丹生川丹生神社
和歌山県伊都郡高野町丹生川580 its-mo
鳥居の風景
交通案内
南海高野線 難波→高野下駅下車 東へ4km its-mo
祭神
丹生都比賣命
合祀 久久能智命、豐受姫命、手置帆負命、彦狹知命、高野御子大神
由緒
神社の由緒書きから。
『丹生神社造営記』によれば、当社の由来は古く、田摩に地主神として丹生都比売神を祀ったのが始まりで、後に現在地に社を移したという。
寛正五年(1464)野火のため神宮寺の円通寺とともに全焼したが、ご神体(木彫極彩色の女神像)は神社前の丹生川の川中にある八葉石(別名明神石)の上に移して難をのがれ、文明6年(1474)社殿を再建した。
その後すたれていた当社と同寺を復興しようと、同寺住職空算房が貞享四年(1687)社殿を改築。
明治十六年円通寺とともに再び消失したが、翌年再建して社殿を内宮造りとした。昭和六十年に遷宮を行う。
宝物としては承和年間(8344~848)のものといわれる狛犬のほか、鏡3面、慶長十一年(1606)の神明帳、貞享三年(1686)の縁起などがある。
この地は元々高野山領であったが、豊臣秀吉の寺領復活時に戻されず、紀州藩領に編入された。
『紀伊続風土記』に伊勢丹生神社の末社とあるのは、明神岩の存在と当時の丹沙の産地として伊勢丹生が名をはせていたからだろうか。
丹生川には真言宗円通寺があるのだが、高野山領でない、と言うことが伊勢丹生の保護を求めるなどその結び付けを求めたのであろうか。
本殿
お姿
渓流に奇岩怪岩の点在する玉川峡を歩くウオーキングコースとして九度山町が整備しているが、大半は川の北側の舗装道路で、自動車道でもある。
少し自動車道をそれて公園風の広場に出ると神社が鎮座している。
小さいながらもすっきりとした雰囲気の神社、火災時にご神体を遷したという神社前の川中にある八葉石は確認できなかったが、
神々の降臨にふさわしい巨岩が多い。もっと上流に明神岩と呼ばれる岩があり、丹生都比売降臨の伝承の岩とされている。
お祭り
4月3日 春季祭 10月15日 秋季祭
紀伊續風土記 巻之四十五 伊都郡 相賀荘 丹生川村から
○丹生社 境内除地
本 社 三間二間 摂社二社 末社九社
本地大日堂 拝 殿 舞 臺
村中にあり 一村の氏神なり 社前の中流に一大石あり 蓮花岩といふ 明神影向石といふ 寛文雑記に伊勢丹生神社の末社、慶雲(704)以前の鎮座なり 古き書物は寛正五年(1464)の失火にて焼失すとあり 社の東八九町にわらん谷あり 藁蓋谷の義にて鎮座所のよしにいへるか
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参考 『和歌山県神社誌』、『平成祭礼データ』
丹生都姫伝承
紀の国 古代史街道
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