![]() 長崎県島原市宮の町247番地 its-mo
祭神
配祀 譽田別命、大綿津見命、天照大日 ![]() 由緒 その創祀は遠く不明であるが、森岳の森は神を祭る木の茂った聖地の意味で、岳は神聖な高地を意味する。この聖なる森岳に迎え祭った神は、森信仰の神であることには想像するにかたくない。森の神は地主神であり、農の神である。その神格は周辺の集落を開き造り始めた住民たちの祖霊と習合する民俗信仰にもとづいたものである。 島原半島を領した松倉重政公が築城するにあたって、森岳大権現を鷹島(今の高島町)に移し鷹島大権現と改めた。さらに寛永2(1625)年に森岳城の鬼門にあたる現在地に神苑を営み社殿を新たに設け遷座した。それから高力氏をへて、延宝3(1675)年8月15日に松平忠房公は社殿を改造したのを機に、かねて考証させていた、侍講の伊藤栄治の説を採用して猛島大明神と改めた。 その祭神論は猛島社本記に詳しいが、旧社地の鷹島は五十猛神に由来すると推論し、木の神、有功の神であると考証した。伊藤栄治の祭神考の正否はとにかくとして、島原の鎮守の神として古くから信仰され、住民に崇敬されていたことは疑いのないことである。 森岳域の守護神島原城下の氏神、島原領民の総社、島原半島を代表する神社として昭和58年に360年祭も行った。不知火燃える有明海に臨む聖地は、森岳に再建された島原城を指呼の間に眺め、在りし日の森岳大明神の歴史を偲ばせ、背後に眉山の優姿、はるかに雲仙岳の霊峰を仰ぐ。神苑は広荘、白鳥の浮く御手洗池には、神さびた老松が影をうつし、磯辺に寄する白波のさざめき、そよ吹く松風の音は悠久の歴史をささやき、社殿の荘麗と古雅とあいまって、森厳きまわりなく、おのずから、鎮守の森にふさわしい霊気をただよわせている。 お姿
![]() 本殿
お祭り
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