走田神社
京都府長岡京市奥海印寺走田 ゼンリン
鳥居

交通
阪急長岡天神 北東2kmの小山 南側が長法寺
祭神
天津兒屋根神、武甕槌神、経津主神、姫大神 (春日四柱)
由緒
妙見社とも稱せられていた。創建年代不詳。古くから妙見菩薩が合祀されてゐたが、明治の神佛分離の折り、これは海印寺寂照院に移された。
明治十六年の明細帳に記された由緒書では「鎮座傳記不詳。御局上ヶ知神社。除地妙見社九百三十年餘以前責字年中勤請之由申傳。造立之年數不分明。
社地東西拾五間南北九間、外ニ境内有之旨元禄五申年ニ取調書上ヶ候。尚慶應四辰年三月右之趣書上ヶ候。
後去ル明治十年六月ニ至リ社號改テ延喜式内走田神社ニ確定セラル前明治六年六月村社ニ公定セラル」となつている。
式内社の走田神社は途絶えており、この神社が名前を伝えたわけではなく、江戸時代以降に比定されてきたそうである。走田とは初穂を作る田を言い、早稲田の守り神であったとされる。
明治大山崎町円明寺の小倉神社から神輿の渡御があった。
たたずまい
元々は竹藪の多い地域であったが、宅地開発も進んでいる。小山の中腹に鎮座している。石段は百を越す登りである。
覆殿の中に社殿が鎮座している。能舞台が正面にある。
摂社もいくつか鎮座しているが、名称は不詳。
覆殿
寛政年間の奉納
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お祭り
1月13日 お千度祭(勧請縄)
11月14日 秋季例大祭
京都山城寺院神社大事典(平凡社)、平成祭礼データ(神社庁)、長岡京市観光協会設置の説明板
京都山城の神々
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