1. 孝霊天皇の系譜
『古事記』 第七代孝霊天皇(大倭根子日子賦斗邇命) 『紀』(大日本根子彦太瓊命)
父 第六代孝安天皇 葛城の室の秋津島
母 孝安天皇の姪忍鹿比売命 孝霊天皇は母親が皇族の初めての天皇 次は垂仁天皇。
兄 大吉備諸進命 『紀』ない。
孝霊天皇 黒田の廬戸宮
妃 十市懸主の祖大目の女の細比売
子 第八代孝元天皇
妃 蝿伊呂泥(意富夜麻登久邇阿札比売)第三代安寧天皇の孫
子 夜麻登登母母曽毘売命
子 大吉備津日子命 他 『紀』吉備津彦命 他
妃 蝿伊呂杼(蝿伊呂泥の妹)
子 若日子建吉備津日子命 他 『紀』狹嶋命 稚武彦命(吉備臣の先祖)
名前の中の「太瓊」とは、立派な赤い玉を意味する。
孝霊天皇を祀る神社の代表的な楽楽福(ささふく)神社は伯耆の国の日野川沿いに鎮座している。砂鉄を吹く意味を持つ社名である。加えて鬼退治の伝承があり、先住民である産鉄民との資源を確保するための戦いと解されている。
娘は百襲姫で即ち卑弥呼である。卑弥呼は鏡信仰の巫女王であり、この時代から、銅鐸信仰が終焉し、古墳が造られ始めた。
大山と高さ比べをしたとされる孝霊山は高麗山ともよばれている。
孝霊天皇は笹で眼をついて一つ目になったとの伝承がある。精錬師。
孝霊天皇の活躍は吉備津彦や若日子建吉備津日子命の活躍が語られている場合がある。
2 天日矛について
渡来年代
天日矛 ― 多遅麻母呂須玖 -多遅麻斐泥 -多遅麻比那良岐 -多遅麻毛理
孝霊天皇 - 孝元天皇 - 開化天皇 - 崇神天皇 - 垂仁天皇
垂仁天皇の命を受けて、多遅麻毛理が非時の香の木実を探しに出かけた逸話が残っている。これから世代を逆算すると、天日矛命の渡来時期は孝霊天皇期になる。
天日矛命は新羅の王子とされる。しかし天日矛とは、天津神の名前である。記事の中には改名などの話はなく、『紀』では、自ら「天日槍」と名乗っている。何故か?
新羅王家の祖について
『新撰姓氏録』稻飯命出於新羅國王者祖合と記し、神武天皇の兄の稲飯命は新羅王の祖であると伝える。孝霊天皇は神武天皇の父の彦波瀲武鵜萱草葺不合尊の八世孫であるから、天日矛も同じ程度であろう。天孫を思わす名前を持っていても不思議ではない。
『古事記』 応神天皇段に天之日矛の渡来理由として、赤玉が変化した阿加流比売神を追いかけて難波まで来たが、渡しの神が遮ったので多遅麻に留まったとある。奥津鏡・辺津鏡等八種の物を持ってきた。
『日本書記』垂仁天皇期に、崇神天皇の御世に、笥飯浦に大加羅国の王の子、都怒我阿羅斯等が、日本の国に聖王がおいでになると聞いてやってきましたとある。また白い石から変わった比売語神を探してやって来たともいう。
『日本書記』 垂仁天皇の条に天日槍の来朝のことが書かれている。船で播磨国の宍粟邑にいた。鉄を求めていたと思われる。赤石の玉や日鏡、膽狹淺大刀など八種の宝を献上した。近江・若狭を経て但馬国に至り留まった。
『播磨国風土記』 神々の戦い、葦原志挙乎命や伊和大神と天日矛が、おそらくは鉄資源も争奪で国占めの争いをし、最後は出石に行く。
『筑前国風土記逸文』 五十迹手は「高麗の国の意呂山に天から降ってきた日桙の末裔」と名乗った。
『古語拾遺』新羅王子 海檜槍來歸 今在但馬國出石郡 爲大社也。
天日矛は出石で結婚し、単なる地方豪族で終わったのだろうか。古代日本を震撼させた人物が鄙に埋没してしまったのだろうか。
赤留比売 比売語曽神と呼ばれる。伊都国に上陸、香春神社を経由して姫島の比売語曽神社、吉備の姫社神社、難波の姫比売碁曽神社や赤留比売神社に祀られている。天日矛の足跡の一つだろう。
3 孝霊天皇と天日矛の共通点
気比神宮の摂社となっている式内社の角鹿神社の祭神については二つの説がある。ひとつは『氣比俗談』『気比宮社記』が示す都怒我阿羅斯等である。一方、『大日本史』『神祇志料』が主張する角鹿国造の祖である建功狭日命(吉備臣の祖・若武彦命)の孫である。若武彦命とは孝霊天皇の皇子の若日子建吉備津日子命である。
全国に気比神社はは43社あり、約一割の4社は「キビ」神社と訓む。気比も吉備も食料の意味を持つ以上の何か関係の深い意味があるのだろう。
例えば、都怒我阿羅斯等・天日矛と孝霊天皇とは同一人物であるとか。
この二人は同じj世代である。孝霊天皇は不合尊から八代目。
この二人、銅鐸信仰から銅鏡へ切り替る基礎をなした。孝霊天皇は卑弥呼の擁立であり、天日矛は神宝として銅鏡を持ち込んだ。
赤留比売となった赤い玉は、孝霊天皇の名の中に太瓊即ち立派な赤い玉として入っている。。
孝霊は高麗に通じ、高麗は『筑前国風土記逸文』では、日鉾の天降った国えある。
上田正昭『渡来の古代史は誰か』で、ヒボコ・アラシトは製鉄集団であろうとしている。
孝霊天皇の墓がある府中市の南宮神社は、金属の神を祀る南宮大社(仲山金山彦神社)とゆかりがある。また孝霊天皇を祭神とする楽楽福神社も砂鉄を吹くの意味がある。
吉備の姫社神社には「秦郷鉄造之発祥之地」とある。秦氏は天日矛の後裔とする。
楽楽福神社の伝承に、天皇は大和の都から丹波の国、更に日本海を経て西伯郡大山町に上陸しらとある。
天日矛を祭神とする神社は、大和から丹波、但馬を経由して、伯耆の国に入ると祭神は孝霊天皇となる。これらのことは、両者が同一人物であることを示している。
豊岡市を流れる円山川の下流に楽々浦なる地名がある。
鴨系神社や鴨郷鴨部郷のある中国地方の郡は伯耆、吉備、安芸に集中している。孝霊天皇・天日矛と鴨との関係が濃厚だったと思われる。鳥越憲三郎氏の葛城王朝説が想起される。
画像 孝霊天皇 都怒我阿羅斯等 蚩尤・天日矛
神社数 孝:孝霊天皇 矛;天日矛・兵主社 姫 赤留比売
出雲 伯耆 因幡 但馬 丹波 近江
孝 矛 孝孝孝孝孝 矛 矛矛矛矛矛 矛 矛矛矛矛
孝孝孝孝孝 矛矛矛矛矛
矛矛矛矛
安芸 吉備 播磨 摂津 大和
孝孝孝孝孝 矛矛矛矛矛 矛矛 孝
孝孝孝孝孝 矛 姫姫 矛矛矛矛
孝孝孝孝孝
孝孝孝孝孝
矛 姫
伊予 土佐 讃岐 和泉
孝孝 孝孝孝孝孝 孝 矛
孝孝孝孝孝
以上
『季刊邪馬台国』98号 気比神社と神功皇后 角鹿尚計
『青銅の神の足跡』谷川健一
『平成祭CD』神社本庁
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