素戔嗚神社
福山市新市町大字戸手天王1−11 ゼンリン
鳥居
交通案内
上戸手駅の西250m
祭神
素戔嗚尊、稲田姫命、八王子命(京都祇園さんの八柱御子神と同じとした。八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)
摂社
天神社 菅原道真大人命
蘇民社 蘇民将来之神
疱瘡神社 比非羅木其花麻豆美神
摂社 蘇民社
本社の神門

由緒
天武天皇御宇(671〜86)の創祀にして、醍醐天皇御宇(897〜930)に再興されたと伝えられる。『延喜式』深津郡一座の須佐能袁能神社は当社に比定され、式内社である。
社蔵の天文十年(1541)の馨(けい)の碑文によると、「備後国深津郡江熊牛頭天王社再興之事」として天文九年四月に社殿再建が成就したしたことが知れる。
明治の神仏分離以前は早苗山天龍院天王坊を神宮寺としていた。
当社は 江ノ熊・江隈・疫隈などと呼ばれていた。「備後国風土記」にある「疫隈國社」である。蘇民将来伝説が有名であり、夏越の風物詩である、茅の輪くぐり原点の地である。。
北海にいた武塔神が、南海の神の娘のもとへ通う時、日暮れてしまい、当地で宿を求めた。
当地には、将来兄弟が居り、弟の将来は豊かであったが、宿を与えず、兄の蘇民将来は、貧しかったけれども、宿を貸し粟飯でもてなした。
武塔神は、南海から八柱の御子を率いての帰路、当地で、報復を行うことになるが、
蘇民将来の子孫には、腰に茅の輪を付させて目印とし、免れさせたという。
武塔神は、その時、「吾は速須佐雄の神なり」と名のった。
拝殿

本殿

お姿
一間社入母屋造、向拝、千鳥破風付桧皮葺。
この付近は江熊の里とよばれたところ。古くは江隈とも記された。
江は入江でありく隈はかたすみとも読める。江ノ隈の読みから穴の海の入り江であったことが伺われる。
奈良時代には古山陽道がこのあたりを通り海陸交通の要所となり、人の往来につれて市(江熊市)が栄えたところでもある。(境内掲示)
平地に鎮座、大きい木もあるが、マバラの印象。相方城の城門が伝えられている。
本殿

お祭り
春季大祭 5月 20日
祇園例祭 7月14日から16日
五十猛命ホームページ
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