![]() 藤津郡太良町多良8378 mapfan ![]()
祭神 ![]() 由緒 この地域の荒穂神社は基山の荒穂神社からの勧請であろうから、祭神は五十猛命であって瓊瓊杵尊は後世に置き換わったものと考える。 『筑前国続風土記』にも、元社と思われる基山の荒穂明神について、「五十猛神なるべし、瓊瓊杵尊とは俗の付会せる説なるべしといへり。」と記されている。 合祀の際、多良嶽頂上の太良嶽神社を上宮として残した。神社庁平成祭礼データCDによると、現在上宮の祭神に五十猛命の名がなく、素盞嗚尊とされる。 『佐賀県神社誌』によれば、和銅年間以前の鎮座としている頂上の多良嶽神社の祭神を大山祇神とするも、一説には五十猛命と記している。 多良岳は標高1,076mの経ヶ岳を主峰とする山系の内の標高983mの秀麗な山容の山である。 地名の通りタタラ製鉄が行われていた地域であり、水銀の丹生神社も藤津郡には多い。 藤津郡本城村の住人角大夫という者、性至りて純直、大人の風あり、ある日。降雨の際、山路を通行せりに俄然天空より金色の御幣落下せるを見、 直に笠を以て之を受け、此の神秘なる現象に感動せし同人は床上に安置、その夜、夢に荘厳なる神体現れ、「吾は多良嶽祭神なり」と告け給ふと思えば、夢覚め大いに驚き、御幣を同社に奉遷したという。 『肥前古跡縁起』から(角川歴史地名辞典からの孫引き) 太郎嶽大権現は天竺摩訶陀国の大王の神霊也。本地千手観音、弥陀、釈迦三身一体の垂迹にして和銅年中(708〜)の草創也。 南より西に当たり四つの山有り。四面の民と云、是は四面大菩薩常に影向し給ふ霊地也。 其頭に弁財天、其下に仏ノ辻と云所有。此処は大権現来朝の御時降臨有りけれども殺生の浦近くにて不浄の穢風を忌給ひ此の太郎嶽の上宮に上らせ給ひぬ。 上宮の太良岳神社の下に神宮寺であった金泉寺があり、人々の崇敬が深かったが、天正十一(1583)年に耶蘇教徒のため焼失され、爵恵という僧が三尊像を負うてやっと太良窟に逃れたという旨が記されている。
お姿 ![]() 多良岳山頂にもコンクリート製の祠が置かれているそうである。 「HP月の引力が見える町」の上宮の写真 ![]() お祭り 1月 6日 お火焚き(鬼火たき、ほんげんぎょう) 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |