「波比売神社」と「丹生都比売神」
天川村に生まれた大山源吾氏の『天河への招待』には、波比売神社の鎮座する栃原岳(黄金岳)は含銅硫化鉄を含む鉱石におおわれていたと、『吉野郡史料:明治一七年調査』の記事を紹介されている。
続いて「神代の頃、この山から銅や鉄の他、砂金などが産出されたと、想像してもおかしくはないだろう」と所見を述べられている。
たしかにこの山に登って土壌を観察したが、所々に赤土が散在している。しかしこの程度であれば、紀北や出雲なんかのほうがより全体的に分布している。氏の本を読んでいなかったら、無視ごしている程度の痕跡である。
山の名前が何故黄金岳であるか、いつ頃からそう呼ばれていたのか、これは解明すべき課題であるが、真言宗金山寺があったようであるから、平安時代には金山と呼ばれていたことと思われる。
真言宗は金属資源就中水銀の産地への進出の例が多く、この山もそうであったかも知れない。金山寺建立時に、真言宗の守護神とも言える丹生都比売神を勧請して、波比売神社の祭神に加えた可能性はある。
しかし、大山源吾氏が『天河への招待』で「この神社の祭神をして、奇妙なことに「ニュウツヒメ」ではない。」と書くほど丹沙採取の守護神でもあった丹生都比売神を祀らなけらばならないような山とも思いにくいのである。
『吉野郡史料』からは金山彦・金山媛などの金属神であった可能性はある。
少ない参拝経験しかないのだが、山頂に鎮座している丹生都比売神を祀っている神社にはおめにかかっていない。かの松田博士の『古代の朱』の地図にも山頂のケースは出てこない。
山裾、沢の地に丹生都比売神は祀られるのである。逆に金山彦・金山媛は山頂好きである。風のタタラかも知れない。
一方、丹生とは沢である。「沢」と言う言葉は、朝鮮語で「ニフ」。沢とは広辞苑によると、低くて水が溜まり、蘆(あし)や萩の茂った土地を言い、水酸化鉄のスズが採れそうで、また水耕栽培にも適地となる。
丹生都比売の神格には金属の神以外に稲もある。丹沙はそのまま古墳だどに使えるし、金の精製には副材料にすぎない。
大山源吾氏は更に『天河への招待』の中で、『丹生大明神神告門』に書かれている「川上水分之峯爾上坐天國加加志給比(カハカミミクマリノミネニノボリマシテクニカカシタマヒ)
」の 川上水分は川上水方が正しいが、この川上水方之峯を五行思想によって、水方とは北方のこととされるが、他の文献で北方を水方と表記しているだろうか、これも無理筋の解釈のように思える。
しかし、この吉野に生を受けた人であり、愛郷心だけではなく、土地勘と言うものがあり、土地と遺伝子を共有しておられる方でもある。『天河への招待』には多くの傾聴すべき見解があると思われる。
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