邪鬼を払う。
世阿弥が『風姿花伝』の中で、「祇園精舎に見立てる伽藍の背戸にあたる「御後戸」にて、外道(邪鬼)祓いのために、鼓・笛・唱歌で、六十六番の物まね(猿楽)をしたのが能の起源であると言っています。
平泉の毛越寺では、本尊を後戸で守護する摩多羅神の祭りがある。翁装束の者が秘文を唱えます。
摩多羅神の祭りで有名なのは太秦の広隆寺の大酒神社の牛祭りです。インド伝来の神と言われる摩多羅神が、赤鬼・青鬼を従えて牛に乗って拝殿まで来て、祭文を読み上げるのです。祭文では、疫病神を追い払い、自身が病に効く神であり、悪行や非行にも効用がある等の内容を言うのです。平成十二年を最後に行われていません。牛の調達や気分によるそうです。
摩多羅神像 日光山輪王寺
 摩多羅神は表で祀られる神ではなく、一種の地主神のように、背後・辺境にいて、表の神々を守護する神です。延暦寺の常行堂、四天王寺の引声堂の後戸などが有名です。
家康を祭る日光東照宮では、家康の隣に祭られています。真如堂には像があるそうです。
春日大社(雷神)の後戸の神は、奈良坂に鎮座する奈良坂春日社と呼ばれる奈良豆比古神社の神々とされています。そうして、奈良豆比古神の後戸の神として、境内に石瓶神社が鎮座、ご神体は石神。シャクジ、宿神であり、また客神とされています。本来の神が客神の地位に落とされている例は多いのです。東京の神田神社は平将門が祭神でしたが、明治天皇が参詣することになって急遽大己貴命・少彦名命を主祭神として、将門を隠したと言います。
比叡山常行堂の摩多羅神
 山門比叡山に対して寺門園城寺が近江に鎮座。ここの地主神は新羅明神です。円珍が唐より帰朝
時、出現。神性雄健(タケキ)とされます。素盞嗚尊とも五十猛ともされています。牛頭天王の素盞嗚尊のように、五十猛神も仏法の守護神となったのです。
摩多羅神については幾つかの研究があるが、その正体にちゅいての一致した見解はなさそうである。
摩訶迦羅天・吒[口篇に 托のつくり]枳尼天・大黒天などに擬される。死人の肝臓を食う神で、肝臓は汚れが集積しているので、これを持ったままでは成仏できない。また古代ペルシャのミトラ神・秦河勝にも比定される不思議な神である。 |