![]() 宮崎県日南市大字萩之嶺字東原2845 ゼンリン ![]()
祭神
![]() 由緒
社頭掲示では、和銅二年に創建されたのは有徳神社で、これが萩之嶺的野に鎮座する鳥巣大明神を合祀したとある。 ![]() お姿 日南駅でバス乗り場を尋ねたら、おばあさんがどこへいくのかと聞いてきたので萩之嶺神社へ参詣とお答えしたら、その神社ならうちの前にあると言うことで、実は場所がはっきり判らないままの旅行だったが、これで解決。ただ、地図にものってない位の小さい神社だからとのこと、ただし神楽などは熱心にやっているとのこと。五十猛神のお導きで参詣できた。 赤い鳥居は山の端にあり、ここから150mほど苔むした参道が続く。境内、本殿の回りも苔が蒸している。赤い社殿と緑の絨毯、よく映えている。 ![]() お祭り
『宮崎県神社誌』、『平成祭CD』 |
![]() 宮崎県日向市大字財光寺7260 ゼンリン ![]()
祭神
![]() 由緒
![]() ![]() お姿 道路拡幅工事で社前を削られたようだ。鳥居が新しい。さっぱりした造りの神社であるが、楠・槇・樫などが豊富な神社。
![]() ![]() ![]() お祭り
『宮崎県神社誌』、『平成祭CD』 |
![]() 宮崎県児湯郡新富町大字日置2947 ゼンリン ![]()
祭神
![]() 由緒
![]() お姿 社殿は享保二年(1718)八月藩主の寄進にかかるもの。 ![]() お祭り
『宮崎県神社誌』、『平成祭CD』 |
![]() 宮崎県西都市大字妻1 ゼンリン ![]()
![]() 祭神
![]() 由緒
鎮座地「妻」は『魏志倭人伝』の投馬国に比定する説がある。官を弥弥(みみ)、副を弥弥那利(みみなり)という。とある。美々津町、耳川の存在は興味のある所。 さて抓津比女命を祭神とする考え方は単にツマという発音の共通性だけではなく、諸県と比売の兄(夫)の五十猛命との関係が見える。宇佐八幡の辛島氏は紀氏と同族だったのかと思われる氏族で、その系譜が以下の通り。
![]() ![]() お姿 西都原古墳群の西側に大きい社叢をともなって鎮座している。樹齢1200年の楠の古木を始め、高さ40mを越える楠木が林立している境内であり、「妻のクス」として国の天然記念物、植樹の神五十猛神の妹神の鎮座地らしい雰囲気。
![]() ![]() ![]() お祭り
|
都萬神社案内記 |
『宮崎県神社誌』、『式内社調査報告』『平成祭CD』
![]() ![]() 交通案内
祭神
![]() 由緒
『日本の神々1』によれば、「和銅七年に韓国神だけではなく、鹿児島神宮の一要素となっている八幡神も豊前から遷され、国府のある国分平野の西辺と東辺に配置されたのであろう。」としている。 ![]() 『式内社調査報告』には、祭神として天児屋根命も一つの説としてあることを言う。中臣氏の祖神の天児屋根命の孫の天種子命は、神武東征の途中、宇佐にて在地の豪族菟狭津媛を娶った豊前仲津郡中臣郷出身であったとする太田亮の説をあげ、景行紀の熊襲征伐ではこの中臣氏一統の援助が功を奏したと考えるのは、直入中臣神を祀っており、当検校川畔に中臣神が祀られても不思議ではないとする。また中臣氏は播磨国揖保郡で中臣印達神社の例を見るように五十猛神を祀る例がある。
C 宮崎県児湯郡妻町 五十猛命の妹神に抓津姫。都萬神社「木花開耶姫」神名帳考證には抓津姫。
このような伝承から見ると、当社が鎮座するこの地方を征服したのは、辛嶋氏配下の中臣氏ではないかと、『式内社調査報告』の中で藤井重寿氏は述べている。 ![]() お姿
![]() 北向きだから韓国岳や高千穂峯が見えるかも知れないが黄砂が邪魔をした。 ![]() お祭り 例祭日 九月 九日 |
![]() ![]() ![]() 交通案内
祭神
![]() 由緒
![]() お姿
![]() お祭り 例祭 3月 18日 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |