように、巨大古墳を築いた各地の在地豪族の長や王が「導水遺構」から生成された浄水あるいは聖水を用いて行われた「水のカミへの祭祀場」だったと考えられています。ところで、西ノ辻遺跡の遺構の配置は、上流より 1 盾持人物埴輪2体を祀る(報告書では破砕)--頭部に山形の冠状装飾を付けている、高さ90cm 2 受水木樋(報告では水汲遺構(木樋)--谷水を分けて受水、長さ2m、幅40cm 3 板組暗渠遺構(溝の上に10本ほどの建築物の転用角材・板を架けたもの)--上部に盛り土が施され、橋を兼ねた谷水を区切るダム状の施設であったよう。ここは偶然にも東高野街道筋の真下にあたる 4 排水溝(報告書では導水溝)--谷の南斜面に沿って幅1.5〜2mの溝を長さ約50mに亘り設置し谷内の水を排水すると共に、溝上近くに太い木製配水管を取付けて、連続する石組浄水遺構への取水口としている。 5 石組浄水遺構(報告書では貯水池)--石組を施したプール状の大小4基を設け、それぞれ太い木管で連結している。上流側の2基は、一辺5〜6mの方形に近く、下流側の2基は、幅5m×長さ13mの長方形、木管は、長さ3.5〜5m、太さ20〜25cmほどの丸太材を半裁し割竹形に芯部を刳り抜いたもの、水の沈澱・浄化施設 6 祭祀建物跡(報告書では水汲場・覆屋としている)--石組浄水遺構から2本を連結した木管(長さ5.5m)をとおして、南北に長く直交して置かれた刳抜製の木製水槽(長さ2.2m、幅60cm、深さ20cm以上)へとつながり、清浄水を受けていた、水槽から少しあいた位置には板状の木製受樋、さらに長さ4.5mの木樋が続いていた。 こうした木樋の痕跡は、さらに西方下流まで続いていたようで、両側には2ヶ所に70cm間隔の柱根が残り、別の覆屋等の施設があった なお水槽の周辺から見つかった柱穴・柱根から1×7間の覆屋があったこと、水槽の北西側にはL字状に石列が施されていた。 7 出土した遺物--5世紀後半の須恵器壷・坏・高坏・甕・土師器壷・高坏・鋸歯形あるいは刀形に仕上げた板材なども出土、但し、占い用などの火燧臼などは出ていない。などの報告がされています。
私としては、この導水施設遺構というのは、聖水精製による水のカミ・治水に関わる祭祀というより、天皇の大嘗祭のように、地域の首長・王が、当時の大王の承認と保証を得て、地域の王となるための聖なる儀式の場ではなかったのだろうかと思ったりしています。
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[7943] 7942] Re[7940]: 丹生。湧水点(導水)祭祀遺跡。八十嶋祭り サン・グリーン MADOKA |
2006/10/25(Wed) 23:07 [Reply] |
サングリーンさんへ >山添村の縄文人、K氏に出会ったそうで良かった、良かった (*^_^*)
おかげさんで大歓待で てぐすね引いてまっててくれました。! 山添資料もどっさり!もらって。。 まだまだ 山添探索は続く。。 むこうのメンバーと良い形でかかわっていけそうなのがとってもうれしい! サンキュウ!
>{応神大王と河地王朝) 男帝はあんまり好きじゃないんだなあ。。いままでこのラインは避けてきたんだけど。。仁徳とくると応神か! 重い腰をあげつつあるところ どれかひとつ講演会は聞きにいこうかとわかんないけどね? そんときゃよるわ! 楽しみにしてます。 |
[7942] Re[7940]: 丹生。湧水点(導水)祭祀遺跡。八十嶋祭り サン・グリーン |
2006/10/25(Wed) 22:03 [Reply] |
山添村の縄文人、K氏に出会ったそうで良かった、良かった(*^_^*)
亡くなった小林美元先生のによると禊払いと熟語で書かれることが多いが(神奈備さまも書かれているように)本来ミソギとハラヒは全く別のものと教えて頂きました。
> ましてや邪をよける力とミソギとはどのような関係があるのでしょうか。
ミソギは心身の(病気治療も兼ねての顕界の)清め。ハラヒは(幽界の魔よけの)呪術。
> 『おしてるや。。』でにわかに。いままで考えもしなかった仁徳と八十嶋祭り 仁徳と住吉。というのが私の中で浮上。仁徳は神功皇后の孫。
22日に近つ飛鳥博物館で直木孝次郎先生(87歳)の講演会{応神大王と河地王朝)を拝聴してきましたが、最後に何と仁徳・応神同一論を唱えられて目からウロコでした(*^_^*)
ちかごろ河内王朝(4〜5世紀)の時代にどっぷりです。 美具久留御魂神社の鳥居の真ん中に二上山が来るのを発見!たぶん彼岸にはその間から太陽が昇る? とすると、その先は三輪=伊勢=富士山ということ? 難波の古代史の謎解明のために、近つ飛鳥の宮を探索中!
禊と病気治療の話聞いてほしいので、また家に遊びに来てね!
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[7941] Re[7940]:
丹生。湧水点(導水)祭祀遺跡。八十嶋祭り 神奈備 |
2006/10/25(Wed)
20:39 [Reply] |
>
にわか勉強中なんでなんとも。。。
それはこちらも同じ。 若干のうんちくを。出典は『雷神・龍神 思想と信仰』李均洋 明石書店。 禊ぎ・祓いの記載の初出。
『西京雑記』4世紀前半 三月上巳、九月重陽、士女遊戯、此に就いて祓いし禊ぎして高きに登る
『説文解字』祓いとは、悪を除く祭り也 『集韻』禊ぎは、悪を除く祭りなり。禊ぎは、上巳の祭名なり。
上巳は3月3日、陰が隠れ、陽が巳に出る。巳とは蛇。水であり生殖である。
女子が花薫る野や山に行楽するのは乞雨・通淫と不可分。相手の若者は蛇。農耕祭祀に生殖崇拝、性交の祭祀儀礼が残るのはこれ故。淫で雲雨を呼ぶ。日本では雛祭り。
中国での水辺の禊ぎ祓いは、古代人の自然崇拝、生殖崇拝、祖先崇拝の観念から出てきたもので、雲雨、水とに関わる。
日本の禊ぎは水濯ぎ。祓いは外部からの汚穢や病患の災厄をさける呪術儀礼。
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[7940] 丹生。湧水点(導水)祭祀遺跡。八十嶋祭り MADOKA |
2006/10/25(Wed) 16:22 [Reply] |
>よく判らない文意です。 ミソギとは基本的には水で清めると言うことです。丹生とミソギとの関係とは丹生とは水神であるとかミソギの神(例えば住吉三神)と言うことでしょうか。 ましてや邪をよける力とミソギとはどのような関係があるのでしょうか。
ふーんそうですねえ 邪をよける力は結界を作る力 かなあ ミソギ&ハラヒには結界を張るということが前提として最も重要。結界を保った状態でミソギ&ハラヒをすることで呪力が発揮される。とおもいますね。
山添村に行ってきましたが。妙に神社に板玉垣が多いなあとおもったです。そんなに行く先々で板玉垣って私初めての経験でした。山添村も古層は水神信仰なのかなあと。鍋倉渓の下の水が見えるとラッキーなんて話も。。。九頭龍神社もありました。
丹生に魔除けの力があると信じられたのは魔除け=結界を作る力かなと。。。 神殿や宮。鳥居の朱は丹生の邪除け信仰が根拠だと思っています 丹生の多い地質は聖なる空間と考えられたか? ていう感じですね。
にわか勉強中なんでなんとも。。。
埴輪より 湧水点祭祀遺跡がおもしろい!! 城之越遺跡 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/jyonokosi.html 導水施設遺構 大阪 西の辻遺跡
私はこれは 八十嶋祭りの祭祀のヒントになるか?とちょっとわくわく! 上記のさらに詳しい情報&ほかにあれば情報まってます!\(^0^)/
大三元さん >「今昔物語」ですね、自信なかったので確認に時間かかりました
助かりました!確かにあった&有名な話だったという記憶で青草でなく神奈備に書いたんで ちょっとドキドキだったんで! 先の文はおぼろげな記憶の私訳なんで本文をあじわいたいかたは 御紹介の >参考さいと: http://www.h2.dion.ne.jp/~vain/book/log/200308.html#04 の本で味わってください! 中世文学はおもしろい! 教科書に乗ってないのがおもしろいのよね***
&大三元サン 『おしてるや。。』でにわかに。いままで考えもしなかった仁徳と八十嶋祭り 仁徳と住吉。というのが私の中で浮上。仁徳は神功皇后の孫。 仁徳の歌でもう一首 有名な『さくやこのはな。。。』がありますね。この歌の意はなんでしょうか??? どうしてかというと この歌の伝承地は尼崎にもあるんです。&尼崎の八十嶋祭りの伝承地(住友精密工場地)と重なるんです。周辺の祭神名も八十嶋祭りに関わる祭神名もほぼ全部周辺に存在する。 この歌にも八十嶋祭りの意味が隠されているのでは????お願いしますm(..)m |
[7939] 邪馬台国は出雲を意味していた みんなで古代史を考える会 [Url]
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2006/10/25(Wed) 14:04 [Reply] |
邪馬台国や卑弥呼、日本国誕生など、わが国の古代史の謎を追い求めていたら、邪馬台国は出雲を意味していることに行き着きました。 今年の夏には、卑弥呼の墓にもたどり着きました。 みなさんは、どう思いますか。 |
[7937] Re[7931]: トイレ&丹生&ミソギ 神奈備 |
2006/10/22(Sun) 21:34 [Reply] |
> 丹生はミソギとの関係で考えたほうが良いとおもいます。丹生は邪をよける力があると古代人が考えていたことはいろんな例で明らかだと思います。古墳の中の大量の丹生も魔除けでしょう。口紅も体内に魔を入れない魔除けですしね。
よく判らない文意です。 ミソギとは基本的には水で清めると言うことです。丹生とミソギとの関係とは丹生とは水神であるとかミソギの神(例えば住吉三神)と言うことでしょうか。 ましてや邪をよける力とミソギとはどのような関係があるのでしょうか。 |
[7936] 閑話休題 おまる恋物語? MADOKA |
2006/10/22(Sun) 01:03 [Reply] |
とみたさん 導水施設の情報うまくまとめていただいてありがとうございます。私もにわか勉強で参考になりました。
>トルコのエーゲ海沿岸のエフェソスには紀元前のローマ時代の立派な公衆トイレがありますよ。
これは知らなかった!うっかり知ったかしゃべちゃうところでした。
お丸で。。中世文学?にこんな話。 ある貴族の男が女に恋をした。恋文を送ってもトウイ即妙。惚れて惚れて惚れこんだが今ひとつ色良い返事がない。男は恋焦がれて病気になった。このままでは恋焦がれて死んでしまう。どうしたらあの女のことを忘れられるか?必死で考えた男が思いついたのは。あんないい女でも糞尿はする!その糞尿を見たらきっとあの女が嫌いになり、あの女に対する執愛の幻から逃れられるに違いない!!そうだこれしかない!で、廊下で女のお丸を下げていく童女を待ち伏せ、お丸を奪い取った!あーこれであの女から逃れられるとお丸の中身を見ると。なんともいえずいい香りがする!何故?と意を決して中身をすすって飲んだ。尿と思ったのは美味なる出し汁。糞と見えたのは極上の香木であった!!! 女は男がそのようなことをするであろうとみこして、仕込んであった。そこまで読んで決して自分の醜くい恥ずかしいところを見せないなんて なんていい女なんだ! このあとさらに恋患いは悪化! 男は女を焦がれて死んだそうな。
これは 確かに存在する話なんですが出典と題名なんでしたっけ?? 御存じの方お教えください
世界初のストーカー物語か??・・
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[7935] Re[7931]: トイレ&丹生&ミソギ とみた |
2006/10/21(Sat) 12:50 [Reply] |
MADOKAさん 素人さん 舌好調ですね。
> >囲形埴輪の新展開
覆屋ですね。
古墳時代の導水施設派やはり正体が気になります。
南郷大東遺跡は祭壇と導水施設が出ています。これは古墳中期の5世紀の遺跡で南郷一帯は葛城氏の領域でしょうが朝鮮加羅渡来した工人(鉄鍛治や陶器造り?)や、その親方衆や、首長層の住まいが分かれてありました。
一般工人の労働者は、井戸池田地区。親方衆は柳原地区。首長層は北方の多田桧木本地区。
極楽寺ヒビキ遺跡には高殿があり祭祀を行う。南郷大東遺跡では導水施設があり山から水を引いて水辺の祭祀を行う。宮室山古墳は葛城襲津彦の墓という説もありヒビキ遺跡の高殿と同じ埴輪が出ています。
以上は橿原考研の先生の話です。
また古代トイレ考古学の話も紹介します。
奈良県御所市、南郷大東遺跡は集水施設・木樋・集水槽(容器)の組み合わせ
木樋、施設下流から寄生虫卵・食物残渣を検出しているそうです。
水祭祀遺構説・トイレ説、産屋説があるのは正に皆様の論戦中。
も一つ有名な導水施設は、桜井市纏向遺跡これは古墳時代前期の3世紀末。
水に関わる祭祀説が一番耳障りがいいですね。
武光誠さんは、豪族の飲み水を引く浄水道施設として4世紀初めのものとされています。溝を通ってきた水を集水枡にうけて集水枡についた二本の樋でそれを二箇所に送るものである。
木材の廃材を再利用して導水装置を作る工人がいたと踏み込んだ説をされています
>世界史で初めての公衆トイレは日本です!京の都。ベルサイユ宮殿にもトイレがなくって貴族は庭園で野糞。女性のドレスのパラシュウートはそのための目隠し。百年の恋も冷めそうな!
ロンドンあたりもオ丸を二階から放り投げていたらしい。 ベルサイユの話、尤もですね。沐浴もしなう貴族は体臭も強いので香水が発達したし、ドレスのパラシュートまでは想像できませんでした。タイムトンネルで当時の舞台に降り立ったら百年の恋も冷めますね。
トルコのエーゲ海沿岸のエフェソスには紀元前のローマ時代の立派な公衆トイレがありますよ。 > (有名な話です)日本の中世文学に出てくる貴族の生活ではお丸です。衛生観念は日本は古代からかなり発達してますから糞と聖の同居はあり得ないとおもう > > >桜井市教育委員会の萩原儀正さんは、この遺構が廃棄される過程で寄生虫卵が混入した可能性を指摘し、これはあくまで浄水を得る祭りの施設だと主張されています。 > > ありえないこともないとおもますが。やはりミソギ施設。丹生はミソギとの関係で考えたほうが良いとおもいます。丹生は邪をよける力があると古代人が考えていたことはいろんな例で明らかだと思います。古墳の中の大量の丹生も魔除けでしょう。口紅も体内に魔を入れない魔除けですしね。
朱・丹も仮面も魔よけには賛成。
禊説ね受け賜っておきます。
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[7934] Re[7927]: 住吉と導水施設型埴輪 神奈備 |
2006/10/21(Sat) 10:10 [Reply] |
> そういえば。昔。神奈備さんが巫女の舞?で床を踏みはずれ本殿床下に穴があったということをいってたような?(補足お願いします)
第二殿の床下には大きい穴があいており、巫女さんが深みに落下したとか。青草かも?
所で昨日20日の夜に大阪天満宮境内で浅野温子さんの古事記のお話の会がありました。1000人以上は集まっていたようです。某女性神職さんとご一緒させていただき、おかげで来賓席の最前列で見物できました。出雲大社の宮司さんや住吉大社の神職さんなど大阪の神職さん方が大勢こられていました。 お話は、古事記を素材とした物語でした。天稚彦と下照姫の悲恋の物語や、国譲りの物語が昨日のテーマでした。 浅野さんは流石に女優さんで、普段着のような姿でしたが、贅肉一つないようなスリムさを感じました。迫力のある声で演じていました大阪。天満宮の宮司さんは初回の伊勢神宮、二度目の出雲大社と追っかけをやったそうです。 |
[7933] 自己修正 MADOKA |
2006/10/21(Sat)
03:30 [Reply] |
『7931』
バッキンガム宮殿 は間違い! ベルサイユ宮殿でした!m(。。)m |
[7931] トイレ&丹生&ミソギ MADOKA |
2006/10/21(Sat)
01:47 [Reply] |
素人さん >囲形埴輪の新展開 http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-111.html
なるほどねえ 平城京に川に板を渡した水洗トイレがあったという話は聞いたことありますが。。(学術的にどこまで認められているかはしりませんが) この例を抜きにしても世界史で初めての公衆トイレは日本です!京の都。バッキンガム宮殿にもトイレがなくって貴族は庭園で野糞。女性のドレスのパラシュウートはそのための目隠し。百年の恋も冷めそうな! (有名な話です)日本の中世文学に出てくる貴族の生活ではお丸です。衛生観念は日本は古代からかなり発達してますから糞と聖の同居はあり得ないとおもう
>桜井市教育委員会の萩原儀正さんは、この遺構が廃棄される過程で寄生虫卵が混入した可能性を指摘し、これはあくまで浄水を得る祭りの施設だと主張されています。
私はこっちだと思う。なぜならば、トイレに邪を避ける板玉垣は不要だとおもうからです
ウブヤは結構おもしろかった ウブヤへの転用はあるかなあと思いましたね いい子が生まれそうじゃないですか!
>両遺跡ともに辰砂とは関係があります。都合のいいトンでも考えでは、糞尿を混ぜると比重分離がうまくいくので混ぜたなど夢想できます。
ありえないこともないとおもますが。やはりミソギ施設。丹生はミソギとの関係で考えたほうが良いとおもいます。丹生は邪をよける力があると古代人が考えていたことはいろんな例で明らかだと思います。古墳の中の大量の丹生も魔除けでしょう。口紅も体内に魔を入れない魔除けですしね。
チョロさん はじめまして ! >心合寺山古墳の水の祭祀場を表わした埴輪は、 八尾市立歴史民族資料館に展示されていました。
近頃博物館めぐりにこってるんで参考になりました! またチョロチョロ書いてくださいね^^ いろんな人の意見や情報があるほうが楽しい \(^0^)
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[7929] Re[7925]: Re[7924]囲み形埴輪の中
素人 |
2006/10/20(Fri)
23:11 [Reply] |
MADOKA さま > 古代祭祀を追う私としては!! >
ショック!ガーーーーン!! > これは! 新手の呪そか! > 糞ーーーーー!!! >
ガハッ(^0^) お騒がせして申し訳ありません。 ネタもとのWebをご紹介します。 囲形埴輪の新展開 http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai-111.html 色々とショックを弱めるべく、理由を考えられておられるようです。 *奈良県纏向(まきむく)遺跡 まきむくの駅の近くのようですから明日香の近くです。近くに音羽・多武峰などの大和水銀鉱山があります。 *南郷大東遺跡などの遺構
大阪府千早赤坂村千早鉱山(黒辰砂を伴い紅色の鉱染状)から4km位の場所が南郷大東遺跡です。 両遺跡ともに辰砂とは関係があります。都合のいいトンでも考えでは、糞尿を混ぜると比重分離がうまくいくので混ぜたなど夢想できます。方法は違いますが浮遊選鉱などでは色々なものを混ぜるようです。鉱物表面との親和性の調整用。 どうしても辰砂に都合の良い手前味噌の青草になってしまいます。 |
[7928] 無題 チョロ |
2006/10/20(Fri)
21:24 [Reply] |
ご無沙汰しております。 というより、ほぼ初めまして、だと思いますが、 少し参加させていただきます。
半年前まで住吉大社の近所に住んでおりましたので、 よく境内を通り抜けて散歩しておりました。 四殿は西向き、大阪湾に向いています。
心合寺山古墳の水の祭祀場を表わした埴輪は、 八尾市立歴史民族資料館に展示されていました。 (4年前に行って以来、行ってないので今はわかりませんが・・・) |
[7927] 住吉と導水施設型埴輪 MADOKA |
2006/10/20(Fri)
21:02 [Reply] |
いこまかんなびさんへ
>そんなショックは体に悪いです。便秘になりますよ。 いろんな祭祀遺物が見つかっていますし、わたしも水野さんの意見と同じです。 導水施設形埴輪、特に大阪八尾市心合寺山古墳出土例は、ほとんど住吉大社の神殿形式と同じです。何か臭ってきます。
そうなのよ!住吉大社HPより 下記 >「日本書記」や「古事記」の神代の巻での言い伝え 伊邪那岐命
(いざなぎのみこと) は、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命 (いざなみのみこと)
を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きますが、妻を連れて戻ってくるという望みを達することができず、逆に汚れを受けてしまいます。その汚れを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命
(そこつつのをのみこと) 、中筒男命 (なかつつのをのみこと) 、表筒男命 (うはつつのをのみこと)
が生まれました。
てことと符号するのよねえ!!! そういえば。昔。神奈備さんが巫女の舞?で床を踏みはずれ本殿床下に穴があったということをいってたような?(補足お願いします) この穴が導水施設の痕跡なら納得なのよねえ! 住吉立列四殿がミソギ施設四殿で流れるように大阪湾に向いてるとしたら!?これはー導水施設の本殿化?&八十嶋祭りでの住吉の神の役割とぴったしカンカンなんよねえ! 私もミソギ効果?で快調よ\(^0^)/ |
[7926] 導水施設の遺構は排便施設か?
いこまかんなび |
2006/10/20(Fri)
19:10 [Reply] |
ひさびさ横から失礼します。 MADOKAさん >ショック!ガーーーーン!!
そんなショックは体に悪いです。便秘になりますよ。 いろんな祭祀遺物が見つかっていますし、わたしも水野さんの意見と同じです。 導水施設形埴輪、特に大阪八尾市心合寺山古墳出土例は、ほとんど住吉大社の神殿形式と同じです。何か臭ってきます。 |
[7925] Re[7924]囲み形埴輪の中 MADOKA |
2006/10/20(Fri) 03:26 [Reply] |
素人さんへ >発掘の分析によるとこの施設で排便された形跡がありトイレではないかとの記述もあります。
古代祭祀を追う私としては!! ショック!ガーーーーン!! これは! 新手の呪そか! 糞ーーーーー!!! ガハッ(^0^) |
[7924] Re[7921]: Re[7918] 囲み形埴輪の中 素人 |
2006/10/20(Fri) 03:04 [Reply] |
MADOKA さま > 導水施設形埴輪です > 水野さんの話ではこれはミソギ小屋だそうです 早速のご回答感謝したします。 私もはじめそう思っていたのですが、奈良でも3世紀と5世紀の本物の導水施設が発掘されているようなのです。発掘の分析によるとこの施設で排便された形跡がありトイレではないかとの記述もあります。まさか、ミソギ小屋などの清浄な聖域では後世でも汚されることはないのではと考えた次第です。比重選鉱などの作業場であれば聖域では有りませんので汚されることも有りかなと考えました。 青草でした。 話は違いますが、酒船石も筏に吊り下げられて運河を運ばれたのでしょうか。 岩運びに大きな運河を作らされたのでは頭にきたかもしれないと夢想します。 |
[7923] Re[7922][7921]: Re[7918] 囲み形埴輪の中 素人 |
2006/10/20(Fri) 02:42 [Reply] |
神奈備さま > 大正デモクラシーの熱気の中、1927年7月、今度は春日神社から屑神社への神社名の改変が行われた。開き直りと誇りを持った屑! > http://kamnavi.jp/as/uda/uresi.htm あまり関係のないことで恐縮です。 屑神社のお隣の本郷地区には水銀鉱床があります。大和水銀鉱床の真ん中あたりのようです。東に5km位の所に小松(神生)鉱山がありますが、この鉱山の水銀は、奈良の春日大社などの神殿の朱塗りの塗料に使われたとありますが、何か関係有るでしょうか。 なんでも水銀に結び付けてしまう素人でした。
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[7922] Re[7921]: Re[7918] 囲み形埴輪の中 神奈備 |
2006/10/19(Thu) 19:14 [Reply] |
> 半分しか?わかってませんが九頭の説明ではビコーンものですよ! 目から鱗でした
あの説明を面白い!との発想は遊び心を持つ人種。大切にしたい青草精神。
> 本来くずとは尊い名前なのでは?
大正デモクラシーの熱気の中、1927年7月、今度は春日神社から屑神社への神社名の改変が行われた。開き直りと誇りを持った屑! http://kamnavi.jp/as/uda/uresi.htm |
[7920] Re[7919][7916][7914][7911][7910][7908]: 天竜川ほか 外輪山 |
2006/10/18(Wed) 20:04 [Reply] |
> [7911] > また、「日本古代史とアイヌ語」のホームページでは雷を意味するアイヌ語が遠淡海トホトウミ(トムトムフミ)とは(光り・光り・鳴る)という意味であると > 乗っています。 > > これの正しい日本語を示して下さい。 > それから引用のホームページのアドレスをお示し下さい。 こちらです。↓ http://www.dai3gen.net/arare.htm
参考になれば幸いです。
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[7919] Re[7916][7914][7911][7910][7908]: 天竜川ほか 神奈備 |
2006/10/18(Wed) 09:02 [Reply] |
[7911] > また、「日本古代史とアイヌ語」のホームページでは雷を意味するアイヌ語が遠淡海トホトウミ(トムトムフミ)とは(光り・光り・鳴る)という意味であると 乗っています。
これの正しい日本語を示して下さい。 それから引用のホームページのアドレスをお示し下さい。
> ミカズチでも雷を表しているとは考えられないでしょうか。
タケミカヅチを建御雷と漢字にしているのは意味が一致している例だということですね。
> はどの程度のものなんでしょうか? > どうなんでしょう。 > 読めませんか? お答えするのは遠慮します。
> 面白くありませんか。 面白いかも知れませんが、単なる無理筋では。
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[7918] 囲み形埴輪の中 素人 |
2006/10/18(Wed) 01:27 [Reply] |
神奈備さま > 市毛勳さんの『朱の考古学』にも出ていましたね。寡聞ですが、その後、その説を支持する話は出てきていないように思います。 > 更に、下に亀石が発見されて、酒船石も水にからむ祭祀の一画ではなかったかと思っています。 > 早速の書き込みありがとうございます。 ご意見のとおりと思いますが、酒船石の詳細図を見ますと微妙に流下する角度が調整されていたり両側に中央水路の流量を安定させるバイパスが設けられていたり非常に高度な技術が用いられているように見えましたので中国あたりから来た技術ではと考えた次第です。お役御免となって高台に祭り上げられたのではと夢想したしだいです。 酒船石の詳細図 http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/stone/005_saka/09.gif 良くご存知と思いますが、埴輪に囲み形埴輪と言うのがあります。 これの囲みの中に有るのが構造は簡単ですが、基本原理は酒船石と同じものでこれこそ鉱石を粉砕して比重分離するものではないかと思った次第です。極端な例ですが、砂鉄などもトヨを流して砂鉄を分離していました。また、金なども鉱石を粉砕して泥水状にしてトヨを流して比重分離していたようです。 三重・宝塚古墳からも囲み形埴輪が出ています。宝塚古墳から伊勢水銀の丹生まで直線で10kmと離れていません。 宝塚古墳 囲み形埴輪の写真 http://inoues.net/ruins/idogata_haniwa.jpg http://inoues.net/ruins/mie_takaraduka.htm トイレという話も有りますが、ちょっと違うように思います。 手前味噌な青草でした。 |
[7917] Reはじめまして MADOKA |
2006/10/18(Wed) 00:20 [Reply] |
りゅうのすけさん はじめまして >学生時代上代文学・日本神話を専攻しておりました
こういう方面の投稿も興味あるところですね。 よろしく!(青草掲示板もね!) \(^0^)/ |
[7916] Re[7914][7911][7910][7908]: 天竜川ほか 外輪山 |
2006/10/17(Tue) 21:38 [Reply] |
> > 古代史に興味を持ってまだ一週間ほどです。 > > 一週間でこれだけの疑問を持たれたとは凄いですね。
いや、高校時代に日本史と世界史の授業を受けていて、世界史が客観的なのに対して 日本史は主観的な表現がされている、言い換えれば編者の意図によってどんな内容にも なることに気がついていたので、「ホントかな」という気持ちで読んでいるのが 「なんで?」という疑問をもつことが多いことに繋がっているのかもしれません。
> > 建御雷之男神の名前は「建てる+遠淡海+男神」 > > タケミカヅチの漢字表記は幾つかあります。例えば武甕槌神、建御賀豆智神。 この場合には遠淡海につながりません。漢字表記はあくまでも便宜的なもので、音だけが資料として意味があると考えています。
雷は(カミナリ・イナズマ・イカズチ)と表現します。 漢字の訓読みは縄文語、アイヌ語等をあらわし、音読みは中国読み、朝鮮読みを表しており 意味は同じにしてあるような気がします。 なので、ミカズチでも雷を表しているとは考えられないでしょうか。
古事記や日本書紀を教科書と考えれられないでしょうか。 百済が663年に白村江の戦いで負け、高句麗も668年というほぼ同時期に滅亡しています。 この二ヶ国の上層部のエリートはそのまま残れば責任を問われて殺される可能性が高い ため亡命しようするでしょう。そしてその亡命先として日本に来たのではないでしょうか。 古事記が712年、日本書紀が720年に成立していることになっています。 朝鮮半島からの移民の子を日本人化する教育に使用するために作られたのではないかと 思うんですが、どうなんでしょう。
また、オオタタネコの編纂というホツマツタエの信憑性はどの程度のものなんでしょうか? > > 大己貴命はその後伊勢神宮で祭られています。大己貴命の別命はアシ神様です。 > > 上記は小生には初耳です。 この件については、私が読んだものを鵜呑みにして間違えたかもしれません。 元伊勢神社のかみさまがアシ神様と呼ばれている…という情報を鵜呑みにしたためと 判りました。すみませんm(_ _)m
奴奈宜波姫 愚問かもしれませんが、仮に須賀の国のお姫様だとした場合、掛川の出身ということに なります。掛川周辺に居住する人名で、静岡に固有の名前として名波があります。 ジュビロ磐田の名波選手などは代表的です。 奴奈宜波姫は(ナナギミ姫)とは読めませんか? 「ナナギミ→ナナミ」だったら面白くありませんか。 |
[7915] Re[7912][7907][7905]: イワクラフォーラム補足???? 神奈備 |
2006/10/17(Tue) 17:35 [Reply] |
> 「辰砂(水銀朱)を製造したとする説。」が有る
市毛勳さんの『朱の考古学』にも出ていましたね。寡聞ですが、その後、その説を支持する話は出てきていないように思います。 更に、下に亀石が発見されて、酒船石も水にからむ祭祀の一画ではなかったかと思っています。
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[7914] Re[7911][7910][7908]: 天竜川ほか 神奈備 |
2006/10/17(Tue) 17:34 [Reply] |
> 古代史に興味を持ってまだ一週間ほどです。
一週間でこれだけの疑問を持たれたとは凄いですね。
> 建御雷之男神の名前は「建てる+遠淡海+男神」
タケミカヅチの漢字表記は幾つかあります。例えば武甕槌神、建御賀豆智神。 この場合には遠淡海につながりません。漢字表記はあくまでも便宜的なもので、音だけが資料として意味があると考えています。
> 大己貴命はその後伊勢神宮で祭られています。大己貴命の別命はアシ神様です。
上記は小生には初耳です。 |
[7913] Re[7911][7910][7908]: 天竜川ほか りゅうのすけ |
2006/10/17(Tue) 12:00 [Reply] |
はじめまして外輪山様 > また、豊葦原はトヨハシ(豊橋)と無関係でしょうか。
豊川にかかる豊橋(とよばし)が地名の由来と地元では言っていますが・・・ |
[7912] Re[7907][7905]: イワクラフォーラム補足???? 素人 |
2006/10/17(Tue) 01:34 [Reply] |
神奈備さま> > 飛鳥坐神社の元社かも知れない酒船石は丘の上にある謎の石として名を馳せています。近年、その丘の北川の下に亀形石槽が発見された。また酒船石の丘は人工の丘で、天理砂岩が積み上げられているとのこと。この丘を石上山と称したのではないか、との見解が和田翠氏は岩波新書『飛鳥』で述べています。 > 酒船石と書かれていましたので、書き込みをしたくなってしまいました。 「辰砂(水銀朱)を製造したとする説。」が有ることを最近知ったためです。 都合のいい説ですので興味が有ります。 (臼で粉砕して比重差で分離か。) 黒辰砂と辰砂を比重差で分離したかもしれない。より赤い水銀朱を求めてか。 HgS 辰砂 赤 六方晶系 比重8.10 HgS 黒 無晶 比重7.67 両方とも比重が非常に大きいですが、比重差が小さいので品質の良くない原鉱では大変だったのではと思います。古代だけだと思いますが。 あまり夢の無い、人気のない説ですが近くに水銀鉱床がありますのでつい考えてしまいます。 それから石上神宮と辰砂は関係あるのでしょうか。 いつもの青草でした。 |
[7911] Re[7910][7908]: 天竜川ほか 外輪山 |
2006/10/16(Mon) 22:28 [Reply] |
あらかじめ申し訳をいいますと、古代史に興味を持ってまだ一週間ほどです。 なので、いろんな本やホムペで書いてあったことを自分なりに「有りえるか」どうか 確認して、どう思いますか?と問うてみたかったのです。
> > この葦原の中津国は今の浜松市の東の遠州森町にある小国神社の周辺にあった > > 国ということでしょうか。 > > 何故、このような疑問だ出てくるのでしょうか? > まず出雲の国は今の鳥取、島根県のあたりという古代史の常識がウソじゃないのかと 思って考えてみてください。 葦原中国平定は建御雷之男神が中心となって行っております。 古事記では別名を建布都神、豊布都神としています。 浜松には「伊場遺跡」という縄文時代から室町時代までにおよぶ複合遺跡があります。 そこから出土した木管により古代遠江国敷智郡の郡衙が有ったのではと考えられて います。また、「日本古代史とアイヌ語」のホームページでは雷を意味するアイヌ語が 遠淡海トホトウミ(トムトムフミ)とは(光り・光り・鳴る)という意味であると 乗っています。これが仮に正しいとすると、建御雷之男神の名前は「建てる+遠淡海+男神」 と分解できます。したがって遠江国を建国した男の王様という意味なのではないでしょうか。
また、建御雷之男神は天鳥船神と共に攻めて来ています。 天鳥船神は「天の(天皇家の)+鳥(鳥羽の)+船神(水軍)」と分解できないでしょうか。 伊勢から遠江までは船ならすぐの距離です。有りえると思います。 大己貴命の子に建御名方神がいます。 建御名方神は「建てる+御名方(三方)+神」と分解できないでしょうか。 浜松には徳川対武田の合戦が行われた三方が原という台地があります。 三方が原の東縁段丘上には南北に長く古墳が連なります。 その中にある積み石で築かれた古墳の名称が「二本ヶ谷積石塚古墳」といいます。 特殊なつくりであるため渡来人の古墳ではと言われています。 また、建御名方神は科野国の州羽(諏訪)に遠征しています。 浜松から諏訪までは天竜川沿いに北上すればいけます。
> > だとすると、天竜川(奈良時代の名称:麁御魂川[あらみたまがわ])こそが、 > > ヤマタノオロチではないでしょうか。 > > 同じく、何故このような疑問が出てくるのでしょうか? >
最初に毎年ヤマタノオロチが暴れて困るという設定にこれは三国志の 饅頭のいわれとなった河治めの儀式に似ていると思ったのがヒントになっています。 孔明は人間の代わりに肉まんと酒を河に流して静まるように祈祷した、そうです。 父王である大己貴命は少名毘古那神と共に国を作ったことになっています。 少名毘古那神は蛾の皮(蚕の糸から作った服)を着ていたそうですから、 渡来人であろうと思います。 渡来人が天竜川の砂鉄や硫化鉄から武器を作り、上流には鉄鉱石が取れるはずと 先程の建御名方神の諏訪遠征になったとは考えられないでしょうか。
大己貴命はその後伊勢神宮で祭られています。大己貴命の別命はアシ神様です。 また、豊葦原はトヨハシ(豊橋)と無関係でしょうか。
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[7910] Re[7908]: 天竜川ほか 神奈備 |
2006/10/16(Mon) 16:57 [Reply] |
> この葦原の中津国は今の浜松市の東の遠州森町にある小国神社の周辺にあった > 国ということでしょうか。
何故、このような疑問だ出てくるのでしょうか?
> だとすると、天竜川(奈良時代の名称:麁御魂川[あらみたまがわ])こそが、 > ヤマタノオロチではないでしょうか。
同じく、何故このような疑問が出てくるのでしょうか?
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[7909] Re天竜川ほか MADOKA |
2006/10/16(Mon) 11:08 [Reply] |
外輪山さん はじめまして! 興味ぶかく 拝読しました 天竜川付近にこんな地名があるのですね。知りませんでした。 天竜川は付近はヒスイのこととオオナムチの件で興味を持っています。ただまだまだ私は未調査です。
>大己貴命の母は稲田姫 この意味がわからないのですが 根拠はなんなのでしょうか??? |
[7908] 天竜川ほか 外輪山 |
2006/10/15(Sun) 20:42 [Reply] |
色々本やホームページを読ませていただいている内に積もり積もった疑問について お教え願えればと思い書き込みさせていただきます。
葦原の中津国を治めていた大己貴命は国譲りをしたとなっています。 この葦原の中津国は今の浜松市の東の遠州森町にある小国神社の周辺にあった 国ということでしょうか。 だとすると、天竜川(奈良時代の名称:麁御魂川[あらみたまがわ])こそが、 ヤマタノオロチではないでしょうか。 天竜川では今でも砂鉄がとれ、タタラ製法で葦等の水生植物の根に貯まった 水酸化鉄から鋼が作れていたのではないでしょうか? それゆえ、ヤマタノオロチの体内から草薙の剣が出てくるという神話に つながっているのではないでしょうか。
稲の国 大己貴命の母は稲田姫だそうです。浜松市には引佐(いなさ)という地名がありまして これが「伊那佐の小浜」に該当するようです。 また天竜川に長野県に入ると伊奈地方がありますし、岐阜県には伊奈波神社があります。 古代に稲作をする国があったのではないでしょうか。国造にも穂の国というのが 出てきますが、何か関係するのかもしれません。 また、これは蛇足ですが、「漢委奴國王」は「漢のイナの国王」と読めませんか?
奴奈宜波姫 越の国の出身。とされているので、尾張や伊勢の出身ではないと思います。 古代から日本には、隣国から不戦協定を結んだ証に姫を貰う風習があります。 とすると稲の国ではなく、東側の国から貰ったと考えるのが普通です。 国を征服した後、須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して須賀の地に 宮(国)を作った後、足名椎[八重言代主神]を呼んで、その宮の長となることを命じ、 稲田宮主須賀八耳(いなだのみやぬしのやつみみ)と名付けた。 ということを間に受けると須賀の国から母が来ていたため、その子である八重言代主神を 封じたということでしょうか? |
[7907] Re[7905]: イワクラフォーラム補足???? 神奈備 |
2006/10/15(Sun) 13:32 [Reply] |
> 神奈備さんはインカ顔ですわ!!どうも先祖帰りされてるようです。
皆さん、インカとは親戚なんですよ。
飛鳥坐神社の元社かも知れない酒船石は丘の上にある謎の石として名を馳せています。近年、その丘の北川の下に亀形石槽が発見された。また酒船石の丘は人工の丘で、天理砂岩が積み上げられているとのこと。この丘を石上山と称したのではないか、との見解が和田翠氏は岩波新書『飛鳥』で述べています。
それは石上の石を積み上げた丘だから。
以前狂心の渠を探して亀石付近から香具山の西の方面まで探索したことがあります。その時の印象では、田の中に水路が続いており、その幅が水路にしては異様に広いと感じた場所もあり、名残ではなかろうかと思いました。 |
[7905] イワクラフォーラム補足???? MADOKA |
2006/10/14(Sat) 20:51 [Reply] |
なーんか ペルーから帰った神奈備さん投稿の仕方が変わったようで?人格変貌??皆びっくらしてるんじゃないでしょうか??帰国後。日に焼けた神奈備さんアッペルー人!いままで気づかなかったんですが神奈備さんはインカ顔ですわ!!どうも先祖帰りされてるようです。。和歌山は外洋性。天の浮宝の発信元への旅?
千田 稔氏 斎明天皇の狂心のみぞ 酒船石周辺から石垣 天理砂岩=石上神宮近くの平尾山麓の石。狂心のみぞは全部が運河ではなく中の川。米川。寺川。をつなぎ布留川北流 石上までをつないだという想定ルート。
石上神宮 桃尾の滝と深いかかわりがありその上流は大国見山=山中に巨石信仰の痕跡で有名。 天理砂岩を平尾山からわざわざ持ってきたのは、大国見山の巨石信仰圏が大きく関わっているのではないか?
女性の名前と石 石長比売 任徳皇后 磐之媛 敏達皇后 石姫 |
[7904] イワクラフォーラム2006の報告 神奈備 |
2006/10/13(Fri) 20:43 [Reply] |
10月7日 時差ボケで拝聴、MADOKAさんが後ろで聴かれておられました。補足をお願いいたします。
渡辺豊和会長の挨拶
磐の側におれば何かを感じる。 地球の裏側の声が聞こえる。 御利益があった。見も知らぬトルコ人から建築の注文があった。
須田郡司氏 写真家 日本石巡礼を3年前から 石の上にも三年だそうな。 ウタキ、石、磐、洞穴などの聖なる場所にひかれた。 人間が持っている石に対する思いは共通している。
バランシングストーン ジンバブエ ゆるぎ石 岡山県赤磐市 写真掲示板でごらんください。
二見岩 伊勢 夫婦岩 福岡県志摩町 々 山形県遊佐町
立神岩 鹿児島県枕崎 カムイ岩 北海道積丹町
その他神社の石 忌部神社の石柱 徳島県山川町 乳呑神社 北海道静内町 石の塔 青森県大鰐町 巖龍神社 岩手県遠野市 神在神社 福岡県前原市
石には意志があり、人間を見ている。日本と世界をつなぐ見えない力がある。
鎌田東二氏 神道ソングライター
磐、石は語るか? 縄文遺跡から石笛が出た。 アイルランドのアラン島の海岸で「僕を見て」との声が聞こえた。石笛があった。
語問いし磐根、樹立、草の垣葉 石根、木立、等 事問いて荒ぶる国なり 出雲国造神賀詞 に見えように、小さな神々が声をあげていた。すなわち自然の声を聞き取り、暮らしの中心をなしていた時代があった。大和王権や大国主がこれらを平定した。
天の岩戸の象徴性 岩戸内は、一種の胎内・子宮? 死と再生の変容の空間? 岩戸は、あの世とこの世の境界点? イザナミ神話における、黄泉比良坂魂の境界をなす「千引岩=道反大神=塞坐黄泉戸大神」
磐・石と意識の変容 沖の島祭祀とイワクラ 岩上、岩陰、露天、社殿 三輪山祭祀とイワクラ 湯殿山信仰と御神体=御宝前 天河大弁財天とイワクラ ゲーテの「花崗岩」について
三輪山と大物主神伝承 三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でひときわ形の整った円錐形のなだらかな「神奈備」山で、縄文、弥生時代から自然崇拝の対象だったと考えられる。
古来より神の鎮まる山として、『古事記』や『日本書記』には、「御諸山」、「美和山」、「三諸岳」と記され、大物主の鎮まる神体山として信仰され、三諸の神奈備と称されている。記紀神話には三輪山伝説として、「大物主神」の不思議な伝説が記されている。
高さ467m、周囲16km、南は初瀬河、北は巻向川の二つの川によって区切られ、その面積はおよそ360ヘクタール。
山内の一本一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われている。
延喜式で大神大物主神社と「大」が二つ重なっている。珍しい神社。
聖地・霊場の特性
魂を飛ばす場所(異界・他界への境界) 魂をつなぐ場所 魂を浄化する場所(祈り・修行) 魂を強化し活性化する場所 タマフリ・タマシヅメ・行の場所 そして、宇宙的調和と神話的時間を感じ取る処
結論 本質的調和への希求
われわれには、本質的な調和ともいうべきものについての意識と希求があるらしいのだ。
われわれはみな、本質的に大地のことを身体で知っていて、この天与の智恵を表現するゆとりさえ与えられれば、この惑星上でも、とりわけ調和がとれている場所の方へと、苦もなく、しかも抗いがたく、ながれていくものらしい。そういうところでこそ、心安らかにくつろぎ、眠ることができる。そこでこそ、思うままに夢を見、より偉大なるものに連なる喜びを味わうことができる。
千田稔氏
石に対する宗教的心性
ちはやぶる神の社なかりせば春日の野辺に粟蒔かましを ちはやぶる=千磐破 すなわち、神>磐
皆人の命もわれもみ吉野の瀧の常磐の常ならぬかも 常磐=永遠にしっかりと同一の形状を保つ岩
河上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常處女にて つゆ岩群=霊力に満ちた岩群
神さぶる磐根こごしきみ吉野の水分山をみればかなしも 磐=神々しいみおの。なぜ磐が神々しいのか?
岩畳かしこき山と知りつつもわれは恋ふるか同等(なみ)ならなくに 磐=畏敬すべき存在
話を変えて 石上神宮 神宮とは天皇家の祖先を祭る神社
垂仁紀に、菟砥川上宮で剣一千口を作り、忍坂邑に納めてから石上神宮に納めた。忍坂邑は息長氏の拠点
天武天皇3年、忍壁皇子を石上神宮に派遣、神宝を磨かせた。 忍壁皇子は息長系
安康天皇は石上の穴穂の宮、石上神宮は息長系天皇の宮ではなかったか。
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[7903] Re[7902]: 鹿児島の武人 nick [Url]
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2006/10/13(Fri) 20:35 [Reply] |
> 薩摩隼人のイメージかな。 > 薩摩で見かけたような感じか・・
お疲れでしょう。あちらで十五夜を拝見されるのかと。。。 5世紀と言うと「熊襲」と呼称されていた世代でしょうか。 太平洋岸には巨大古墳群もありますが、当地隼人地方はさっぱりです。 ま、あったようですが、開発の藻屑で。 国分寺址にしてもしかり。。ですから。
来週、その古墳のひとつ「西都原」に父と出かけます。 コスモスも五分咲きとか愉しみです。 |
[7901] Re[7900]: 体内脂肪 恋川亭 |
2006/10/13(Fri) 00:42 [Reply] |
まだまだ、ま〜だまだ、ま〜だま〜だ、ひたすら挫けず、まだまだ・・・ と、体内脂肪はのたまわいておられまする。 (のたまわく、ぐらいは変換せんかい!と思いますが、外注ではいかんとも) |
[7900] 体内脂肪 神奈備 |
2006/10/12(Thu)
09:16 [Reply] |
最近体内脂肪対策として早起きをして中之島辺りを散策しています。三日坊主は過ぎて五日続いています。 そこで改めて気づいたことですが、ビルの多いこと以上に雲も出ていることもあり、太陽のでてくる姿をなかなか見ることが出来ず、また見えても日の出の場所の変化がわずかで、短期的には動いていないように見えます。 ところが、月ですが、満月を過ぎてから一日一日どんどん形が変わり、かつ場所が変わり、実に賑やかな姿を示しています。狸囃子が聞こえてきそうです。土佐堀川の流れも月の場所で水が引いたりしています。
暦を月をベースに作成して、年単位あたりの大きい所は日を使う、古代人の知恵、海人の知恵、よく分かる感じがいたします。
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[7899] 催しのお知らせ 神奈備 |
2006/10/11(Wed)
08:47 [Reply] |
不思議曼荼羅の会 ミクシィ不思議曼荼羅コミュニティーの管理人 与乃登が主催する不思議話の会・第一回 ------------------------------------------------------◆◆ 今回は豪華ゲストをお呼びして、不思議話を語ります。 ------------------------------------------------------◆◆ 第一部 与乃登の不思議話 異界の話や妖怪・不思議な体験談など盛りだくさんにお話し 致します。 第二部 落語家・笑福亭純瓶さんの不思議話 奈良・京都の妖怪話イベントで人気の落語家さん。 今回の出し物はどんな話になるのか、当日のお楽しみです。 第三部 知る人ぞ知る異界通の作家・月海黄樹さんに特別参加して頂き まして3人で不思議について語り合います。 ------------------------------------------------------◆◆ 日 時 :2006年10月18日(水) 6時30分会場・7時開演、9時閉館 場 所 :菅南福祉会館 大阪市北区天神橋1-3-3 06-6357-7200 (地下鉄南森町駅南へ徒歩6分・天神橋北詰) http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=Air&nl=34/41/21.242&el=135/30/53.284&scl=25000&coco=34/41/21.242,135/30/53.284
参加費 :¥2000円(ワンドリンク付き) (フード持ち込み可) 定 員 :30名 主催者 :不思議曼荼羅の会 天源和方内担当:与乃登 TEL.
06-4800-6151 yonoto@yonoto.com *メールでお申し込みされる場合は、来られる方の お名前と連絡先電話番号かメールアドレスを記載 してください。 二次会:近所のカフェバー「無花果」にて二次会を行います。 06-6355-7626
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[7897] Re[7895][7892][7891]: 酔眼酔眠 素人 |
2006/10/11(Wed) 01:59 [Reply] |
恋川亭さま > 気象庁にお問い合わせいただくか、明石にある兵庫県立図書館にご相談されてはいかがでしょうか?また、神戸〜姫路付近の地域誌は『神戸新聞社』です。 > お力になれず、ごめんなさい。 早速のご回答ありがとうございました。 『神戸新聞社』のデータはクスノキの情報検索で利用しておりました。細かい検索ができるかは解りませんが探してみることにいたします。 神戸大学 電子図書館システム で探せたように思います。 大変に助かりました。 |
[7896] Re[7893]: 古代中国の遺跡巡り 恋川亭 |
2006/10/11(Wed) 01:49 [Reply] |
> おっしゃる通りです。播磨で大歳は200社以上。全国の約半分。 > 神戸市須磨区白川字宮ノ西373に大歳神社が鎮座、その境内に葛木御歳社が鎮座。これが唯一に近い御歳神社。
西神戸有料道路の尽きる「車」の交差点から白川峠方面に右折して布施畑へ向う途中、白川小学校を過ぎて「白川」バス亭あたりの右の脇道に入った神社かな?参拝したことはありませんが・・・ローカル過ぎる話しで失礼しました。 |
[7895] Re[7892][7891]: 酔眼酔眠 恋川亭 |
2006/10/11(Wed) 01:32 [Reply] |
素人さん すみません、残念ながら姫路を詳しくありません。わが神戸から西へ、明石→加古川→姫路とたどる近郊の町なので時々立寄ります。鳥取方面などに行く場合は、ここで特急『スーパーはくと』に乗り換えたりします。姫路といえば銘菓『桜小径』ですよね、ロトさん。
> 気象庁の公式記録で姫路で火の玉(球電)が観測されたと有るのですが、姫路をよくご存知でしたら何かご存知で無いでしょうか。 > 「姫路で球電(1965年)3月18日」
さあ?その頃はまだ生まれていないので・・・ウソウソウソヨン。 気象庁にお問い合わせいただくか、明石にある兵庫県立図書館にご相談されてはいかがでしょうか?また、神戸〜姫路付近の地域誌は『神戸新聞社』です。 お力になれず、ごめんなさい。 |
[7894] はじめまして りゅうのすけ |
2006/10/10(Tue) 23:26 [Reply] |
式内社を検索していてたどり着きました。りゅうのすけと申します。学生時代上代文学・日本神話を専攻しておりましたが、最近の研究動向などには全く不案内です。 松前健先生のゼミ生だったため、神社・信仰の起源などに非常に興味があります。 こちらで様々な勉強をさせていただきたく、よろしくお願いいたします。
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[7893] Re[7890][7889][7888][7887]: 古代中国の遺跡巡り 神奈備 |
2006/10/10(Tue) 10:39 [Reply] |
> 兵主神社は始皇帝が泰山で祀った8神の一つで軍神です。
始皇帝が封禅の星祭を再興した際の瑯邪八神とは兵主・地主・天主・日主・月主・陽主・陰主・四時主の八神で、これらを八方位に祭祀したと言います。 確かに兵主神の名は西日本各地に残り、秦氏の分布と重なるようです。ではそれ以外の神々はどうなったのでしょうか。 地主神は高知に30社を数えるほか、全国的に分布しています。この地主神が瑯邪八神の一つの神なのかこの国土着の土地の神なのか、定かではありません。祭神としましては大地主神、大土神、大己貴命など。 それ以外の天主・日主・月主・陽主・陰主・四時主の神々の名をストレートに出した神社や神名は見あたりません。 2003.2.19に当掲示板に男爵@中央大学さんが京都の神社を幾つか瑯邪八神に割り当てた論考を投稿いただいております。これをまとめますと以下の通り。 兵主 若王子神社(京都市左京区若王子町) 地主 清水寺内の地主神社 日主 日枝神社(比叡山) 月主 葛野坐月読神社 天主 平野神社の天主神座 妥当な説なのかどうか、各位、ご検討下さいね。
> 或いは、秦始皇帝の万里長城造営に狩り出された民が余りの過酷な労働に耐えかねて朝鮮や日本へ山東半島から逃げてきたのではと言うような、少し怪しげなことを考えてみたりしております。
辰韓は半島とは言葉が違っていたようで、秦からの亡命者の国だったのかも知れません。
> さて播磨(姫路のあたり)・・・、神戸市の須磨区から西の方になると、『大歳神社』をよく見かけるのですが、『御歳神社』はあまり・・・ないのです。
おっしゃる通りです。播磨で大歳は200社以上。全国の約半分。 神戸市須磨区白川字宮ノ西373に大歳神社が鎮座、その境内に葛木御歳社が鎮座。これが唯一に近い御歳神社。
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[7892] Re[7891]: 酔眼酔眠 素人 |
2006/10/10(Tue) 01:43 [Reply] |
恋川亭さま > たまたま姫路駅ビル内の本屋に立寄ったら、 > > 『姫路の神社』 > (兵庫県神社庁姫路支部「姫路の神社」編集委:編著) > (神戸新聞総合出版センター:版) > ご迷惑と思いますが。 姫路と言う字が掲示板に登場しましたので思わず、お願いしなくてはと書き込みました。 気象庁の公式記録で姫路で火の玉(球電)が観測されたと有るのですが、姫路をよくご存知でしたら何かご存知で無いでしょうか。 「姫路で球電(1965年)3月18日」 写真でご紹介した雷の一種、球電は長野県黒姫で1987年でしたが、それ以前にも観測されているのです。偶然ですが雷と関係有るのか、両方ともに姫がつく地名です。 青草ですみませんが、よろしくお願いいたします。 |
[7891] 酔眼酔眠 恋川亭 |
2006/10/09(Mon) 23:16 [Reply] |
たまたま姫路駅ビル内の本屋に立寄ったら、
『姫路の神社』 (兵庫県神社庁姫路支部「姫路の神社」編集委:編著) (神戸新聞総合出版センター:版)
という本がありました。去年の10月出版だから、もう1年たってます。 ご紹介がおくれました。スンマセン(誰に向って?)。 例の『神戸の神社』の姉妹編です。全国各所でこんな本が揃っていくといいなぁ。
さて播磨(姫路のあたり)・・・、神戸市の須磨区から西の方になると、『大歳神社』をよく見かけるのですが、『御歳神社』はあまり・・・ないのです。 ひょっとして、ある頃に 『御歳神社』(みとし・みとせ)→(おほんとし)→(おほとし)『大歳神社』 なんてことは・・・ないだろ〜ナ〜?と、ウトウトzzz。 |
[7890] Re[7889][7888][7887]: 古代中国の遺跡巡り とみた |
2006/10/08(Sun) 00:31 [Reply] |
神奈備さん はるばるぺルーまで出かけられて無事お帰りの由、報告を楽しみにお待ちします。
> > もちろん呉越戦争は、紀元前5世紀です。紀元前473年に越が勝利して瑯耶に都を遷しました。 > > 越が呉に勝利して山東半島に都を遷したとあるのですが、瑯耶が呉の都だったわけでもありませんよね。
私は日本人のルーツを求めてその起源に興味を持っており、
考古学と神話と伝承を組み合わせて何かつかめないかと素人ながら追っかけております。 > 越の都はどこだったのでしょうか。 > 越は北方展開の野望を持っていたということでしょうか。
紀元前の春秋戦国時代ですが、呉の都は蘇州、越の都は紹興つまり会稽だと思います。紀元前6世紀には山東半島の瑯耶は呉の有名な港でして、その地で斉と海戦をやっています。紀元前5世紀後半に越が呉に勝利し、越が山東半島近くの瑯耶(青島から南へ150km?)に都を遷しました。(斉は山東半島の臨淄が都です・・・青島から西へ200km?)
紀元前4世紀になって越は、長江中流域の楚に滅ぼされ消滅します。
越の支配地まで楚が進出しますが、紀元前3世紀に秦始皇帝により楚も滅ぼされます。
紀元後3世紀になって三国志の時代、孫権が呉を復活し蜀と魏と戦うと言うのがご承知の話です。
紀元前の弥生人を考えるとき、山口県の土井が浜の民が山東半島の淮河近辺の民と人骨が似ているとか、中国の史書によれば呉越人は入墨するとかの風習で倭人と似ているとか、日本人へ渡来してきたと考えています。 > > > > 兵主神社は始皇帝が泰山で祀った8神の一つで軍神です。蚩尤族とも言われています。つまり苗族です。 > > この苗族というのがよくわかりません。印象としましては南方の民のように思っていましたが、山東半島付近との関わりは予想外です。
苗族は、黄河と長江の間の中原の漢水辺りにいたのが、紀元前の尭舜の時代に黄河中流域の黄帝族に圧迫されて南下し、長江中流域や洞庭湖のある湖南省に退いたと思っています。
秦始皇帝の時代やその後、明の時代になっても苗族は叛乱を起こし、圧迫されて奥地の雲南貴州に逃げ込んだのでしょう。
梅原猛さんや安田喜憲さんの説では、一部は日本に逃避したのではと言っておられます。証拠として、鳥取の淀江町の角田遺跡出土の弥生土器に描かれた羽人の乗る船は、雲南の苗族の羽人の舟とそっくりです。奈良県東殿塚の埴輪にもよく似た舟が描かれています。
蚩尤族はいろいろな説があります。神話によれば 黄帝族と戦ったとされています。つまり黄帝に敗れた軍神です。兵主神は蚩尤で、戦いの神(軍神)と言われています。泰山は山東半島の西部にありますが、そこに8神の一つとして軍神(蚩尤?)が祀られています。
蚩尤族は黄河中流域起源、長江下流域起源(九黎族)、そして梅原説では良渚人起源(南方の苗族の祖先)とあります。
紀元前2200年ぐらいに良渚文明は滅びますが、これにも洪水滅亡説と北方の黄帝族による征服説とあります。
その後、古墳時代になって秦や漢の民が朝鮮を経由して日本へ渡来したのか、新羅、百済、伽耶、高句麗から直接日本へ渡来したのかは、定かでありませんが、アメノヒボコは江南から山東半島に移動しさらに、新羅を経由して日本へ来たのかもしれないと思ったりしています。
紀元前、始皇帝時代の徐福の不老不死の薬草を求めて山東半島から日本へきたというのが一番説得力はありそうです。
或いは、秦始皇帝の万里長城造営に狩り出された民が余りの過酷な労働に耐えかねて朝鮮や日本へ山東半島から逃げてきたのではと言うような、少し怪しげなことを考えてみたりしております。
神奈備さんのご指摘のように、山東半島と苗族とのつながりは不確かです。
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[7889] Re[7888][7887]:
古代中国の遺跡巡り 神奈備 |
2006/10/07(Sat)
10:44 [Reply] |
とみたさん、有意義な旅をされておられますね。こちらはバタバタと常世国を歩いてきた気分です。ボケの上に時差ボケです。おいおいと報告いたします。
>
もちろん呉越戦争は、紀元前5世紀です。紀元前473年に越が勝利して瑯耶に都を遷しました。
越が呉に勝利して山東半島に都を遷したとあるのですが、瑯耶が呉の都だったわけでもありませんよね。 越の都はどこだったのでしょうか。 越は北方展開の野望を持っていたということでしょうか。
>
兵主神社は始皇帝が泰山で祀った8神の一つで軍神です。蚩尤族とも言われています。つまり苗族です。
この苗族というのがよくわかりません。印象としましては南方の民のように思っていましたが、山東半島付近との関わりは予想外です。
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[7888] Re[7887]: 古代中国の遺跡巡り とみた |
2006/10/05(Thu) 14:13 [Reply] |
とみたです。毎度ミス打ちです。修正補足させていただきます。
> 紹興は紹興酒で有名ですが、会稽とも称して紀元5世紀の呉越戦争の越の都です。 > > 越は勝利して都を山東半島の瑯耶に遷しました。
もちろん呉越戦争は、紀元前5世紀です。紀元前473年に越が勝利して瑯耶に都を遷しました。孔子は紀元前551年に生まれて73歳で没していますので、その頃ですね。
> 漢字の元は殷・商時代の亀甲文字とされていますが、良渚時代にすでに原型があるようです。
原始文字ですね。30ぐらい判明しています。
月、魚の骨、田、井、]・・・・みたいな文字があります。
>高床式住居
高床にする理由・・・蛇を避ける、洪水に対処する、高床の下に家畜を飼って人間の排泄物を高床から落として餌にする・・・なんて博物館の人が言ってました
>河ボ(女母)渡遺跡
正しくは、河ボ(女母)渡でなく、黄墓渡というらしい。
川の対岸に黄色人=南アジアのモンゴロイド人の墓があり、そこへ渡し舟で行くという意味のようです。これを中国の歴史の母=女母と置き換えたらしい。
川の対岸には四明山がありました。これは古くからの名前で、道教の四明山ですかと、館員に尋ねたら、道教の盛んな漢より以前の名前との事でした。
四方が、太陽の光が射し込む明るい窓=洞穴という意味だそうです。
炭化した米粒が、稲束のゴミ捨て場から発見されました。
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[7887] 古代中国の遺跡巡り とみた |
2006/10/05(Thu) 13:25 [Reply] |
神奈備さんはペルーへ、そろそろお帰りでしょうか。私は古代中国の遺跡を巡ってきました。
この掲示板では相応しくないかも知れません。長文で済みません。
山東省の瑯耶台 、春秋戦国時代の斉の都、臨淄、そして始皇帝が封禅した泰山、孔子孟子の魯国の曲阜、大ブン口文明の発掘地の大ぶん口村(鎮)・・・南京、蘇州、、杭州、会稽=紹興、余姚の河ボ渡を訪れました。
遣唐使の上陸地の寧波も近くです。さらに舟山群島と観音信仰の補陀山は杭州湾の一角で近そうです。ただ、少し南の天台山(最澄の訪れた寺)までは行けませんでした。
徐福が数千の童男女を引き連れて日本へ不死の薬を求めて出発したのは山東省の瑯耶台という説があり始皇帝と斉国の方士、徐福の像が建っています。確かにここは古代四大港とされています。或いは150km?も南の連雲港(江蘇省)だとも言われています。ここには徐福村があり子孫がいるとされています。堺市と友好関係を持っています。
蓬莱閣?の北側を通り東沿海至廟群島を通過して、韓国釜山を経て日本へ着いたということです。
泰山は始皇帝が封禅の儀式を執り行った山ですが、山頂は標高1545mでした。バス、ロープウェー、徒歩で山頂に簡単に行けました。
最大の関心事は、古代中国の遺跡探訪です。 黄河文明の一つ山東半島の大ブン(シ文)口文明は、6300年前の文明で、黒陶、彩陶土器で有名。泰山の近くに遺跡がありました。
父系社会から母系社会への移行、階級社会への移行期とのことです。
南京から揚州、蘇州そして杭州へ、杭州に隣接する紹興には5000年前の良渚遺跡があります。
杭州湾へ向って寧波へ行く途中に7000年前の河姆渡の遺跡がありました。
杭州の近郊とはいえ随分離れています。ついでに 紹興は紹興酒で有名ですが、会稽とも称して紀元5世紀の呉越戦争の越の都です。
越は勝利して都を山東半島の瑯耶に遷しました。
それにしても古代人はすごい文明をすでに持っていますね。驚きました。
良渚文明は、5000年前の玉とトーテツ紋の文明。巫女(男)の力がすごく大きい。祭政一致なのでしょう。 宗教のトップが政治のトップ。
35mの丘に祭壇をつくり、その下に巫女(男)の眠る棺をおきました。 玉には三種類あります。
玉j(そう)は宗教のシンボル、玉鉞(えつ)は兵隊のシンボル、 玉璧は財産のシンボル。
漢字の元は殷・商時代の亀甲文字とされていますが、良渚時代にすでに原型があるようです。
7000年前の河ボ渡遺跡は、亜熱帯で象がいた。米作が始まったいること、舟や櫂があること、鳥と太陽の信仰がすでにあることにはすっかり驚きました(鳥と太陽が象牙に掘られていました)。鳥と太陽は長江文明の象徴といわれています。蚕や猪を刻んだ陶器、高床式住居、黒陶土器・・などこんな古い時代に始まっているんですね。
この民はモンゴロイド系であるとのこと、これは頷けます。
長江下流の良渚文明や黄河の下流の大ぶん口文明から多くを学び取って黄河中流の4000年〜3000年前に入ると夏や商・殷王朝時代にはトーテツ紋を青銅器(鼎など)に取り込み王権を発達させます。
今回訪れた山東半島や江南は、倭や日本と深いつながりを持っています。山東半島は徐福伝説でつながり、長江の下流域の呉越も日本と関係が深いようです。史書の真偽はいざ知らず、倭人は呉の太白の後裔とあります。文身の風習を持っています。呉服や呉橋という言葉も関係がありそうです。日本の漢氏、秦氏のルーツ、アメノヒボコのルーツかも知れません。
兵主神社は始皇帝が泰山で祀った8神の一つで軍神です。蚩尤族とも言われています。つまり苗族です。
穴師兵主神社はアメノヒボコと関係がある。 アメヒボコは新羅から来たことになっていますが、淵源は江南で山東半島を経由して新羅へ、そして日本へ・・・という説も確か千田稔さんは書かれていたような気がします。
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[7886] Re[7885][7871]: USA in 九州 恋川亭 |
2006/10/04(Wed) 01:25 [Reply] |
素人さん レス遅くなりまして、すみません。現役の労働者なので繁忙期には続けるのが難しいです。 宇佐神宮から遥拝できる大元山、なかなか登拝は大変そうに思えました。神宮上宮の遥拝所には、大元山の磐座の写真がありましたヨ。 いくつもの巨岩を組み合わせた立派な磐座の写真でした。じっと稜線を眺めて悠然と山を見る。言葉や思考にならないけれど、感情レベルに稜線がうったえてくるんですな。 やはり、登拝よりは伏拝みこそが祭祀の原点だな〜と感じ入った次第です。魂の感受性は時間を時代を超えてしまいます。古代へ行きましょう。 |
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