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[6882] 石見国安濃[おおざと扁に也]郡(おおだ) | 日神度 ★ |
島根県大田市三瓶町多根 国引きで有名な佐毘賣山神社が鎮座 ![]()
地域の神社 |
[6883] 相撲と大田 神奈備 | 日神度 ★★ |
大田について考えている頃、たまたま入った古書店で加古樹一著『遊牧騎馬民族国家大和』と言う本がありました。目次を見ますと何と!!「太田という地名」についての諸関連」の章があるではありませんか。何かやっている時、それに関連する情報と巡り合うことがありますが、これだ!と思い、\330と安かったこともあってすぐに購入。帰って見てみるとなんのことはない、章のタイトルと中身はまったく違う代物でした。 ![]() ![]()
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[6886] その他の太田 | 日神度 ★ |
河内国の太田 志紀郡の太田 (八尾市太田1〜9丁目) 羽曳野丘陵の先端部の平地、蕪の産地。明応二年(1493)文書に大田云々とあります。 丹北郡の大田 (八尾市丹北太田、若林町1〜2) 屯倉神社(旧三宅天満宮)、摂社に式内社酒屋神社があります。中臣酒屋連が祭祀にあたったようです。 応永二十六年(1419)の文書に太田が見えます。 阿波の太田 美馬郡大田(美馬郡貞光町大字太田)に熊野十二所神社が鎮座、鉄釣る灯籠の銘に「阿州太田」とあります。永徳二年(1382)。 海部郡太田村(海部郡海南町浅川)に御崎神社「猿田彦神」など。 伊勢の大田 鈴鹿郡に大田庄があります(亀山市太森町)南宮大神社が鎮座。 安芸郡太田(安濃町太田)文禄検地帳に「太田」の地名が見えます。縄文晩期から弥生時代の竪穴式住居跡などの遺跡があります。 周芳の大田(美祢郡美東町大字大田) 村内を船木街道が通る。仲哀紀にある「大田」に比定されています。大田八幡宮、土師神社が鎮座。 秋吉台の台上の北馬コロビ遺跡からは後期旧石器、有史時代の土師質器、サヌカイトも出土しています。 丹後国竹野郡(京都府竹野郡弥栄町字和田野太田) 大田庄は船木庄と隣接しています。6世紀前半の太田古墳群からは、瑪瑙製勾玉、碧玉製管玉、水晶製切子玉などが出土。儀器のようです。 大和国十市郡(橿原市太田市町) 日神度 ☆☆☆ ここに鎮座の天満神社は式内目原坐高御魂神社二座に比定されており、顕宗天皇三年、日神、人に著(かかり)りて、阿閉臣事代に謂(かた)りて曰く。「磐余の田を以て我が祖高皇産霊を献れ。」とあります。 近江国高島郡(高島郡新旭町) 安曇川左岸、南東は船木村。天正十一年(1593)文書に太田とあります。式内太田神社が鎮座、社伝では、延歴の頃(782)、豪族大伴氏の子孫大田宿弥の末孫が、この土地に移住し土地を拓き、大伴氏の祖神「天押日命」をまつったのが始めであるという。祖先の名を地名とした。 三河国加茂郡 (愛知県加茂郡旭町大字太田) 太田川の水源にあたります。伊雑神社が鎮座。 |
[6917] 大和国十市郡飯富郷 神奈備 | |
『大和考』橿原市飯高町に比定。飫富が飯富に、飯富が飯高に誤写が重なったのでしょう。要は、住民は自分の住んでいる地域の名前なんか知らなかった、どうでもよかった、と云うことでしょう。権力と他人が知っておく必要があったので、誤写が続いても、誰も気にしない結果がこれですね。「飫」は酒盛りの意があり、祭祀との関連があるのでしょう。 ![]()
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[6919] 上総国望陀郡飫富郷 おふ 神奈備 | |
延喜式兵部省に上総郡の牧として負野牛牧(おふの)があります。 ![]() |
[6920] 伊勢国朝明郡大金郷(旧三重郡八郷村) 神奈備 | |
四日市市伊坂町 ![]() |
[6921] 常陸国那賀郡大井郷 神奈備 | |
水戸市飯富村。『水府志料』には、「古名大部村 或云本字は飫富なり。 ![]() |
[6922] 和泉国日根郡呼於郷 神奈備 | |
後世の信達庄にあたり、泉南市の西部となります。地名としては「お」だったのを好字令で二文字とした段階で、「おお」としたようだ。紀伊と同じこと。神社は男神社、水門は雄水門と「お」の訓だから。 ![]() |
[6930] 日向国宮埼郡飫肥郷 神奈備 | |
日南市の飫肥、楠原、酒谷、板敷、星倉、弁分 ![]() |