棚倉孫神社(たなくらひこ)
京田辺市田辺棚倉49
神社風景
交通
近鉄京都線新田辺駅、JR京田辺駅 西へ22号線を北へすぐ its-mo
祭神 天香古山命
天香古山命は高倉下とも言われ、饒速日命の子である。
手栗彦命(たなくりひこ)とも言い、これが棚倉孫に転じたとされる。
注釈 一説には山城南には渡来人が多く、養蚕が盛んで、棚倉とは蚕棚の小屋の意であり、養蚕に関連の神とも言う。
創建の由緒は不明。「三大実録」貞観元年に従五位上に叙された神神の一。 延喜式の大社である。
本殿
お姿
本殿は1606年の建造で、一間社流造・檜皮葺。拝殿は三間二面入母屋造である。甘南備山の裾に当たる小高い丘の上に東面して鎮座している。
広い森が周辺の地から見上げれる。
木津川の西の大和への入り口の要害地に当たる。 クス、カシの大きい木が目立つ。
江戸時代には天神社と呼ばれており、鎮座地を天神の森と云う。
天神社と刻まれた燈籠と牛
御輿が飾られていた。瑞饋神輿と云い、秋に収穫される二十六種ほどの野菜や穀類で飾られた神輿で、保存会が結成され、田辺町(京田辺市)の指定文化財となっている。十月十碑に区域内を巡幸する。
瑞饋神輿
鳥居は元禄十五年

『平成祭礼データ』から
当社は天神の森に鎮座する。祭神は天香古山命(あめのかごやまのみこと)・別名
高倉下命(たかくらじのみこと)・手栗彦命(たなくりひこのみこと)ともいい、手栗彦が棚倉孫に転じたともいわれる。一説にはこの地は養蚕が盛んで棚倉とは蚕棚の小屋の意であり、養蚕に関係のある神ともいう。旧郷社。創祀の由緒は明らかでないが、「三代実録」貞観元年(西暦859)正月27日条に従五位上に叙せられた諸神の一に「棚倉孫神」があり、「延喜式内社」である。本殿は東面し、一間社・流造・桧皮葺。
以上 |
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