泊神社
加古川市加古川町木村658 its-mo
西に離れての鳥居

交通
JR加古川駅 南西1.5km
祭神
天照大神、國懸大神、少彦名大神
由緒
天照大御神の岩戸隠れの際、鋳造された鏡は一つは伊勢神宮に祀られ、もう一つは海に流された。大和時代に、その鏡が泊まり着いた所に檍の木があり、檍原泊大明神として祀ったのが、当宮の起こり。
飛鳥時代には、聖徳太子が鶴林寺を建立の際、側近の棟梁の秦河勝が、紀伊の国から自身の氏神である国懸大神を勧請し、社殿を建立した。
南北朝には石弾城が築かれていた。
承応二年(1653)には、宮本武蔵の甥で養子の宮本伊織が小倉藩筆頭家老職につき、故郷の氏神である当宮の荒廃を嘆き、武蔵供養の意を込め、浄財を寄進し、全社殿一式を再建した。
境内の泊神社御由緒の石碑から
神門と拝殿
國懸大神
紀伊国名草郡の式内大社に日前神社、国懸神社が鎮座、現在は日前国縣神宮とまとめて呼ばれ、同一神域内の東西に同じ大きさの社殿を並べて鎮座、祭神を天照大御神としている。もとよりこれらの祭神は日前大神と国縣大神なのである。
特に天武天皇一五年(686)、天皇の病気平癒を祈っての奉幣に飛鳥四社、住吉大神と並び紀伊国国懸神の名が見える。紀国造の氏神でもあろうが、ローカルな神ではなくなっている。紀氏と秦氏は国懸神をを氏神としているようで、同根だったと言える。これは宇佐神宮の辛島氏などとも同根。要するに半島からの渡来人のはらから意識であろう。
本殿
お姿
西に向いた鳥居、社殿は南向き、社殿の中の御神体は果たしてどちらを向いているのだろう。
神門をくぐると広々とした社域、おごそかな本殿は木々にうもれている。
摂社が多く鎮座、ていねいに社名が書かれている。日本姫神社とは倭姫のことだろう。
お祭り
10月第二土曜日 2日間 例祭
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