![]() 兵庫県宍粟市一宮町須行名(すぎょうめ) mapfan ![]()
祭神 ![]() 伊和神社御由緒略記 御社格 御神階 神封 奉幣 御神領 御造営 おもな行事 省略 境内 宝物 鶴石 境内末社 省略 旧境外末社 ![]() 由緒 揖保川沿いは古代からの交通の要路でもあり、一宮町には縄文時代早期から一連の土器が出土している。弥生時代にはいって有力な支配者も登場したのであろうが、伊和神社の真西にあたる地点の山腹から銅鐸が出土している。一宮と銅鐸、谷川健一さんの『青銅の神の足跡』を思い出すが、この神を祀った氏族は鍛冶氏族でもあった証と思われる。 当社の創祀の伝承に鶴が登場する。鍛冶氏族は鳥の伝承を持つというが、銅鐸出土とともに興味深い。 『日本の神々2』伊和神社では祭祀氏族の伊和君一族の居住地と伊和大神の伝承地とが重なるとしており、そこへかなり早い時期に中央の勢力が及んだと見ている。
戦前刊行の『兵庫県神社誌』には、伊和神社の摂社に射楯兵主神社が記載されており、祭神を射楯神と兵主神としている。探してみたが見当たらない、また神社で頂いた『御由緒略記』にも記載はない。社務所でこれについて質問をさせていただいた。「(姫路総社の)射楯兵主神社は当社から分遷したものであり、当社は射楯兵主神社の元社です。射楯は偉大・威厳、兵主は兵庫の主と言うことです。但し、悠久の昔のことですから、はっきりしたことはわかりません。」との事であった。 ![]() 『播磨国風土記』に登場する伊和大神
餝磨郡・伊和の里(しかま いわ)伊和部とよぶのは、積幡の郡の伊和君らの族人がやってきてここに住んだ。だから伊和部とよぶ。手苅丘とよぶわけは、近い国の神がここに来て、手で草を苅って食薦とした。だから手苅とよぶ。あるいは「韓人たちが始めて来たとき、鎌を使用することがわからず、素手で稲を刈ったからと言う。
【3.国占め】揖保郡・香山の里(いひぼ かぐやま)鹿来墓とよぶわけは、伊和大神が国を占めなされた時、鹿が来て山の峰にたった。山の峰は墓の形に似ていた。
【3.国占め】揖保郡・阿豆の村 伊和大神が巡幸なされた時、「ああ 胸が熱い」いって、衣の紐を引きちぎった。だから阿豆という。
【7.大汝命】揖保郡・御橋山 大汝命が俵を積んで橋(梯子)をお立てになった。
【3.国占め】揖保郡・林田の里(元の名は談奈志(いはなし))談奈志と称するわけは、伊和大神が国をお占めなされたとき、御志(みしるし)をここに突き立てられると、それからついに楡(いはなし)の樹が生えた。
【5.大神の御子】揖保郡・林田の里・伊勢野 山の峰においでになる神は伊和大神のみ子の伊勢都比古命、伊勢都比売命である。
【7.大汝命】揖保郡・林田の里・稲種山 大汝命と少日子根命の二柱の神が神前の郡の堲岡の里の生野の峰にいて、この山を望み見て、「あの山には稲種を置くことにしよう」と仰せられた。
山の形も稲積に似ている。 【6.天日槍命との闘争】揖保郡・揖保の里 粒丘とよぶわけは、天日槍命が韓国から渡って来て宇頭川下流の川口に着いて、宿所を葦原志挙乎命にお乞になって申されるには、「汝はこの国の主たる方である。私の泊まるところを与えてほしい」と。
【5.大神の御子】揖保郡・出水の里(いづみ)・美奈志川(みなし) 伊和大神のみ子石龍比古命と妻の妹石龍比売命と二人の神が、水争いをしている。
【2.国占め失敗】讃容の郡(さよう) (伊和)大神妹背二柱の神がおのおの先を争って国を占められた。妹は玉津日女命で、賛用都比売命と名付けられた。
【2.国占め失敗】讃容の郡・讃容の里・吉川(えがは)(もとの名は玉落川) (伊和)大神の玉がこの川に落ちた。
【1.出雲から播磨へ】讃容の郡・柏原の里(かしはばら)・筌戸(うへと)(大神)が出雲の国から来られた時、嶋の村の岡をもって呉床としてすわって、筌(やな)をこの川に仕掛けた。魚は入らず、鹿が入った。食べようとしたが口に入らず、落ちたので、ここを去った。
【5.大神の御子】讃容の郡・雲濃の里(うぬ)(伊和)大神のみ子玉足日子。玉足比売のお生みになった子、大石命。
【4.国占め完了】穴禾の郡(しさわ) 伊和大神が国を作り堅め了えられてから後、ここの山川谷峰を境界として定めるため、御巡幸なされた。
【4.国占め完了】穴禾の郡・比治の里(ひぢ)・宇波良の村(うはら) 葦原志挙乎命が国を占められた時、みことのりして「この地は小さく狭くまるで室戸のようだと仰せられた。だから表戸という。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・比良美の村(ひらみ) (伊和)大神の褶(平帯)がこの村に落ちた。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・庭音の村(にはと)(もとの名は庭酒(にはき))(大神)の御乾飯が濡れてかびが生えた。すなわち酒を醸させ、それを庭酒として献って酒宴をした。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・比治の里・奪谷(うばひだに) 葦原志挙乎命と天日槍命の二人の神がこの谷を奪い合った。
【3.国占め】穴禾の郡・比治の里・稲春の岑(いなつき) (伊和)大神がこの岑で、稲を春かせた。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・伊奈加川(いなか) 葦原志挙乎命が天日槍命と競争して国を占められたとき、嘶く馬があって、この川で出会った。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・土間の村(ひじま) 神の衣が土(泥)の上に付いた。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・敷草の村(しきくさ) 草を敷いてかみの御座所とした。
【3.国占め】穴禾の郡・柏野の里(かしはの)・飯戸の阜(いひべノおか) 【2.国占め失敗】穴禾の郡・安師の里(あなし)(もとの奈は酒加(すか)の里) (伊和)大神がここで冫食(飲食)をなされた。だから須加という。
伊和の大神は安師比売神を娶ろうとして妻問いされた。その時この女かみが固く辞退して許さない。そこで大神は大いに怒って、石を以て川の源を塞きとめた。 【9.その他】穴禾の郡・石作の里(いしつくり)(もとの名は伊和) 石作と名づけるわけは、石作首らがこの村に住んでいる。
【5.大神の御子】穴禾の郡・石作の里・阿和賀山(あわかやま) 伊和大神の妹の阿和加比売命がこの山においでになる。
【3.国占め】穴禾の郡・石作の里・伊加麻川 (伊和)大神が国を占められたとき、烏賊がこの川にあった。
【3.国占め】穴禾の郡・雲箇の里(うるか) (伊和)大神の妻の許乃波奈佐久夜比売命は、その容姿が美麗しかった。だたか宇留加という。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・雲箇の里・波加の村(はか) 国を占めなされた時、天日槍命が先にこの処に来、伊和大神はその後でここに来られた。
【6.天日槍命との闘争】穴禾の郡・御方の里(みかた) 葦原志挙乎命は天日槍命と黒土の志爾蒿(しにだけ)にお行きになり、お互いにそれぞれ黒葛を三条足に着けて投げあいた。その時葦原志挙乎命の黒葛は一条は但馬の気多の郡に落ち、一条は夜夫の郡に落ち、一条はこの村に落ちた。天日槍命の黒葛は全て但馬の国に落ちた。 姫路市一宮町北部 姫路市一宮町森添 御方神社「葦原志挙乎命 配 高皇産霊神、月夜見神、素盞嗚神、天日槍神」 【4.国占め完了】穴禾の郡・御方の里・伊和の村(もとの名は神酒である) (伊和)大神が酒をこの村で醸したもうた。また(伊和)大神は国作りを終えてから後、「於和」と仰せられた。
【5.大神の御子】神前の郡(かむさき) 伊和大神のみ子の建石敷命は山使の村の神前においでになる。
【7.大汝命】神前の郡・ 【6.天日槍命との闘争】神前の郡・多駝の里(ただ)・粳岡(ぬかおか) 伊和大神と天日桙命の二人の神がおのおの軍兵を発して互いに戦った。
【5.大神の御子】託賀の郡(たか)・黒田の里(くろだ) 宗形の大神奥津島比売命が伊和大神のみ子をお孕みになり、この山まで来て仰せられた。
【7.大汝命】賀毛の郡(かも)・下鴨の里 大汝命が碓を造って稲を春いた処は碓居谷とよび、箕を置いた処は箕谷とよび、酒屋を造った処は酒屋谷とよぶ。
【7.大汝命】賀毛の郡・飯盛嵩 大汝命の御飯をこの嵩で盛った。 【7.大汝命】賀毛の郡・粳岡(ぬかおか) 大汝命が稲を下鴨の村で春かせると、粳が散ってこの岡に飛んだ。
【8.五十猛命】賀毛の郡・端鹿の里(はしか) 昔、神がもろもろの村に菓子(このみ:木の種子)を頒けたが、この村まで来ると足りなくなった。
![]() お姿 伊和神社の鎮座する盆地全体が一つの聖域に見えるのは先の山々の存在であるが、また神社の神域は素晴らしい社叢となっており、その広さもさることながら鬱蒼としていないが豊かさを感じさせる木々の香りが心地よい。南側に参道があり、森の中を通り抜けるのであるが、29号線を走る車の音が聞こえてくるのだが、何ともこぼれ日の射し込む心に響くとなっている。是非おすすめしたい。 お祭 春季大祭・弁天祭 4月10日に近い日曜日 参考文献 |