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1.ヒメコソの神を祀る神社
筑前怡土 高祖神社
『三代実録』高磯比盗_。怡土県主は天の日槍の末裔と『筑前国風土記』にあり、日槍の妻が祭られている可能性がある。また、長野宇美八八幡宮の縁起に、神功皇后帰還時、新羅神(清滝大神)が出現とある。
怡土には宅蘇吉士が居住しており、これは『応神記』に「韓鍛卓素」の名が見えるように、製鉄の鍛工の名でもある。高祖神は天の日槍の後裔が県主の土地の鍛神である。ヒメコソの神と思われる。
肥前基肄 姫古曽神社
『肥前国風土記』 荒ぶる神であり、行路に人が多く殺された。祟る訳を占うと、「宗像の珂是古に祭らせよ。」と出た。珂是古が放った幡は筑後御原の媛社神社の杜に落ちた。後に夢で、織女神と判った。『応神紀』に阿知使主が呉国から織女を連れてきて、宗像大神に捧げたとあ宗像系の織女神らしい雰囲気が見える。
筑後御原 媛社神社
祭神は媛社神、織女神。嘉永七(1845)年の石鳥居の扁額に「磐船 神社」、「棚機神社」と刻まれている。近くから銅鐸の鋳型が出ており、弥生時代の青銅器生産に関わった渡来人や物部氏と関係している。
織女神と言えば栲幡千千姫、物部遠祖の饒速日尊の母神である。
神官の珂是古とは物部の阿遅古のことでだり。この神社の祭神として饒速日尊が祀られているのは自然である。ヒメコソ神と共に「磐船」の名が摂津に持ち込まれ、天探女の伝説と結びついたかも知れない。
豊前田川 香春神社
辛國息長大姫大目命ほかを祭る。『豊前国風土記』に、昔、新羅の神が渡ってきて香春の地に住んだ。近くに採銅所と言う場所があり、そこが古宮である。祭神の「大目」は支配者の意味。大目を刀自する文献もある。『釈日本紀』では、この神をアカルヒメとする。
豊後速見 稲荷神社 姫古曽神ほかを祀る。
豊後国東 三宮八幡社 比賣語曽神ほかを祀る。
豊後国東 比賣語曽神社
『摂津国風土記』 比売島の松原。昔、応神天皇のみ世に、新羅の国の女神が夫から逃れて、筑紫の伊波比の比売島に住んでいた。まだ
夫の国から遠いとは言えないと言い、更に遷って摂津の比売島に来た。
安芸安芸 亀山神社
本来は「比賣語曽大神」を祭ると言う。宇佐嶋の比売神を勧請したものと伝わる。また、大屋比売神社、比売志麻神社と呼ばれていた。
備後蘆田 亀山八幡神社摂社日ノ女神社
> 日女古曽神を祀る。備中下道 姫社神社
秦氏が祀った製鉄の神である。
国東から難波への道筋の途中に当たると言える。
石見邇摩 城上神社摂社比売許曽神社 下照姫命を祀る。
摂津西生 姫嶋神社
ヒメコソ社は摂津国東生郡の延喜式内社であり、この両摂津西生は西生郡に鎮座しているので、論社ではない。

摂津東生 比賣許曾神社 産湯稲荷 9.6m 現在地 3.2m
『延喜式神名帳』に、比売許曾神社や下照比売神社と記載がある。
『摂津国風土記』 比売島の松原に鎮座したとある。比売志摩とは『仁徳記』に、日女志摩に幸行された時、雁が卵を生んだとある。アカルヒメも卵生神話を持っており、符合している。『安閑紀に牛を大隅島と姫島松原で養牧を行ったとある。韓系の渡来人が住んでいたと思われる。当初は彼らが祀っていた女神だった。この姫島は現在の旭区付近で、標高 1.7m 、神社の鎮座地は標高の高い茨田の提があった場所と思われる。鎮座地は放出の阿遅速雄神社の信仰圏に重なり、女神だから鴨の大神である阿遅鋤高日子根神の妹の下照比売と見なされて祭神の変化が生じたのだろう。
『摂津名所図絵』には、姫古曽神社と表記されている。肥前基肄の同名社と同じであり、大阪城付近に鎮座していた磐船神社の元社であったとすれば面白い。
摂津東生 玉造稲荷神社
下照姫命 鎮座する山を姫山と言う。弥生時代以降は島ではない。
摂津東生 高津宮神社の摂社の比売古曽神社
仁徳天皇の宮跡とも言われる高津宮神社の地主神(11.4m)として比売古曽神社が祀られている。祭神は下照姫命(赤留比賣命)である。茨田の提の造営時、仁徳天皇の宮城内に遷座して来た可能性もある。
摂津住吉 赤留比売神社
下照比賣神、味早雄神も御子神とされている。
真弓常忠氏は、『式内社調査報告』の中で、赤留比売は明るい姫であり、下照姫と異名同神で、農耕祭祀における斎女の神格化と見ている。
『住吉大社神代紀』には、赤留比賣命神の相殿に中臣須牟地神と草津神が記されている。住吉大社から大和へ向かう道を磯歯津路と言い、その道筋に鎮座している。須牟地神は古来酒作りの神とされ、草津大歳神の収穫した米を醸して新羅客の入朝の際賜う神酒として、赤留比賣命神社で、新羅客に酒をすすめたのであろう。 『忌部記文』に「須牟地の神酒を賜うて穢を祓はない者は日本人ではない。」とある。
難波津が使用されはじめてからは、どうなったのだろうか。
摂津住吉 楯原神社
赤留比売命を祀る。上の社から勧請。
2.下照姫と赤留姫
下照姫を赤留姫の母神とするのは、鈴木真年『百家系図』『諸系図』の「御上祝の系図」にある。
また、新羅国の阿具沼の辺で、賤しい女の陰上を日虹が照らして懐妊させ、赤い玉を生み落とした。この玉が赤留姫となったとされる。賤しい女の下を照らしたので、下照姫と言うとの馬鹿話がある。
さて、近江の園城寺(三井寺)の守り神である長等神社の祭神に、宇佐若宮下照姫大神の名がある。宇佐若宮とは、宇佐の神の御子神と言う意味であり、下照姫は大国主神と宗像三女神の一柱である多紀理毘賣神の娘である所からの呼び名と思われる。敢えて、「宇佐」の名が持ち出されているのは、宇佐の比売神と赤留姫を同一神と見なす考えも反映しているのかも知れない。
3.タクの神
怡土郡に託杜神社が鎮座している。丹生津姫を祀るとも言われ、金属に関連す神社と思われる。神社の鎮座地は託杜郷には、宅蘇氏の本拠地があった。高祖神社も託祖大明神と呼ばれたことがあった。鎮座地の北東山麓には古墳時代の製鉄遺跡が集中しており、また北麓、西麓の平野には総数三百を越える群集墓があり、製鉄遺跡が埋まっている。
対馬 天神多久頭魂神社、多久頭神社は朝鮮から採鉱冶金をもたらした渡来集団の祖霊を祀ったものとされる。(奥野正男:日本の神々1)
出雲 製鉄地域に式内社である多久神社「天御梶日女命」なども、同じ系統の神を祀ると言える。
以上
参考文献
『松前健著作集』『古代の日本と渡来の文化』『式内社調査報告』摂津 『日本の神々』九州・摂津