万古山御嶽・万古山神社
沖縄県宮古島市平良字荷川取小字下川 地図
一の鳥居・二の鳥居

交通
砂山ビーチと大崎の間
祭神
天照大神、竜宮大神
拝殿

由緒
万古山はニヌパザーと読まれる。
『宮古島御嶽』の由緒から
バンコ山お嶽(下川)。部落の西側にあって天照大神生誕の地の中継拝所である。下川では、海の神、竜宮大神を最高の神とし、その上にオヤテダ(男親神)、ンマテダ(女親神)がいるとして、天照大神はこの両神の主子神だという。バンコ山お嶽の礼拝はすべてツカサが行う。普通は何人たりともお嶽への立ち入りは禁止される。
お嶽の祭事は、旧の正月、三月、八月の三回と毎月ネ・トリ・ヒツジの日に行われるが、旧正月の祭事には、ツカサたちは体を清めてから一週間にわたってお嶽こもりするという。また部落の海岸近くには洞穴があるが、この洞穴は天照大神生誕の地として部落民から拝がまれている。この洞穴は神聖化し立ち入りは絶対許されない。たとえ立ち入ることができてもその場合には七日間、塩で体を清めてからでないと、はいれないという伝えがある。また三月に豊漁と航海安全を祈願して竜宮の神をまつるお嶽ごもりがあって天照大神への感謝祭がある。
『宮古島御嶽』の由緒からの引用は以上。
近世になってからだと思われるが、与那覇メガさんと言う老婆であった方が開いた御嶽であり、したがって実に新しい御嶽と言える。与那覇メガさんは近くの洞穴にこもって天啓を得たようだ。太陽が誕生し、水を浴びる場所が洞穴の中にあるということである。この洞穴を拝するのが御嶽であると言う。
新城定吉さんは宮古島で生まれた天照大神は大神島に渡り、そこから九州の宮崎へ赴いたと主張されていた。
与那覇メガさん亡き後長女の方が引き続き祭祀にあたったが、いつの間にか途絶えてしまい、荒れ放題になった。心ある方々が再建したと言う。そこへ
拝殿内の神餞

たたずまい
一の鳥居の前から二の鳥居までは結構な距離がある。拝殿や神殿はコンクリート製の建物。拝殿前には「萬古山御嶽稲石龍宮大神」と書いた幡が立っていた。稲石は磐座の名のようだ。
地元で聞いた話だが、この地域にある観光地の砂山ビーチ付近をリゾート開発するため、本土の業者が寄贈したものと言われている。
参詣時、祭の準備中であったようだ。神女さん3人が配所で神餞を並べていた。写真を撮らせていただいた。写真を撮る順序は右手の天照大神、次に左の竜宮大神の順とするように言われた。
神殿

お祭り
旧の正月、三月、八月の三回と毎月ネ・トリ・ヒツジの日に行われる。
『宮古島御嶽』(宮古島市図書館)
2007.12.27
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