紀伊續風土記 巻之五十 伊都郡 官省符荘 慈尊院村から
○神通寺七社明神 境内周百四十間
一 宮 一間六尺 祀神 丹生明神
二 宮 同 祀神 高野明神
三 宮 同 祀神 気比明神
四 宮 同 祀神 厳島明神
三社宮 二間六尺三扉 祀神 大神宮 八幡宮 春日明神 十二王子社 方三尺五寸
百二十番神社
瑞 籬 拝 殿 二間十三間 舞 台
本地堂 本尊金胎大日如来 神輿堂
大黒天堂 今御供所と称す 鳥 居
慈尊院の山上石階を登る事一町許にあり 官省符荘二十一村の産土神なり 七社の中丹生高野明神は弘仁年中大師の勧請なり 十二王子百二十番神の二社も同時の勧請なりといひ伝ふ 気比厳島二神は文明年中(1469〜)の勧請といひ伝ふ 此四社天文の洪水以前は北の方宮の橋といふ地にあり 今川床となる 三社宮は古官省符荘の氏神にて今の社檀の巽一町神楽尾山にありしを天文年中(1532〜)慈尊院に移せし時倶に移して七社明神とし一荘の總氏神とす 舊地を今古宮の檀といふ 今に宮の雑費三分の二は修理料より出し一分は氏子より出す 是又古三社を氏神とせし証といふへし
祭礼 九月晦日なり
高野山南院高室院遍照尊院此三院別当職を兼ね依りて三院別当領七石宛を領す
什宝に菊一文字太刀一振 真田幸村の奉納といふ 今一宮に納む 銘に奉寄進御太刀一振菊一文字弐尺七寸五分 紀州伊都郡慈尊院正一位勲八等丹生七社大神等云々とあり 箱の書記に施主九度山とあり 国次太刀三振 永正十二年(1515)粉河幸蜜蔵院の奉納といふ
神主 二人 坂上左内 吹本宮内 巫女二人あり |