桑津神社
伊丹市西桑津一丁目2番30号 mapfan
鳥居
交通 JR伊丹駅 東1km 阪急伊丹駅 東1.8km
祭神 火明命 合祀 火闌降命、素盞嗚尊
摂社
中村社「蛭子命、市杵嶋姫命、倉稻魂命」
稲荷社「倉稻魂命」
地蔵社
社殿
由緒 火明命と火爛命は瓊々杵尊の皇子で、国土創成に大いに働いた。御神徳は赫々として、災禍を除き、古くから安産守護の神と仰がれた。火明神社と火爛降神社は共に、もと西桑津、東桑津の北約二百米(約一丁半)の地に鎮座、鎮座地は濠を廻らした前方後円墳の形をした古墳の面影があり、両社とも同じような神域で御神縁の深きと思われるものがあった。
昭和十七年四月十八日、伊丹空港の建設に伴い、両社を移転させ、神社名も地名に因み桑津神社と改めた。
素盞嗚神社は同尊の御神徳を景仰して、中村に天平年間に創祀したと伝えられる。昭和三十九年三月十五日伊丹空港の拡張に伴い桑津神社に合祀された。
『摂津国名所図会』や『摂津志』には、東桑津村には火焔皇子の陵墓があると記されている。火焔皇子は宣化天皇の第二皇子で、川原公、為奈真人の祖とされる。火闌神祠の名はあるが、これを火焔皇子の神祠との説があると、『摂津志』にある。尚、火明命の関するお話は『摂津志』に刑部首がおり、火明命十七世孫の屋主宿禰之後としている。祖神を祀る祠があったのかも知れない。
本殿
お姿
大きい杜を持つ神社である。社殿も荘厳な雰囲気を漂わせている。南東側にも入口があり、神社名と祭神名が彫られた石柱がたっている。
字名の流作はナガレサクで、水害の脅威にさらされる田畑を称したそうだ。
お祭り
10月 22日 秋例祭。
摂社

『平成祭礼データ』から
火明命と火爛命は天孫瓊々杵尊の後と称せられ、国土創成に偉業を建て給うた。御神徳は赫々として、災禍を除き、古くから安産守護の神と仰がれ給う。火明神社と火爛降神社は共に、もと西桑津、東桑津の北約二百米(約一丁半)の地に鎮座し、乾張るりの境内地には、濠を廻らし前方後円墳の形をした古墳の面影があり、両社とも同じような神域で御神縁の深きと思われるものがあった。昭和十七年四月十八日阪神国際空港建設に伴い、両社は移転、新築合祀し神社名も地名に因み桑津神社と改められた。
素盞嗚神社は同尊の御神徳を景仰して、中村に天平年間に創祀したと伝えられる。昭和三十九年三月十五日大阪国際空港拡張に伴い桑津神社に合祀された。
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