新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898番地 交通案内 祭神 由緒 以下『日本の神々』による 江戸時代に天香久山命となったとすると、周辺の伝承、また祭神の御子神等を祀った周辺の神社など、すべては江戸時代以降の作為となるのだが、それほどの勢いで、伝承、摂社ができあがるものだろうか、とも思われる。 それ以前から天香久山命への崇敬はこの地方にあったのかも知れない。 伊夜比古神の伊は偉大などの敬称で、これを除くと夜比古神となる。 夜比古神の夜の弥栄などの美称かも知れない。比古神が残る。弥彦山には金属採取精錬が行われていたと言う。これらは男の仕事、男神を祀ったのを比古神と称したとも言える。 夜比古神に戻る。敬称の「大」をつけると大屋彦神となり、これは五十猛命と同じ神とされる。弥彦神社では祭神の天香久山命は紀の国から来たとされているが、五十猛命もまさに紀の国の神である。 弥彦神社と夫婦神とされるのが能登(石川県鹿島郡能登町)に鎮座する式内社の伊夜比神社の祭神が大屋津媛命であることからも、伊夜比古神が大屋彦神説も充分にありうるようだ。伊夜比神社のオスズミ祭は、女神が越後の男神を呼び寄せるもので、年に一回の夫婦の逢瀬を楽しむのだと言う。越後の弥彦神とされる。または佐渡の伊太祁曽さんの神だと言う古老もいる。佐渡の伊太祁曽さんとは度津神社の五十猛命を指す。別名は大屋毘古神である。 また伊夜比古神社と佐渡の度津神社とは古来より関連があるようで、毎年正月には弥彦のカラスが佐渡の一の宮へ渡ると言う。度津神社が元社かも知れないと内心思っている。 弥彦神社の神紋は○に大の字である。伊太祁曽神社のそれは○に太の字であり、酷似している。 摂社に某神社「祭神不詳」と言うのがある。 お姿 弥彦山頂には御祭神の神廟がある。登拝した日はガスがかかっており、視界数メートルであった。 山道は赤土と赤石でできており、金属の豊富さを示しているように思える。徒歩下山は約1時間。 お祭り 2月 1日、2日 例祭 参考 『峰の桜』大森宮司著、『日本の神々』、『式内社調査報告』 公式彌彦神社 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |